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学習性無力感の話

「何回も失敗すると、1回失敗しただけの時よりも傷が深くなる」という現象、心当たりはないだろうか。
それが「学習性無力感」というものだと知ったのは26歳くらいの時だった。


人生の中で一度はこの「失敗が重なるごとに傷が深くなる」体験をしたことがある人も多いと思う。
そうした失敗が続いた結果起きる「学習性無力感」は、やっても無駄だ、もう無理だ、頑張れません、となる状態。
要は、努力をしてるんだけど失敗に終わった、ということが何回も重なった結果、自信を喪失してしまう、ということ。


人はなぜ「10000回ダメでも10001回目がある」的な歌に励まされるのか。
私は、それだけ失敗している人が多いからだと思っている。そして、皆それでも「希望」を捨てたくないからこういう歌に励まされる。そんな気がする。


ただそれでも、度重なる失敗というのは、やはり人の心を摩耗させる。
どれだけメンタルが強い人でも、さすがに10000回も失敗するまで続けるという猛者はなかなかいないのが現実だ。
「無駄な時間を過ごさないために諦めた」ということも理由の一つかもしれないが、その前に、どんな人でも失敗が続くと多かれ少なかれ心が折れる。

特に一度メンタル面の不調が起きた人は、失敗を怖がることが多い。私もそう。
人間、時々失敗してしまうことくらいはあるだろうけど、失敗が続いても私は大丈夫、というメンタルを持てている人は正直少ないと思う。もしそういう人がいたら自分を褒めてあげてほしい。


ひとつ私が思うのは「度重なる失敗」が起きても比較的心が折れにくいものと、折れやすいものもまた存在しているということである。

例えば「新規事業」など最初から達成がやや難しいと思って挑戦的にやっているものは、失敗することがある程度想定されている。だから、まだ「頑張るぞ」の回数が続きやすいと思う。
一方で厄介なのは、自分もできるだろうと心のどこかで思っていることや、一般的には多くの人が成功していること。これで失敗が起きると、折れやすい。自尊心が傷つきやすい。成功して当然だと、心のどこかで思ってしまいやすいから。
典型的なものでいうと「受験」とか「転職」とか。「恋愛」とかもそうかもしれない。

自分では然るべき努力をしているつもりでも、なかなかそれが実を結ばない時。
1回目、2回目の失敗は「それでも頑張ろう」と立ち上がった。3回目、4回目。努力の方向性も自分なりに変えたつもりで、また挑戦した。でも、またダメだった。どんどん心がズタボロになって自信がなくなる。挫けず頑張るつもりでも、やはりダメージを受けてしまう。

こういうことが学習性無力感につながりやすい。


ただ、それでもナイスファイト、と思う人、あまり気にしないで淡々と努力を続けられる人はいる。そう思える人は何が違うのだろうか。
そういう人は、悲劇への没入みたいなものが少ないような気がする。


私は「感傷的な」人間だと思う。
自分を一言で説明してください、と言われたら「私は感傷的です」と言いたくなる。聞いた人がスーッと離れていくと思うので、さすがの私でも人前ではそれは言わない。
感傷的などというカッコいい言い方をしないとすれば、こういう時「悲劇のヒロイン」になってしまいやすい性格であり、もっと言えば「SNSやブログなどでポエムらしきものを書いてそうな人間」と考えてもらえば良いだろう。世間から言わせるとただのメンヘラに分類されるところである。


そして、このような人間は悲劇に没入しやすく、学習性無力感に陥りやすい

でも実のところは、その悲劇に没入すればするほど辛くなる。
私がそのいい例で、失敗が続くとそのことを「私はこんなに辛い」と言わんばかりにSNSに書き殴っていた時代があった。
私はまた今回もダメだった。ということを必要以上に嘆き「ほら、私ってかわいそうでしょ、何をやってもうまくいかない」と言いたかったのだと思う。


もちろん人間失敗したら愚痴のひとつやふたつ言いたくなるものだ。ただ、そこにどっぷり深く浸かることでストレスを解消しようとするのは、よろしくない。
それによって自己肯定感が上がるかといわれると、むしろ下がる一方だと思う。


実を言うと、今の私もまあまあ失敗続きと言っていい状況だ。

ついに、春からの異動が決まった。


異動先では、今度こそ、この今の会社に馴染み、少しでも気分よく仕事をできるようにしたい。もう会社が嫌いな会社員として生きていきたくない。もっと仕事がバリバリできるようになって活躍したい。保育園に行っている子どもが自慢できるようなママになりたい。そう思って頑張っている。
でも、小さいことでもなかなか思ったようにうまくいかない。


自信がない時はどうしたらいいか。

Googleで聞いてみたら、「そういう時は成功体験を探して自分を認めてあげましょう」とベタな回答が出てくるものだから、それに倣ってみることにした。最近「これはうまくいった」ということを思い出そうと思ったけど、特にない。いや、本当にない。最近本当に何もうまくいっていない。うまくいっているとすれば身の回りで特に大きな事件が起きていないことだが、それは自分の成功体験とはちょっと違うだろう。

こんな匿名の場所で謙遜しているわけもないし、本当にこれと言って最近の成功体験が見つからない。これでますます自信がなくなったなど、もはやネタである。

そういうわけで久しぶりに。2年ぶりに、noteを書いている。
文章を書いている時だけは思考の整理ができて心がスッと軽くなるから。


昨日、録画していたドラマを見ていたらこんな言葉が出てきた。「努力できるということも立派な才能」なのだと。


凡人は努力するしかない。でも、その努力を続けられることが立派な才能なんだって。才能が無いと打ちのめされ、絶望した私に、その言葉を20年前の自分にも言ってあげたくなった。

今の自分にも十分刺さるポイントがあった。いい言葉だと思った。
今できることは、やはり失敗してもやり続ける努力をすることだけ。失敗が続いている時点でそれをマイナスにしか捉えていなかったが、「失敗しても続けられること」が一つの才能だと思うと元気付けられた

こういう発言をすること自体が「悲劇のヒロイン」ぶっているのかもしれない。でも自分なりには前向きな発言のつもりなので、まあそれでもいいということに、しておいてほしい。


■陰の私がなるべく陽の部分に視点を当てて発信しているYouTubeはこちら


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