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和製ピンクパンサーⅡ


山谷麻也

 第1話 メモリー

 ◆木登り
 粕原洋子(かすはらようこ=仮名)さんには、今でもドキドキするような思い出がある。

 粕原さんの生家は、四国の小さな村の最奥部にあった。
 アドベンチャーワールドの入り口だった。庭にはいつも子供たちの姿があった。近所の男の子たちと山野を駆け巡って育った。木に登ることだって平気だった。

 ある日、木の上から、下の男子たちをからかっていると、笑い声が起きた。
「ズロース、破れとる」
 男子たちは、粕原さんのスカートの中を指さしていた。
 粕原さんは両手でスカートを押さえた。

 気が付くと、子供たちが粕原さんを覗き込んでいた。木から落ち、しばらく失神していたことを、後に教えられた。

 ◆初犯
 粕原さんは母親に新しいズロースをねだった。母親はズロースを洗濯し、穴をかがってくれた。

 父親が肺の病気で療養中だった。新しいズロースを買う余裕などなかったのだ。

 四〇分ほど山道を降りて行くと、ちょっとした繁華街があり、外れに学校が建てられていた。
 繁華街には衣料品店もあった。粕原さんは女友達がハンカチを買うのに付き合った。

 店には学童用のズロースも山積みにされていた。友達がレジで会計をしていた。
 粕原さんは素早く、ズロースを上履きの入った手提げに入れた。逃げるようにして、友達と店から出た。

 鉛筆や消しゴムも、よく万引きした。一度盗ってしまうと、お金を払うのがもったいなく思えた。それに、家は父親の薬代にも不自由していることを知っていた。

 ◆父親の決断
 中学に入り、父親の病気は全快して山仕事に行くようになった。母親はずっと農協で事務をやっていた。

 粕原さんの成績は悪くはなかった。大して勉強しなくても、いつも学年の中間くらいにいた。きょうだい同様、中学を卒業後は就職するものと思っていた。

 三年に上がり、進路相談の時間があった。担任から、奨学金をもらって高校に行く方法があることを、聞いた。粕原さんは瞳を輝かせた。
 両親は高校進学に二の足を踏んだ。山奥の家なので、下宿するしかなかったからだ。
 しょげかえる粕原さんを見て
「オラが頑張るけん、下宿して都会の高校へ行け」
 と父親は決断した。

 ◆疑惑の目
 中学三年からは万引きすることはなくなった。
 高校でもスーパーに買い物に行くと、ふと誘惑に駆られることがあった。そんな時は
「父ちゃんが悲しむようなこと、したらいかん」
 と自分に言い聞かせた。

 高校に行くと、母親が毎月、郵便局に送金してくれた。引き出すたびに、両親に感謝した。
 いつものように窓口に通帳を出すと、その時に限り、受付が訊いた。
「これ、本当に、あなたのお金?」
 深く考えもせず、粕原さんは
「ええ」
 とだけ答えた。

 郵便局からの帰り、怒りが込み上げてきた。引き返して
「さっきのはどういう意味なの!」
 と問い詰めてやりたかった。しかし、山出しの少女が文句を言ったところで、軽くあしらわれるに決まっていた。

 ◆初めての給料
 高校を卒業して都内の印刷会社に就職した。
 毎日、画面とにらめっこし、印画紙に文字原稿を印字していった。同僚には地方出身者もいて、小さな寮があった。

 初めての給料で、おしゃれな花柄のパンティを買った。
 値段を見てびっくりした。安いのを何枚か買おうかと迷ったが、思い切って奮発した。何か月か衣装ケースに大事にしまっておいた。山積みにされたズロースの印象が強烈だったのだ。

  第2話 手玉


 ◆展示会
 卵が切れたので、団地の前のデパートに行った。
 別の棟に住む友人が、涼みに来ていた。

「知らんの? 公民館で健康器具の展示やっとって、行ったら卵とティッシュペーパー、タダでくれるで」
 その友人は、この種の重大な情報を出し惜しみすることがある。前にも、教えられて行ってみると、展示会は終了していた。友達甲斐がなかった。

