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12月に読んだ本

百冊挑戦の最終月。1年間で百冊読もうという挑戦は目標を達成したのか。順に冊数を記してみよう。1月は9冊。2月は8冊。3月も8冊。4月は9冊。5月は8冊。6月は7冊。7月は10冊。8月は3冊。9月は12冊。10月は3冊。11月も3冊。そして12月は3冊。合計冊数は83冊。100冊は到達せず!後半の失速が著しい。コロナパンデミックの勢いが弱まったのと並行して、各地でのワークショップや講演が再開されたというのが大きな影響を与えている。自宅でじっくり読書するための時間がじわじわと削られていったのである。来年以降、ますます対面の機会が増えるだろう。落ち着いて読書するための時間をどう確保するか。まずは『エッセンシャル思考』でも読むか。。。

▼『民藝の百年』

東京国立近代美術館にて「民藝の100年」と題した展覧会が開催されている。コミュニティデザインの現場は全国にあって、各地を訪れるたびに「民藝」という言葉を聞くことになる。「ここにも窯が」「ここにも染めが」「ここにも民藝館が」など、行く先々で案内していただく。地域住民の誇りとなっているのだろう。そのたびに微笑ましく思う。シビックプライドなのか、コミュニティデザインなのか、それよりも先に各地で実現されているのが民藝の思想によるものだったのだ。そんな理由で民藝は気になる存在だった。この仕事を始めてからのことなので、15年ほどだろうか。民藝は各地で出合うキーワードだった。
調べてみると、民藝とは約100年前から始まった運動だったようだ。大先輩である。そんな運動が、いまも各地に息づいていて、一部の人にとっては誇りになっている。これはすごい運動である。
そして今年、「民藝の100年」展が開催された。2021-2022年をまたいで開催される展覧会だ。もちろん観に行くだろう。そう思っていたら先方から連絡があった。展覧会のためのコメントをくれないか?と。これは嬉しい。喜んでコメントを送付したら、ウェブサイトに掲載してもらえた。

お礼にチケットと図録が送られてきた。さっそく東京出張に合わせて展覧会を見に行った。もし民藝という言葉が気になっていて、でも学ぶためのまとまった時間を取るのが難しいという人がいたら、ぜひ会場に足を運ぶことをオススメしたい。3時間を確保してくれれば、民藝の初期から最盛期までの動きがすっかり理解できるだろう。丁寧な展示である。民藝の展覧会は、解説文が控えめなことが多い。ウンチクよりもモノを観よ、という民藝の教えに従ったものだろうけど、素人には解説がほしい。よくわからないから本を読んでみようと思っても、たくさんありすぎてどれを読めばいいかわからない。だから「民藝は気になるけどややこしそうだからまた今度」と思ってしまう。そんな人にお薦めなのがこの展覧会であり、図録である。
図録は展覧会と同じように丁寧な編集がなされている。もし展覧会場まで足を運ぶことができないという人は、図録を3時間かけて読み込むだけでもいいだろう。民藝がどういうものなのかがすっかり理解できるはずだ。


