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もうまっぴらと嫌われたユダヤ教正統派とは

デボラ・フェルドマン『アンオーソドックス』(中谷友紀子訳、辰巳出版、2021年)
 米ニューヨーク市ブルックリン地区にウイリアムズバーグという一角にユダヤ教の「超正統派」が暮らす。そのユダヤ人コミュニティに生まれ育った女性が因習にがんじがらめにされた生活を捨て、自由を求め外の世界へと脱出するお話。
 『人形の家』から続く女性の自立のお話のヴァリエーションだが、この超正統派の人々については、かねてから好奇心があった。これを読もうと思ったのも、同書「はじめに」で、「サトマール派」の辞書的説明があったからである。
 少し大きな地図帳なら、ルーマニア北西部の地方都市Satu Mare(サトゥ・マーレ)が記されている。ハンガリー国境にもウクライナ国境にも近い。この一派が生まれたのは、ナチスドイツの侵略とユダヤ人迫害が理由である。サトゥ・マーレがハンガリーの一部だったころ、ルドルフ・カストナー(Rudolf Kastner)というジャーナリストがいた。彼はなんというか、ジャーナリストというよりも政治家、社会活動家で、ナチの幹部にカネを渡してスイス行きの列車を仕立ててユダヤ人約1,600人の脱出に成功した人物だ。しかしその過程で危機が迫っているという情報を握りつぶしたため脱出させた数の数倍に当たるユダヤ人を見殺しにしたうえ、カネの一部を着服したとの告発を受け、戦後イスラエルで裁判を受けている最中に暗殺された。ところで、この列車に乗って命拾いした一人にティテルバウム(Joel Teitelbaum)というラビがいた。彼はその後米国に渡り、「故郷の町の名前にちなんで」(同書「はしがき」)、サトゥ・マーレ派という名前のユダヤ教超正統派の一派を旗揚げした。
 ウクライナ、ポーランド、オーストリアハンガリー、ルーマニア、帝政ロシア、ソ連。この地域の歴史と国境線の目まぐるしい変更。民族・宗教地図の複雑さについてはFacebookの記事でも何度か取り上げたのだが、またしても東欧のユダヤ人の因縁話である。
 シーセル・ロス『ユダヤ人の歴史』(長谷川真、安積鋭二訳、みすず書房、1983年)、マルティン・ブーバー『ハシディズム』(みすず書房、平石善司訳、みすず書房、1969年)などによると、少なくとも17世紀までのポーランドはユダヤ人に比較的寛容な政策を採用した結果、ドイツからの流入もありユダヤ人口が増え、豊かになった。しかし支配していたポーランド貴族の農民への支配は過酷で、当時ポーランド領だったウクライナ西部でポーランド人領主に対する反乱が起きた。指導者はウクライナ・コサックの大親分フメルニツキー。これに呼応したコサックとウクライナ人農民は大規模な蜂起を起こし、これにやはりいじめられていたポーランド人農民も参加した。この過程で、農民に比べ比較的豊かに暮らしていたため憎まれていたユダヤ人たちも反乱軍による迫害の憂き目にあった。10万人程度が迫害によって殺されたらしい。この結果、ポーランドは弱体化し、ロシアの影響力が強まった。だからフメルニツキーを嫌うウクライナ人もいるのだという。
 ところでその迫害の際、伝統的ユダヤ教は救済を求める民衆の側に立つことがなかった。また危機的状況下のユダヤ民衆のエネルギーが救世主待望運動となって現れたのだという。つまり形骸化した伝統的ユダヤ教に対して、その形式主義を批判し、「現実的生の中に神のために生きる真実の生活を打ち立てる道を探そうとしたところにハシディズムの存在理由があった」(ibid.pp.255-256)のだという。これが超正統派出現の一つの説明だ。ハシディズムは(ユダヤ教の)敬虔主義とも訳されるようで、つまりプロテスタンティズムの刷新を目指したキリスト教の敬虔主義(pietism)と似ている。
 これがこのガリツィアと呼ばれる地方にいじめられたユダヤ人がたくさんいて、そこから超正統派ユダヤ教(ハシディズム)が生まれたすごく雑な歴史的背景(らしい)。
 そして20世紀になるとまたしても絶滅の危機に瀕したこの地域のユダヤ人の一部が米国に逃げる。その中にTeitelbaum師がいて、彼が郷里の名前を冠した超正統派の一派「サトゥ・マーレ派」をニューヨークで形成することになる。しかしどうしてユダヤ人はこうも嫌われ続けるのかね。

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