見出し画像

ソリューション・ジャーナリズムを試みる ―震災と原発事故の伝え方― scene26

 萩シェフのドキュメンタリー番組の企画は無事に採用された。そして臨んだ撮影。ロケは10日ほどになり、映像素材は30分テープ39本となった。今回の番組は25分。つまり38本分の素材は落とすことになる。NHKに入って教わった目安は放送時間1分につきテープ1本。今回で言えば、つまり目安の本数は25本。それをはるかに上回る本数で、テープをすべて見返すだけでおよそ20時間かかる。その後の編集は1週間しかなく、撮影した素材をすべて見るだけでも2日がかり。残された5日で、3~4度の試写を受けて、番組を仕上げなければならない。限られた時間のなかで映像を何度も編集しながら、ナレーション原稿をひねりだし、書き直していく。そんな状況で、放射能という言葉を発しない番組への挑戦が始まった。

 しかし、そう意気込んだところで「放射能」という言葉と今回の番組を切り離すことは非常に難しいものだった。理由は明白。実際に、福島の多くの人が放射能の影響を受けているからだ。2011年の原発事故以来、避難するかどうか、帰還するかどうか、福島県産の作物を食べるかどうか、福島県民が何かを選ぶ時に、考えるべき大きな要素の一つとして放射能がある。そうなると当然、伝えるときにも「放射能が理由で避難を決めた」「放射能への不安が拭えず帰還を断念」「放射能を心配して福島県産は避けている」といったように、「放射能」という言葉が一緒に添えられることになる。萩シェフもまた、放射能の影響で1日1組の営業スタイルで野菜の味にこだわった料理をつくるようになっていた。どうやって「放射能」という言葉を使わずに切り抜けるのか?最初の関門はオープニングだった。いつもの通りに考えるのであれば、
・福島県いわき市にあるフランス料理店。
・そこは1日1組というちょっと変わったお店。
・原発事故による放射能の影響で苦しむ生産者を支えたい。
・シェフはその思いを胸に、地元の野菜にとことんこだわった料理を作り続けています。
という具合だろう。萩シェフが野菜にこだわる理由として放射能が出てくる。この言葉を使わずに、放射能について語れないかと考えた。どういうことか。実際にオンエアされたナレーションがその答えだ。
・福島県いわき市。
・街の一角に小さなフランス料理店があります。
・お客様は1日に1組だけ。
・それには理由があります。
・地元の畑で獲った新鮮な野菜を、その日のうちに味わってもらうためです。
・原発事故から3年。
・きびしい検査を行っていても、首都圏の3割の人が今も福島の食べ物を買わないと言います。
・地元でおいしく食べつづけていれば、いつかきっと変わる。
・シェフはそう信じて、毎日腕を振るっています。
・地元の野菜を主役にしたフランス料理。
・ここでしか食べることができない料理を求めて、東京や名古屋九州からもお客様が訪ねてきます。
・これは、福島県いわき市の畑の味にこだわったフランス料理店の物語。
「きびしい検査」というのは、野菜にどれだけ放射性物質が含まれているかを調べる検査のこと。通常なら「放射性物質」という言葉を加えるところだ。しかし、食の話で、きびしい検査と言えば、福島県内においては放射性物質の検査以外には考えられない。そのあとに、首都圏の消費者が買ってくれないと言えば、県内の視聴者はまず理解できる。言うまでもないことだから、言わずにすませることができた。放射能という言葉を使わないからといって、放射能というものがなかったことにするわけではない。みんながわかっていることだから、そのことがわかるように言おうと言葉を選び、どうにかこうにか「放射能」という言葉を使わず、25分の編集を終えた。

 ただ、編集を終えてナレーションを入れる直前、原稿の最後の修正をしている時に、プロデューサーやデスクから1カ所だけ「放射能」という言葉を使おうと求められた。
「ヤマトの意図や思いはわかる。ただ、ここは使ったほうがいい」
それは番組の中盤、萩シェフが野菜にこだわるようになったきっかけを語る部分で、「放射能の問題に揺れる地元の野菜と正面から向き合うことになった」とコメントしたいということだった。すぐにはOKを出さず、ほかの言葉に言いかえることができないかと思案してみた。そして、いくつかの案を提示したものの、2人に納得してもらうことはできなかった。最終的にはその1か所だけ、放射能という言葉を使うことを受け入れることにした。使わないことが目的ではない、放射能という言葉を使わずに25分番組を作りきりたかったと思うのは制作者のエゴなのかもしれないと考えたからだった。

 放射能という言葉を使わないようにと試行錯誤してわかったのは、それが非常に便利な言葉だということ。わずか3文字で、日本中の人に福島県の苦境を理解してもらえる。もともと原発事故が起こる前まではどこか非現実的な言葉として使われていたが、事故が起きたことで自分たちが暮らす世界を一変させた特別な言葉としても機能しているように思う。だからこそ、この言葉を使うことは特別な何かと対峙しているような気分にさせられるある種の魔力がある。この言葉を使う人たちの胸の奥には、この日本が乗り越えるべき問題と向き合っているから使える言葉だという高揚を生み出していたかもしれない。でもだからこそ、この番組では「放射能」という言葉を使わずに作りきりたかったと今なお少し後悔している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?