命あっての

仕事上の悩み、仕事上の困ったことは、仕事上でしか解決できないという。

解決の糸口とか、きっかけは外部にあるかもしれないけど、
見つめ直すものは仕事上に在ったりする。

プライベートな悩みは、一生ついてまわる。
仕事をしている時でもついてくる。何かに没頭しているときは、それは忘れていられる束の間であって、その悩みは問題が解決しない限りついてくる。

生きてる時の悩みは、生きてる時にしか解決できない。
その生命が息づいている時にしか、悩みを払拭できない。
悩むことは、ほんとはとても無駄な時間、とも言われている。
たしかに一部のひとからすると、そう。

人の気持ちや、その気持ちの整理のしかたは、正解もないし誰一人として同じものはない。似ているものを見つけたりして、参考にして自分なりに処理していくのが私たち。

それすらも、もう諦めてしまう時がきたら、一体どんな行動をとることがベストなんだろう。終わらない悩みを終わらせるために命を終わらせる?
いや、命を終わらせても何も解決できない。

苦しいから終わらせる?
たしかに苦しむ自分が消えてしまえば、もうその苦しみは「無」、
そして自分も「無」になる。

命あっての自分の人生。誰のものでもない命。
命は粗末にしてはいけない、とかいった類の文言、これは幼き日に子どもにすりこんでいい唯一のことかもしれない。
「誰か」から生まれてきた、その事実は確かだけれど、産声をあげたその時から、もう人生は「誰か」のものではなく、自分のもの。

でもどうしてもその人生を周囲は放っておかない。それが人間社会だから。
その人間社会が、人間にとって正しいとか素晴らしいものかというと、全然そうではないのに、ルールや感性は押し付けられるのがこの世の常。

地球に生きる私たちは、日が昇り日が暮れて、また日が昇る、その繰り返しを、楽しまなければ。
動物たちとは一線を画す、素晴らしい脳をもって「考える」ことができる奇跡が、母となった私としては、以前にまして強く、尊いことだと思える。

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