愛されることではなく、愛することを目指す。
久しぶりに古典を読んでいる。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』
妻との離婚をたびたび考える今日この頃、はて、愛とはなんなのかを知りたくなったのだ。
古典だが、読みやすく内容もそれほど難解ではないので、意外とサラサラと読める。
私が小学生のとき、KinKi Kidsの曲で『愛されるよりも愛したい』という曲が流行ったが、その曲名を見た時、「え、意味わからん。普通に愛されたいけども!」と感じたのを覚えている。
そして、37歳となった今でも、「愛するよりも愛されたい」というのが私の価値観だった。
しかし、この本を読んで、むむむ、となった。愛されることを求めている限り、私にとって真の心の平穏や幸福はいつまでも訪れないのではないか、と思うようになった。
冒頭のこの一文に胸をえぐられた。
こんな強烈な一文は、なかなかお目にかかれない。
愛するとは、生半可なものではない。人格全体を発展させないといけない。そして、それが生産的な方向に向かうように全力で努力しないといけない。(生産的な方向というのが分かりずらいけど・・・)
ちょっと、まってくれ。
私が青春時代に何度も聞いたミスチルの『名もなき詩』には
「愛はきっと奪うでも、与えるでもなく、気がつけばそこにあるもの」
という非常に有名な歌詞があったけど、これとフロムさんがいっていることは真逆ではないですか。。。
そして、私が37歳生きてきた上での実感では、どうやらフロムさんの言っていることのほうが正しい気がする。
愛は気がつけばそこにあるものではなく、人格全体を発展させ、かつそれを生産的な方向に向かうように全力で努力しなければ、成し得ないもの、だと思う。
フロムはこうも言っている。
愛するというのは、なんと奥深いものなんだろう。
逆に言うと、愛することができないということは、一人の人間として未熟なのだと考えた方がいいのかもしれない。
まあでも、愛することができる人間になることと、妻との離婚はまた別問題な気がする。
とはいえ、愛することができる人間を目指すことは、私の人生にとって、非常に大事な指針になると思った。
まだ、この本は読んでいる途中なので、最後まで読んで、愛についてもっと学ぼうと思う。
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