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「飽きずに観(ら)れた」~そもそも映像のインプットが違う

長らく講師をしている映像専門学校で最近よく感じることです。
近い将来、映像のプロとして仕事をしていくのが目的の学校ですが、今(若者?)の映像文化の有り様を如実に表しているかと思って綴ってみました。

先月から「コロナ禍を記録する」と題したドキュメンタリー課題に取り組んでいます。
先週の授業で、その進捗確認のために、編集途中のものを全員で観ました。
もちろん作業が途中なのは承知ではありますが、深く考えさせされることがありました。

単なるインタビュー動画に

一つは、ドキュメンタリー映像が、単なる「インタビュー動画」になっていることです。
取材対象が話し続けるインタビューが延々と続き、ところどころにその話題に関連する映像や画像がインサートされるだけです。
ドキュメンタリーの基本はインタビューであってそれをベースにつくると伝えているので、ある程度は想定していましたが……

例えば、コロナ禍で独立したタクシードライバーを取材したチーム。
そこには、お客さんを乗せているところ、車を整備していること、出退勤の様子などのアクティビティがほぼありません。
看護師を取材したチームは、Zoomでのインタビューと友人や家族のコメントだけ。
病院の現場の撮影は出来ないとしても、出勤の前後や休日の様子などのアクティビティを工夫して撮っていません。

インプットが違う

この状況を見て……
高卒から20代が中心の学生には、ドキュメンタリーのイメージが備わっていないことに気付かされました
私たちの世代は、テレビが娯楽の王道でしたから、硬軟取り混ぜて様々なドキュメンタリー映像をインプットしています。
ですので、ドキュメンタリーとは何か?となったときにぼんやりとでもイメージがつくんですね。
しかし今の20代以下はテレビをほとんど観てきていませんし、今はまったくと言っていいほど観ません。
テレビ番組は作ってる人も観てる人も40代ですから、おじさんおばさんの娯楽には興味がわかないでしょう。
それよりも圧倒的に「動画コンテンツ視聴」です。
この現実を、インプット不足ではなく、そもそもインプットが違うと捉えなければなりません。

飽きずに観(ら)れた

もう一つは、「飽きずに観(ら)れた」と言う感想が多いこと。
一つの作品を全員で観た上で、学生どうしでフィードバックをさせるんですが、よく出てくる発言がこの「飽きずに観(ら)れた」です。
実はこれ、ドキュメンタリー課題だけでなく、ドラマやミュージックビデオなどの他のジャンルを扱った課題でも、必ず出てくる発言です。

ファスト映画

たかだか5分10分の映像で、飽きることが前提なんですね。
これは、いわゆる「ファスト映画」につながってくるような気がします。
(ファスト映画:長編の映像作品を10分程度の動画にまとめ、ストーリーを把握できるようにナレーションを入れたダイジェスト映像のこと)

この夏に大ヒットした映画『サマーフィルムにのって』で、未来から来た少年が「将来、今ある映画というものは存在していない。映像は5秒がスタンダード。1分もあれば長編と言われてしまうのが未来」という衝撃的な一言を放ちます。
「飽きず観(ら)れた」はそんなSF映画が現実的になる伏線なのかもしれません。

まとめ

要するに、40代の僕らと学生とでは、見てきた景色も見ている景色も違うんですよね。
その上で、私は、サマーフィルムの未来につながらないように映像表現をしっかり教えていきたいと思います。
サマーフィルムの未来は人類の文化遺産の破壊だと信じるからです。

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