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現実とは何か?【真実】

皆さんこんにちはyammyです☺️
本日は僕たちが生きているこの現実について考えていきたいと思います


かの有名なデカルトが残した言葉『我思う、故に我あり』という言葉
これは、自分自身が存在しているからこそ考えることができるという
哲学的な観点から表した言葉なのですが、後に現れる哲学者たちは『思考が生じるからといって存在理由にはならない』とデカルトの考えを一蹴しています。

という事はこの世界も、ひょっとしたらあなたの過去だってあなたが作り出した現実とはかけ離れたものなのかもしれない。。。

ちょっと面白い話があって
『もし誰もいない森で木が倒れたとしたら、倒れるはしたのだろうか?』

この質問にあなたは何と答えますか?

17世紀の哲学者ジョン・ロックは『No』と言いました。
音はしなかったと言うんですよ💦
驚くことにほとんどの科学者も彼に同意したんですよね!

一体どういうことかと言うと、気が倒れるときに空気が振動してそれを僕たち人間はと言う認識で耳にするんです。
だからそれを聞く人がその場にいなければ、音と言うものは存在しないと言うんですよね❗️


イデアとヌーメノン


有名なアリストテレスの師匠だったプラトンは現実は2層からなると言いました。
第一の層は『イデア』の領域で、完璧な正義の概念、完璧な人間、完璧な犬...あらゆるものがその最も理想な形で存在する世界。

残念ながらその理想形の世界には、不完全な肉体を持つ我々が住める所ではありません。
私たちは第二の層(粗悪な物質世界)に住んでいます。

正義は完璧ではなく腐敗していて、完璧な人間などいるはずもなく、
しかしそれは私たち人間にとっての現実だという事です。

ドイツの哲学者カントは人間が現象として経験する物事と
それ自体で存在する物事を区別して、後者の現実をヌーメノンと呼びました。
しかしこのヌーメノンは空間と時間の中に現れないので人間はヌーメノンについて何も知ることができない。と

シュレディンガーの気の毒な猫でも書かれている様に、現実だと思って見ているものに観察者の存在がどれだけ影響しているか?もしくは僕たち人間はどれだけ自分で現実を作り出しているかと言う事🙄


無からは何も生まれない?


宇宙の始まりが聖書に書かれているような神による創造か、それともビックバンによって誕生したか。
どちらの捉え方でも無から生まれた事は間違いない事実だと思うのですが、それよりもなぜ無から何かが存在するのか?

この世の中に存在する何かのほとんどは無で、何かがあるからこそ無は生まれる。

この世界だけではなく、宇宙を見ても圧倒的に無の方が多いんですよ。


ひょっとしたら、現実とは無なのかも知れないですよね❓



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