 粕原さんは暑い中を公民館へ急いだ。一足違いで卵の配布終了ということだってあり得る。何しろ、世の中には欲の深い輩が多すぎる。
 担当者が親切に案内してくれた。卵とティッシュペーパーは出口で渡していた。卵に目がくらんで来場した、と思われたくないので、上の空ながら、担当者と会場を回った。

「これは、わが社が開発した新製品で、国から医療機器の認証を得ています。特殊な光線が出ていて、睡眠中に体の悪いところに作用し、病気から回復します」

 粕原さんは薄い敷布団のようなものに手を触れてみた。
「どうぞ、どうぞ。ちょっとお休みになってみてください」
 担当は無理やり、粕原さんをベッドに上げた。

 ◆体験
 担当が入り口に来場者を迎えに行った。粕原さんは一人残された。
 担当が戻った。後ろに何人かの来場者を従えていた。
「どうですか。ご気分は」
 どうもこうも、なかった。

「こんな布団でほんまに健康になるのかいな?」
 粕原さんは思ったままを口にした。
「布団じゃありません。医療機器です。言葉に注意してください」
 担当者は少しきつい口調になった。

 粕原さんの頭に、何かがコツンと当たった。担当者が腰のベルトにぶら下げている携帯電話のようだった。体をひねった時、ベッドの粕原さんに当たったみたいだ。

「痛っ!」
 とりあえず、声をあげ、頭を押さえた。
「失礼」
 担当は新たな見学者への説明に夢中になっていた。

 ◆戦闘開始
(ジャパンなんとか言う会社やったな。大きなところみたいやな)
 人の頭に携帯をぶつけておいて、お土産はほかの人と同じか――粕原さんの闘争本能に火がついた。

 翌日、保冷剤を頭に乗せてスカーフをかぶり、粕原さんは公民館へ乗り込んだ。
「頭が痛いんやけど」
 顔をしかめてみせた。
「心配やから、これから病院へ行って検査受けてくるけんな」

 病院ではレントゲンを撮り、脳波も調べた。
「何の異常もないですよ。何、ちょっとした打撲でしょう。薬だけ出しておきますね」
 医者は患者の痛みが分かっていなかった。なぜ、優しい言葉の一つもかけられないのか。

 受付で治療費を請求された。頭に血が上った。
「ウチは被害者なんよ。なんで払わんといかんのや。金はジャパンなんとかいう会社にもらいな」
 カウンターをバンバンと叩いた。奥から事務長が出て来た。
「本日のところはこのまま、お引き取りください」
 やっと、話の分かりそうな人に会えた。

 ◆個人情報の壁
 事務長から何度か電話があった。
「やっぱり、治療費は払ってください」
 という。
 相手に請求したのか、と訊くと
「あなたの個人情報を第三者に出すわけにはいかないのですよ」
 などと訳の分からないことを言った。いくらかかったか伝えればいいだけのことなのに。

 ほったらかしにしておくと、保険会社から電話があった。
 診察料・検査料・薬代は保険会社から病院に支払い、見舞金として粕原さんに三万円支給するということだった。

 三万円は、もう少し釣りあげてもよかった。ただ、暑い中を卵やティッシュペーパーのために、ぞろぞろ公民館に集まる庶民のことを思うと、バチが当たりそうな気がした。人間、欲をかいてはいけない。

 第3話 うまい話

 
 ◆かたき討ち
 まずまずの成果だった。
 粕原さんは気分よく、デパート内を歩き回る。店内の音楽はピンクパンサーに切り替わっていた。

 友達に会って、話し込んだ。
 布団のことが話題になった。
「契約させられたもんがおってな。ベッド付きで一〇〇万超えるんやって」
 さすがの事情通だった。

「しつこいんよ。『ウチはカネ、ないで』って言うたら、郵便局まで付いてきて『預金残高を教えろ』って。やっぱり、タダより高いものはないなあ」
 友人もひどい目に遭っていたのだ。粕原さんはまさか、あの連中から三万円巻き上げた、とは言えなかった。

