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ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene37

 きちんと説明すればわかってもらえる。福島に対するイメージを変えることができる。どこかでそんなふうに思っていた。でも、こちらが思うように受け取ってもらえることばかりではない。それは、ロケで福島にやって来たアッキーこと、篠山輝信さんだけではなかった。撮影したテープを携えて向かった東京。かつて頻繁に籠もっていた「あさイチ」の編集室でも同じだった。「あさイチ」は、スタジオにいるMCが数本のVTRを見て番組を進める。今回であれば、VTRは4つ〜5つ。1つめは浪江町、2つめは双葉町〜大熊町〜富岡町、3つめは楢葉町、4つめはJヴィレッジの東京電力、5つめはいわき市といった具合だ。まず3日ほどかけて編集マンと映像をつなぎ、プロデューサーとデスクに試写をしてもらう。どんな場所でどんな内容を撮影しているのか、2人とは事前に打ち合わせをしている。だが、それでも2つの壁にぶつかった。1つは東京電力のVTR。「どう見ていいかわからない」という。そこでの活動を説明すればするほど「東京電力が頑張っている」と擁護しているように見えるという。だから極力、短くしようということだった。仕事として取り組んでいることが、なぜ頑張っていると見えるのか?擁護しているつもりはなかったけれど、どうして擁護して見えるのか?(そもそも頑張ってるように見えていけないのか?ある部分では擁護してはいけないのか?)そんな疑問が浮かんだが、想定内だった。今回の番組では、とにかく「東京電力を取り上げること」を目的に据えていた。原発事故や福島県の復興を考えるときに、東京電力というプレイヤーもいるんだということに気づいてもらえる機会になればいい、そう思っていた。だから短くしてでも紹介できれば良し。もう1つの壁は、楢葉町の町役場で放射線量について職員から話を聞いている部分だ。放射線に関する説明がどうしても長くなってしまい、VTRの尺が伸びてしまう。「あさイチ」のVTRの目安は4分ほど。短く、キレよく。それは担当しているころに意識していたことであったし、だからこそ見やすい番組になることも間違いなかったので、どうしたら短くできるのか悩ましい問題だった。そもそも、どのVTRも内容が盛りだくさんのため、特集枠に与えられた時間を考えると相当削らなければならなかった。その後、再び編集に取りかかっては試写ということを繰り返す。その結果、「町役場」の部分は全て落とすことになってしまった。

 放送前日の朝10時過ぎ。その日の放送を終えたMCとの打ち合わせ。イノッチこと井ノ原快彦さん、有働由美子アナ、柳澤秀夫解説委員。3人に向けて、どんな内容で、そのねらいは何なのか、ディレクターが説明をする。「あさイチ」を制作する中で、一番緊張する場面だ。だが、ここでも東京電力のこと、楢葉町の放射線量について、納得してもらうことができなかった。特に楢葉町の放射線量に関してはVTRで落とした数値も持ち出して説明をしたのだが、疑問が相次いだ。MCとしてはVTRを見た後に、その情報について何らかの感想を述べることになる。そのため、これは喜ぶべきことなのか?不安に寄り添うべきなのか?喜ぶべきことならば、それを喜んだとして、傷つける人はいないのか?国が示す避難指示解除の基準で話を進めていいのか?質問を受けるたびに答えるが、スパッと言い返すことできなかった。なぜなら、避難指示が解除されることを望んでいない人もいるし、国が示す解除の基準や長期的な目標として掲げる数値ではなく震災前と同じ放射線量に戻してくれという人もいる。そう、事態は複雑で、その複雑さをわかってもらいたくて「必ずしもそういう人ばかりではなく・・・」と正確に伝えようとするが、そうなるとそういう人のことも考えるべきだよねとなる。しかし、そこまで丁寧に説明する放送時間はない。すでにこの場で放射能と現状を説明するだけでも20~30分はかかっている。今回の特集に与えられている時間はおよそ50分。VTRが5本で30分近くあり、VTRを見た後のスタジオトークはそれぞれ4分前後ということになる。それぞれの市町村がどういう状況にあるのかという情報を整理して、住民の感情も個別に異なるというように話を深めていくほどの時間はなかった。福島の「複雑さ」を伝えようとあれこれ詰め込んだ結果、情報過多になっていた。最終的に、助け舟を出してくれたプロデューサーが見出した落としどころは「まだまだ厳しい」「難しい問題」といったところでしょうか、だった。思うようにはできなかった。願っていたことは伝わらなかった。福島の光と影の両面を、その「複雑さ」を感じてもらいたいと制作を進めてきたが、そこまでは到達できなかった。私の見込みが甘く、そしてそれを叶える実力も不足していた。

 そして迎えた放送当日。担当していた特集は滞りなく、進み、終わった。当然のことながら、消化不良だった。「6号線」という軸、「あさイチ」という枠で思い描いていたような形にはならなかった。放送後、有働アナからはこう言われた。「VTRはどれもいろいろ考えることができる可能性があったけど、スタジオトークの時間がぜんぜん足りなかった。もったいなかったね」。前日の打ち合わせのようなやり取りをそのままスタジオで展開できる時間と、それを実現するための準備があれば、また違ったかもしれない。素朴な疑問や素直な感想を通して、福島県の「複雑さ」を視聴者に感じてもらうきっかけになったかもしれない。なぜそれができなかったのだろうか。私が福島に暮らすようになって1年半、福島がどう見られているのかということを住民として感じてきた。その見られ方が画一的で、偏りがあると感じていたからこそ、そうではないものを描くことで別の側面も知ってもらいたかった。だからこそ、みんなが思っている福島(つまりは「原発事故」や「放射線量が高い」)のイメージをもとに、そうではない福島(「東電社員」や「放射線もそうでもない」)を拾い上げたが、「いやいや、そもそも福島ってさ・・・」ともともとのイメージで切り返されてしまったのかもしれない。みんなが思っている福島を(放送時間がないからと)スルーしたことが、違和感を抱かせて「ちょっと待って」とストップがかかってしまったように思う。結局のところ、今回取り上げようとした「福島の光と影」は、私が切り取った「光」と「影」でしかなく、切り取られなかった部分に疑問を持たれることになってしまったということなのだろう。さらに考えさせられたのはTwitterに上がっていた感想だった。福島のこと、原発事故のこと、放射能のことについて詳しく勉強している人たちからは「わりと冷静に福島を描いている」と一定の評価がなされていた。しかしそんななかでも、帰還困難区域をタクシーで通るVTRでなぜそんなおどろおどろしい音楽をつけるんだ、恣意的だというツイートがいくつかあった。担当していたディレクターとしては正直気にしていなかったが、そういう細かな部分まで指摘されるほど厳しい目で「福島の描き方」が見られているのだと驚いた。そして、困惑した。立場によって見え方が変わり、「東京の人たち」と、「福島を正しく伝えて欲しいと声を上げている人たち」との間には大きな溝があることに。

 ただ、うれしいこともあった。今回のあさイチで「複雑さ」を描くことともうひとつ目標に掲げていたことがあった。それは、視聴率。前年の震災3年で制作したNHKスペシャルよりも見てもらえる番組を制作したいと願っていた。その結果は、NHKスペシャルの2倍の数字だった。もちろん普段から「あさイチ」視聴している人たちのおかげで得られた数字であることはわかっていたけれども。ただ、どう見てもらえたかはわからないが東電社員やいわきの萩シェフや農家の白石さんといった福島のイメージからはずれるものを多くに人に見てもらえたということに少しだけ救われた気持ちになった。

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