いいひとになると損をする?
誰でも「いい人になりたい」と言う気持ちはある。
男性なら女性に、女性なら男性に良く見られようとしたい。と思うのが当然の事だし、誰でも「好かれたい」とか「良く思われたい」と言う気持ちは日常の中でも浮かんでくる気持ちだ。
でも世の中には、それを逆手にとって人が「いい人でありたい」と思う気持ちを利用してくる人がいる。
つまりは「いい人に見られたい」と言う気持ちから、無理をして誰かの言いなりになってしまう事があるという事。
誰かが「自分の価値」を奪ってきても、簡単に許したり平気な顔をしている人がいるけど
ある意味、時間は命に等しい部分がある。
平気で遅刻してくる人を毎回許す事。お金にルーズな人といつまでも付き合う事って何の意味があるのだろう?
人の事をいい人だと言って仕事を押し付けてくる人。厄介事があると表面ではいい人だ。なんて言って本当は利用したいだけの人がいる。
正直、その人は本当にこちらの事を「いい人」だと思っていない。
そんなの形だけで誰かを利用する為だけの言葉でしかなかった。。
自分がいい人であろうとすると、誰かのわがまま聞かなくてはいけなくなる。「悪い人になれ」とは言わないけど、いい人であろうとすると際限なく自分の時間や価値が奪われてゆく。
今「いい人であろう」と言う気持ちを考え直す必要性を感じている。
結局、自分の人生の時間は限られていて、誰かの為だけにその時間を使って一生を終える考えなんて、どう考えてもつまらない。。
出来るなら、限られたその時間は自分の為に使いたい。と思うのが本当の気持ちだと思う。
いい人であろうとすると、自分の事を差し置いて誰かの為に自分を犠牲にしてしまう。。
本当はまず自分が満足して、、その後で余裕があったら誰かを助けるべきであり、まず「何があろうとも周りの事を考えろ」と言う言葉は誰かを利用する為の言葉でしかないと言える。
時に「いい人であろう」とする事について、考え直してみる必要があるのかもしれない。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?