2023/4/29 劇団の稽古へゆく

所属する社会人劇団の稽古日だった。

芝居小屋を借りての本番は11月で、まだその稽古は始まっていない。

役者のほとんどが初心者やブランクがある人なので、スキル底上げのため、2〜3ヶ月に一本のペースで練習用の台本を稽古し、プチ発表会をしている。

今のところ稽古は、楽しい:苦しい=3:7という感じ。

自分のできなさがつらい。
芝居をやっていた20代前半の頃と比べても、武器のなさを感じる。

臆せず色んな動きを試す度胸も、相手の芝居を受け取り自分の表現につなげる感受性も、ただ立っているだけで絵になる華もない。

今の私は、身体はガチガチ、声も細くて通らない、頭でっかちの中年役者だ。

ハタチそこそこの役者は、その年齢スペックだけでメインキャストをやれると思う。
芝居がつたなくても、少々身体が硬くても、「若い生き物」というみずみずしさだけで、ある程度見るに値するから。

しかし中年はそうはいかない。
芝居が下手だと「あなたは舞台に必要なのか?」と問われてしまう。
(社会人サークルなので、実際そんなシビアな追いつめ方は誰もしないが)

だから、少しでも上手くならなければと、毎回必死なのである。

学生時代、友人のツテでたまに客演をする程度に芝居をしていた時は、とにかくちやほやされた(気がしている。)
それは私の芝居が上手かったからではなくて、単に若くてそこそこ可愛く、少しだけ突飛な動きができたからだ。

その証拠に、調子に乗って入った劇団の養成所では、講師からの評価が思わしくなかった。
おそらく、プロの劇団員に必要な技術力の向上が見込めなかったからだろう。

ダンスや体操、ボイストレーニングでの評価はほぼ最低だった。
運動神経が悪く、身体を使うことが下手なので、上記の授業には自分も苦手意識があった。

いい役者になるには、感情をつくること、エチュードをすること、台本練をすることこそが必要なのに、なぜバレエや日舞、体操の授業を週に何度も受けなければならないのだろう?
そこに意味を見出せず、後ろ向きな気持ちで授業を受けていたので、評価が良いはずもなかった。

しかし時は流れ、ふたたび演劇を始めた私は思う。
演劇は身体表現だ。
だからダンスや体操の授業があったのだと。

心でいくら感じていても、外から見て伝わるよう身体や声を操れなければ、客の心は動かない。
客の心を動かす表現をするにはそれなりの技術が必要で、技術を得るためには練習をするしかないのだと。

養成所にいる時に気づいていれば、適切な努力をして、もしかしたら劇団に必要とされる役者になれたかもしれない。
10年ほど遅かった。

もう一度演劇をやるなら、同じ轍は踏みたくない。
練習の大切さを理解し、技術を磨く努力ができる役者になりたい。

年下の子に囲まれ、まだ居場所は獲得できていないが、上手くなることで必要とされる存在になれれば良いなと思う。

どのぐらい継続できるかは、まだ分からないけれども。

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