我がクソ親父へのレクイエム(鎮魂歌)

先日来、久々に闇日記にいろいろと綴りたいことが出てきている。
私自身が闇を吐き出し、浄化するためのリハビリとして、こういった記事を綴っている。
傍から見たら「はぁ?」「自己満?」「何悲劇のヒロインぶってんの?」とか思われるかもしれないが、私みたいな人間が周りでも現れないことを祈りもこめて綴っている。
ここでは、親父との関わりについて綴ることにする。
ここに記されていることは実際に起ったことである。

どうしようもない酒乱癖

昭和10年代に生まれた我が親父。
料理屋を開き、自分の料理は日本一と豪語していた。
しかし、どうしようもない酒乱だった。
「誰かがオレのことを盗聴している」
「麻薬やってるだろ?」
「〇〇が死んだー!」
・・・などと妄言を吐くこともあった。
時には警察まで呼んで、深夜に近所周りにどれだけご迷惑をかけたことか数知れず。
今になって思うと、親父は発達障害で、統合失調症も抱えていたかもしれない。
父親からは一生涯、愛情というものを感じられなかった。

家庭内暴力

この酒乱癖のせいで、私を含め家族相手にどれだけ暴力をふるっていたことか。
私が幼稚園の頃だったか、母親と一緒に寝ていた最中、酔っ払った親父が深夜に暴れだして、タンスを倒したりしていたのを覚えている。
それ以来か、親父=危険人物という思いが植え付けられていたかもしれない。

私が小さい頃から、両親が店の仕事で忙しくしていたこともあって、私の世話はほとんど祖父がしていた。
そのせいか、父と祖父は仲が悪かった。
祖父が生きていたときだけでなく、亡くなってからも時折、親父は酔っ払うと祖父の悪口を言っていた。
私が小学校低学年の頃だったある日、祖父と一緒に寝ていた時、酒乱の親父が祖父を木製バットで殴りつけていた。
思わず目が覚めた私の前には、血まみれの祖父の姿があった。
私は父親に部屋から締め出された。
怖かった。
何もできなかった。
あの時、勇気をもって警察に通報していたらどうなってただろうか。
親父は刑務所送りにされてただろうが、そのときは母親が植物人間状態で病院に入院していたこともあり、私はどうなっていただろうか。
あの時からなのか、私は打算で物事を考えるようになっていたのかもしれない。

私への言葉の暴力

私が小学校高学年の頃、母親が亡くなった。
それから父親と2人での生活が始まった。
そうすると、私が親父のストレスのはけ口にされた。
私自身も、酔っ払った親父に深夜に叩き起こされ、散々バカ阿呆呼ばわりされた。
今で言えばDVに当たるかもしれない。
特に私の中学生の頃はひどかった。
私はぐうたらになっていた。
そんな姿を親父は垣間見ていてイライラしていたのだろう。
私もそんな親父には耐えられなかったのと、同級生からのイジメに遭ったのもあり、何回も家出を繰り返した。
それでも何も変わらなかった。
その頃の私は、自分の苦しみを誰にも言い出す勇気がなかった。
あの時、児童相談所に逃げ込んでいたら、家や学校でしていた苦しい思いから逃れられたかもしれない。
そうすれば私自身、毎日を安心して暮らし、もっとまともな人間になっていたかもしれない。
今更たらればの話ばかりしてもしょうがないが、今でも少し後悔している。

金の無心

私が高校生〜大学生のときに、親父の店の経営は極端に悪化していた。
借金まるけだった。
それで私が大学生の頃、親父は親戚中に借金をしていたらしい。
しかも私自身、事あるごとに親父から「どこかから金借りてくれないか?」という無心が何度も続いた。
私は何度も断ったが、それでも縋り付いてきた。
結局私も多重債務者になってしまった。

行き詰まり

私が社会人1年目として就職した矢先、店の経営はにっちもさっちもいかなくなり、商工ローンから借りた金も返せなくなってしまった。
親父は親戚中を駆けずり回り、金を得ようとした。
ところが、親父は親戚中から泥棒呼ばわりされ、金を借りることができなかった。
この時から親父は自殺を考えていた。
その直後、知人から何とか金を借りることができ、九死に一生を得た。
この年、私は親父に店を畳んでくれと言ったが、親父は聞き入れなかった。
それどころか、私のカードを盗んで、何十万も金を借りていたことが分かった。

親父の最期

私が社会人2年目になって、また店の経営は行き詰まった。
前の年の反省が何もできていなかった。
あの時、店を畳んでおけばよかったと後悔する親父。
それでも店を続けたいという思いも残っていた。
自己破産も勧めたが、聞き入れなかった。
そんな親父の姿を見ていて、私もたまりかねて爆発し、最後の大げんかをした。
親父は「もう俺は死ぬ」ということばかり繰り返して言っていた。
私はそんな親父を憐れみの目で見ているのがやっとだった。

そして、5月の激しい雨の夜、私が仕事から帰宅した時、親父は首を吊って死んでいた。
傍らには、弱々しい字で書かれた遺書があった。

もう限界を超えた
しばらく苦しみが続くと思う
頑張って耐えて生き抜いてくれ
おじさん、おばさん達にヨロシク
必ず密葬でやる事
坊さんも葬式もいらない
短いような長いような証書等は返還して下さい
先に行く事を許せ
心やさしい人を見つけ長い人生を楽しむように
(中略)
身の安全を警察に依頼する
頑張れよ!
許せ

その後の私と今の思い

その後、父親の密葬を済ませてからは、相続放棄の手続と夜逃げの準備をした。
やることが多すぎるのと、人に何をどう頼ればいいか分からないことで身も心もパンクし、うつ病になった。
自殺も考えた。
それでも何とか親父と私の債務を整理し、私も安心して新しい生活を迎えられた。

今思うと、親父は孤独で、毎日張り詰めていたのだろう。
だから酒に溺れ、いろいろな事を吐き出したかったのかもしれない。
ただ、それでも親父がやったことは人としては最低だ。
やってはいけなかった。
私もあの親父に育てられたことで、同じことを繰り返してしまうのではないかとビクビクしている。
親父と逆のことをしなければならないと時折考えている。

そんなこともあってか、私は結婚して家族を作ろうという気にはならない。
私自身、もともと人と接するのが苦手だが、家族=重荷になると思っている。
また、親父と同じことを知らず識らずのうちにしでかしてしまうのが怖いからだ。

最後にクソ親父へのメッセージ

生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
死んでくれてありがとう。

あなたのおかげでここまで立派な大人に成長することができました。
皮肉を込めて。

この歳になって、あなたが抱えていた苦しみと孤独が段々わかるようになってきました。
しかし、あなたが私達家族にした仕打ちは一生涯許せません。
あなたの呪縛から早く解放されたいです。
どうか安らかに成仏して下さい。

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