▼『ROBERT WALSER-SCULPTURE』

トーマス・ヒルシュホーンによるプロジェクトブック。スピノザとかバタイユとかドゥルーズとかグラムシについての「モニュメント」を住民参加型で盛り上げてきたヒルシュホーンが、今回は文学者であるヴァルザーを対象にした。冒頭に「これまでモニュメントをみんなと一緒につくってきたけど、モニュメントってなんだっけ?」という問いかけがあり、「今回もモニュメントでいいかな?それともスカルプチャーかな」と続けられる。
彼のプロジェクトが面白いのは、アーティストであるヒルシュホーンがどんどん見えなくなっていくところにある。毎回、分厚いプロジェクトブックを作るヒルシュホーンだが、どの本も最初の方は彼の写真がたくさん掲載されている。ところが、ページを繰るたびにどんどんヒルシュホーンの写真が少なくなり、代わりに地域住民たちの写真が増えていく。プロジェクトの主体が入れ替わっていく過程が感じられる。ヒルシュホーンがつくっているのは、そういうプロセス自体なのである。
とはいえ、それは簡単なことではない。後半にあると地域住民がマイクを手に持ってヴァルザーについて演説している。議論している。ヴァルザーの本を真剣に読んでいる。テレビ番組を収録している。そこまでの主体性を生み出すための工夫は並大抵のものではない。このワークショップに参加する人たちは、これまでのヴァルザーの作品を読んだことがないという人が大半だ。スピノザのときも、バタイユのときも、ドゥルーズのときも、グラムシのときもそうだった。そんな地域住民が、古い輸送用パレットで会場をつくり、カフェを運営している間にプロジェクトを主体的に進める担い手になり、作家について自分の意見を表明する存在になっていく。そのために行う住民とヒルシュホーンとのやりとりが写真で記録されている。このプロジェクトブックには、延々と写真が続くページがある。1ページに8枚レイアウトされた住民の写真が30ページ以上に渡って続くパートが何度か登場する。ここでのやりとりが住民のやる気を高めているのだろう。また、やる気を高めるためのプログラムを思いつくために必要なインタビューなのだろう。
その意味で、コミュニティデザインのワークショップを進めるためのヒントがたくさん含まれた本だといえる。ヒルシュホーンのプロジェクトブックは、手に入るものをできるだけ入手しているつもりだが、今回はこれまで以上にプロセスがわかりやすくまとめられているという気がする。また、掲載されている住民の活動写真が美しくなっている。ヒルシュホーンのチームにカメラマンが加わったことを予感させる。住民とともに行うプロジェクトは、毎日誰かが撮影しなければならない。プロのカメラマンをずっと雇い続けると、それだけで膨大な予算が必要になる。だから何か工夫が必要になるのだが、今回のプロジェクトにはそれをうまくやりとげた痕跡が見られる。ただ、どうやって写真の質を上げたのかについての記述は見当たらない。プロボノなのか、ボランティアなのか、スタッフなのか。我々の仕事の記録にとっても不可欠な課題である。


▼『人間の条件』

ハンナ・アーレントの『人間の条件』は有名な本だ。我々の生活には私的領域と公的領域があること、生活は労働と仕事と活動から成り立っていて、「労働」は私的領域に、「仕事」は公的領域に位置づきやすいこと、だからこそ、そのどちらにも属さず自由に行き来できる「活動」が重要になること(全体主義に取り込まれないためにも大切)。そんなことが書かれた本だと教えられてきた。
確かに概要はそのとおりだろう。しかし、この本は分厚い。それだけのことを書くなら数ページで済むはずだ。だからきっと、もっといろいろと大切なことが書かれているのではないか。そんな気持ちで本書を手にとった。
1958年に書かれた本なのだが、現在のコミュニティデザインにとってヒントとなるような記述が山程見つかった。なぜ我々が「食べていくためのまちづくり」を推進したくないのか。なぜ我々が「後世に残る仕事」という表現が好きではないのか。その理由がよくわかった。結果だけを読めば、それぞれが「労働」と「仕事」に回収されてしまうコミュニティデザインになるからだということになる。生きるためでも後世に残すためでもないことが「活動」であり、それを推進したいと思うからワークショップを繰り返しているのだということになる。本書では、このあたりの哲学的な根拠を示してくれている。
また、ヨソモノがなぜ地域の魅力や課題を見つけられるのかについても書かれている。距離が冷静さを人間に宿すということを、宇宙から地球を眺めるようになると急に地球環境問題を意識するようになったという事例を用いて解説してくれている。我々が「風の人」としてコミュニティデザインに携わる理由が明確に説明されている。
これだから名著を詳細に読み込むのは楽しい。名著は有名だから、「ざっくりいうとこんなことが語られている」という解説本や解説サイトが山程ある。しかし、そこに行き着くまでの過程で語られていることに、実務的なヒントが山程含まれている。そのことを本書は改めて教えてくれた。

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