 ◆還付金
「さあ、これから郵便局に行って、税金の還付金受け取るんや」
 友達は立ちあがった。
 聞き捨てならない話だった。

(なんで、ウチには還付金がないんや。ウチやって税金いっぱい取られとるのに)
 役所のミスに違いない。ここはひとつ、友人に還付金がもどる様子を確認しておいて、後から市役所にねじ込んでやろう、と考えた。
「ウチも郵便局に用事あるから、一緒に行くわ」
 友人に同行した。

 ◆お手柄
 友人はキャッシュコーナーで携帯電話を出した。何やら指示を聴いている。キャッシュカードを差し込み、タッチパネルの操作を始めた。

(よう見とかんと、ウチはあんなに上手には操作できんわ)
 粕原さんは画面に顔を近づけた。
(ほんまに役所の手続きはややこしいなあ)
 粕原さんはうんざりしてきた。
 友人は少し焦っていた。それでも操作は終わりに近づいたらしい。友人は大きく息をついて、パネルに手を触れようとした。
「ちょっと待ってや! 送金になっとるんと違う!」
 郵便局員に粕原さんの声が聞こえたのか、すっ飛んできた。間一髪だった。

 応接室に通された。
 友人は局員から、うまい話には乗らないよう、しつこく注意を受けていた。
「いやあ、あなた、お手柄ですよ。よく気づかれましたね」
 粕原さんには声の調子をガラリと変えた。
「大事な友達でしょ。還付金なんてあり得ない話だから、わたくし、付いて参ったのですよ」
 粕原さんは軽く咳払いした。

 第4話 食べ物の恨み


 ◆へそくり
 がっくりと肩を落とす友達をなだめながら、粕原さんは淑女の社交場・デパートに戻った。少し気が大きくなっていた。
「今日は、お昼おごるわ。まあ、元気出しなよ」

 蕎麦屋やうどん屋には悪い記憶しかない。ファミレスにした。
 二人でハンバーグ定食を注文した。
 粕原さんは消費者がいかに弱い立場にあるか、体験談をもとに友人に説いた。
「大企業は横暴なんやから、あんたも気をつけんとあかんで」
 友人は頭が上がらなかった。

 図らずも、健康布団を契約した団地住民の話になった。
「あるところにはあるんや。がめつう貯め込んどる家もあるんやなあ。そんなのは団地から出て行ってほしいわ」
 友人も同感だった。

  ◆優先順位
 休憩時間が近づいていた。
 女店員が店の掃除を始めた。バタンバタンと騒々しい。
 粕原さんも、そろそろだとは思っていた。最後の楽しみに残しておいたのは、肉汁のしたたりそうな、ハンバーグの一番厚い部分だった。

 おいしいものから手を付けるか、最後に残しておくかは人生観の問題だ。
 友人は真っ先にハンバーグを平らげていた。それはそれでいい。粕原さんは高い金を払って外食するのだから、楽しみは最後まで取っておくことにしていた。

 ナイフとフォークを構え、標的を定めた。いよいよ至福の時間なのだ。
 ところが、皿がスッと動いて、粕原さんの手が空を切った。
「よろしいですか」
 店員が皿を片付けようとしていた。
 粕原さんの目がハンバーグの行方を追った。皿は無造作にワゴンに重ねられた。

 ◆土下座
「店長、呼べ!」
 人生でこんなに怒ったことは初めてだった。
「お前が店長か! 一体、どんな従業員教育しとんや」
 店長はただ頭を下げるだけだった。

「こんなに、くそほうけ(バカ)にされたのは初めてや。それとも何か。ウチに恨みでもあってやってるか。突っ立ってないで、言うてみ」
 女性店員は土下座した。しゃくりあげている。
「すみませんでした」

 粕原さんは店長を突き飛ばした。
「あないして部下が謝っとるのに、ようお前は平気でおれるな」
 店長も土下座した。

「これ、常識的には土下座くらいでは済まんで。一応、土下座して謝っとるところ、写真撮らしてもらうからな。後でごじゃごじゃ言われたら、かなわん」
 粕原さんはガラケーを取り出した。
「まあ、あんたとこの本部とも、よう相談してみ。また、来週、寄るわ」
 粕原さんはレシートを破り捨てた。

