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塩澤幸登『人間研究 西城秀樹』河出書房新社

歌手の西城秀樹が亡くなってから4年が経過するが、いまだに惜しむ声が絶えないという。熱狂的なファンは、死ぬまで彼のことを忘れず、彼の音楽を聴きつづけるという<ヒデカツ(秀活)>という行為をしているという。

ヒデカツには、①一直線型、②ブーメラン型、③新規発生型の3つのパターンがあるが、著者はブーメラン型だという。彼の死により戻ってきたという意味であろう。

著者は平凡出版(現マガジンハウス)の元雑誌編集者である。ジャーナリストたちが彼をどう見ていたかという問題を追いかけるとともに、さまざまな人が書いたことなどをハッキリわかる形で永久保存するため、記録として集めたものであるという。

そのため著者がブログ[沈黙図書館]に書いた文章および彼の熱心なファンの方たちから送られてきたレポート、さらに過去の新聞、雑誌その他に掲載された記者や著名人などの文章、「西城秀樹芸能活動年表」を掲載している。野口五郎の青山斎場での弔辞もある。

著者は、彼の死から、二人の偉大な芸能者を想起したという。それは、石原裕次郎と美空ひばりである。裕次郎47歳、ひばり49歳、そして彼は48歳で最初の病魔に襲われている。また、戦後昭和の大衆文化において、裕次郎やひばりと同じように一生を捧げた人であるという。新御三家などという小さな枠を超えているともいう。

彼は”歌謡ロック”を確立させたパイオニアであるが、海外の楽曲をカバーしてるため評価が低い。日本は原版印税が大きく、歌唱印税が極端に低いためか、「音楽表現」「歌唱表現」が軽視されてきた。しかし、自ら作曲しているのもかかわらず、シンガーソンラーターの道にも進まなかった。

彼が敬愛していたエルビス・プレスリーは、すべてエルビスの作曲作詞ではない。フランク・シナトラも同様である。ホイットニー・ヒューストンやセリーネ・ディオンもグラミー賞シンガーとして名声を得ている。しかし、日本レコード大賞は外国のカバー曲は対象外となっている。

新御三家の野口五郎はデビュー曲がまたたく間にヒットした。郷ひろみもデビュー曲はヒットしなかったが、すぐに路線変更しヒットを出した。しかし、彼はシングル5枚目でやっとヒットが出た。一つの路線をまもりつづけて生き延びた例は演歌歌手では多いが、ポップスで、しかもアイドルは少ない。

当初『新人三羽烏』ということで、田頭信幸、伊丹幸雄とともウエスタン・カーニバルに出演した。1972年当時、1学年上の伊丹、20歳をすぎた田頭より、16~17歳で同学年の野口、郷、西城の合わさり具合が良い『新御三家』が雑誌の表紙をかざることになる。たぶんに人気との関係があるとは思う。

1979年、自ら探してカバーした「ヤングマン」の空前の大ヒットにより、第10回日本歌謡大賞、第8回FNS歌謡祭グランプリ、第12回日本有線大賞・有線音楽賞などを総なめしたが、日本レコード大賞は外国カバー曲ということで受賞できなかった。

『週刊文春』2018年7月26日号の「わが青春のアイドルは誰だ?」のアンケート結果は、女性1位は山口百恵であったが、男性1位は西城秀樹である。第1位西城秀樹1942票、第2位沢田研二1833票、第3位郷ひろみ675票と、西城、沢田が大きく他を引き離している。

2018年5月16日23時53分、急性心不全で永眠、63歳であった。青春アイドルの西城秀樹のファンにとっては手元に置きたい本である。


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