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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene36

 2011年、福島県で原発事故が起きた。その日以来、福島県に対して原発事故のイメージが強く抱かれるようになり、時には忌避されるようになった。自分自身もどこかにそういうイメージを持っていたが、福島に住み始めて1年がたち、必ずしもネガティブなものばかりではないということを知った。ポジティブなこともある。もちろん、だからといってポジティブなことばかりでもないし、ネガティブに思われている放射能についても汚染の度合いにグラデーションがあり、何でもかんでも危険だと十把一絡げに語れるものでもなかった。その「複雑さ」こそが、福島を語ることを難しくしていた。メディアは、そんな複雑な福島の一点を抽出して伝える。限られた放送時間(もしくは紙面や誌面)のなかで伝えたいことがあるなら、情報を取捨選択しなければならない。伝えたいことは何か?そのためにはどの情報をどういう映像や言葉で伝えるのか?福島の場合、これがネガティブな面に偏っているように感じていたし、取材をしているとそういう声を寄せられる。だからこそ「畑の味のフレンチ」や「まちのうた」のような番組を制作してきた。なぜ、そうなってしまうのか?原発事故を象徴するモノとして、放射能の影響を注視する取材者が多く、みんながみんな同じようなことを取材するようになり、同じようなことばかりが発信されることになる。結果、イメージが固定化、いや増幅されてしまっていたのではないだろうか。原発事故だけではない、放射能だけではない、震災だけではない福島も伝えなければ誤解されてしまうことだってある。だからこそ、「複雑さ」をそのまま描こうと、「あさイチ」の被災地の旅(通称「アッキー旅」)を企画することにした。

 だが、ことはそう簡単ではなかった。そのことをアッキーとのロケで感じることになる。福島県にアッキーを迎え、まず向かったのは浪江町。原発事故によって通行が禁止されていた区間が再開通した国道6号線、その北側地点の近くにある営業を再開したコンビニが最初のロケ場所だった。「まだ人が暮らせない場所」ではあるが、日中はその店を利用する作業員たちが「仕事をする場所」であることを感じてもらうためのスポットで、私にとってその場所は帰還困難区域に灯された光だった。しかし、初めて浪江町にやってきたアッキーは、そう感じていなかった。コンビニの隣にある町への立ち入りを禁じるゲートとその向こうの静寂が包む街並みを見て、事故から4年がたとうとする今も人が暮らすことができないという厳しい現実に大きな衝撃を受けていた。コンビニでのロケを終えると、通行は可能になったが駐停車が禁止されている双葉町・大熊町・富岡町をタクシーで通り抜けた。アッキーは乗車しながら、放射線量を測定。その数値は最大で4.38だった。避難指示の解除の基準となる数値・毎時3.80マイクロシーベルトを上回る数値。しかも、本来であるならば、タクシーから降りて、立ち止まり、高さ1mに機器を置いて計測しなければならない。車内で、さらに時速40キロ程度で移動していることを考えると、表示される数値よりも高いことは明らかだ。もともと福島の厳しい現実の部分を伝えるためのロケ場所であったが、アッキーの表情はますます険しいものになっていった。

 さらに車で移動して、避難指示解除準備区域に指定されている楢葉町へ。すでに住民の一時立ち入りが可能になり、役場のとなりの敷地には飲食店や銀行や郵便局などがいくつか集まり、「ここなら商店街」という仮設のモールができていた。原発事故前に、この楢葉町で中華料理店を営んでいた夫婦が再開させた店を訪ねると、ようやくアッキーの表情が和らいた。名物のレバニラ定食を食べ、「いつかまたこの町で自分たちの店を持ちたい」という言葉を聞いて、「必ずまた来ます」と約束して店を出た(実際にアッキーはその後もロケのたびにこの店を訪れている)。その後、アッキーには町役場にも立ち寄ってもらった。町の放射線量がどういう状況にあるのか、担当者に会って話を聞いてもらうためだ。楢葉町では、住民の立ち入りが許可される前に、役場職員の数名が先行して1ヶ月間にわたって楢葉町の自宅で寝泊まりし、その際の被ばく線量の平均値が公表されていた。つまり、その値を12倍すれば、年間の被曝線量の数値を推測することができることになる。この数値は、多くの住民が臨んでいる年間1mSvを下回るものだった。その説明を受けたアッキーは、まず驚いていた。だが、表情は曇らせたまま。その数字をどう受け止めていいのかわからないようだった。数値が低いことは理解してくれたが、釈然としていない様子。本当にそんなに低いのだろうかという疑問が拭えていないようにも見えた(私が福島県に転勤してすぐに取材に入った都路で受けて同じように感じたことを思い出した)。事故が起きた原発に近いからといって必ずしも数値が高いわけではないという「複雑さ」をアッキーに感じてもらいたかったし、そのことは理解してもらえたようではあった。ただ、実はここで本当に大事なのは、疑問が拭えないように見えたことにある。なぜ、客観的な事実である数値を、その町で暮らす当事者である町役場の職員から説明されても受け止められないのだろうか。町をよく知る住民と、外からきた人の受け止め方のギャップこそ、考えなければならないことなのだろう。

 私の企画意図とアッキーとのズレはまだ続く。今回の番組において、自分自身としても挑戦であった東京電力社員の職場となっていたJヴィレッジでのロケ。東京電力も、原発事故や福島の復興を考える上では間違いなく欠かすことのできないピースのひとつだが、住民たちに苦難を強いている加害企業として、その声がマスメディアに載ることはほとんどなかった。私はその状況にいびつさを感じていたし、そのいびつさに気づいてもらいたくて取材先として選んだ。しかし、Jヴィレッジを訪ねたアッキーは終始、ここでも表情を曇らせたままだった。そして、最後にサッカーグラウンドに建てられた社員が暮らす仮設の寮を訪ねて、小さな声でこう言った。
「起こした事故の大きさを考えると、社員たちも大変だという気持ちは持てない」。
この場所をどう受け止めて、何と発言すればいいのか迷っているようにも見えたし、これまで出会ってきた被害者のことを思っての発言にも聞こえた。東京電力に対して厳しい意見が大勢であることはわかっていたし、私自身も擁護をしたかったわけでもない。だが、東京電力の社員が説明すればするほど、そういう風に聞こえてしまう。ただ、こういう人たちも福島にいるということを伝えたかったのだが、すんなりとは受け取ってもらえない。事実と受け取り方、その間に生まれる個人差。「事実を伝える」ということだけでは足りない何かがある(もしくは余計な何かなのかもしれない)。そして、この事実と受け取り方の個人差については、このあとも痛感させられることになる。

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