 友人は青ざめていた。とんでもない昼食になった。
「あれくらい言うてやらんと、ボンクラには分からんのや」
 粕原さんは気持ちの切り替えが早かった。友人はまじまじと粕原さんを見つめた。
「ちょっと寄って、コーヒーでも飲んで行かんで」
 粕原さんは誘ったが、友人はとてもそんな気分ではなかった。


 第5話 消費者教育

 
 ◆グレードアップ
 客の少なくなる時間を見計らって、粕原さんは友人とファミレスに出かけた。
 店員は出てこなかった。
「ほら、客やで」
 粕原さんは奥に声をかけた。

 水を出す女店員の手が震えていた。
「話し合いは、食事の後や。今日はステーキにしようかな」
 こんな機会でもなければ、ステーキなどにはありつけなかった。時間をかけて、堪能することにした。

「お下げしても、よろしいでしょうか」
 店員は訊いてきた。
「はい。いいですよ。ご苦労様」
 粕原さんは、やさしく店員をねぎらった。
「あと、お紅茶もいただこうかしら」
 せっかくの食事なのに、友人はそわそわと落ち着かなかった。

 ◆深謝
「先日は、大変失礼いたしました」
 紅茶を飲んでいると、店長が出てきた。
「私も少し言い過ぎたかな。で、本部には報告したん」
 店長は白衣のポケットから封筒を取り出した。

「これは、ほんのお詫びの気持ちです。どうかお納めください。わが社のグループ店で使える食事券になっています」
 粕原さんは封筒の厚みを確かめた。薄っぺらだった。

「結局は、自分とこで食事してもらおうちゅう魂胆かいな。身を削ってでもお詫びしようという気持ちはないのかいな」
 粕原さんはテーブルを叩いた。

「どうかしましたか」
 ガードマンだった。
「休憩時間の案内板が出ているのに、声がしたものですから」

 ◆プライバシー
 ガードマンは粕原さんに気づいた。
「また、あんたか」
 粕原さんは立ちあがり、ガードマンに詰め寄った。
「どういう意味よ。ウチが何をしたっちゅうの。事と次第によっては、承知せんで」

 ガードマンは粕原さんを椅子に戻した。
「いや、その…。また店で失礼なことでもあったのかと」
 ガードマンはしどろもどろになった。まさか、店員周知のことであっても、そこにいるのが万引き常習者、和製ピンクパンサーだ、などとはおくびにも出せなかった。プライバシーは個人情報保護法によって、固く守られている。

 店長が先日のいきさつを説明した。
「ウチら、そんな仕打ち受けたんや。まあ、反省して謝ったから、この間は引き下がったけんどな」
 粕原さんはガラケーの写真を見せた。店長と店員が土下座しているものだった。

 ◆悪運
 ガードマンの表情が変わった。
「これは強要罪ですよ。ご丁寧に写真まで撮ってくれている。こういう写真をSNSに投稿して逮捕された人は多いのですよ。あんたの悪運も尽きたかな」
 ガードマンは薄ら笑いを浮かべた。
「なんやねん。そのSNSとか強要なんとかとか。日本語でちゃんと説明せえ」

 怒り狂う粕原さんを女店員が遮った。
「違うんです。悪いと思ったので、私から土下座して謝ったのです」
「ボクもそうでした」
 店長だった。

 クーリングシェルターから出ると、めまいがするような暑さだった。
 粕原さんは汗を拭き拭き、前かがみになって団地に急いだ。
「それにしても、あのクソガードマンの顔、見ものやったなあ」
「そうよねえ、粕原さん。ガードマンこそ土下座させたかったなあ」
 友人も社会勉強を積んできた。しかし、初学者は危険だ。
「そんなことしたら、SNSで捕まる言うとったやろ」
 助言を忘れない粕原さんだった。
 友人には粕原さんより情報通信に関する知識があった。しかし、間違いをいちいち指摘するような、ヤボなことはしなかった。


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