「昭和天皇の全国巡幸」 村田春樹(今さら聞けない皇室研究会顧問)


この紀元節(二月十一日)に福岡県久留米市での建国記念式典に、記念講演講師として招かれた。その際福岡県佐賀県の昭和天皇巡幸の土地をあちこち訪ねて歩き、道中様々な思いがこみ上げてきたので今月から2回、昭和天皇の戦後の全国巡幸について語りたい。まずその前に終戦直後の国民の皇室に対する感情について述べよう。昭和二十年八月十五日正午の玉音放送直後、国民の反応はどのようなものだったのであろうか。ここにその日の午後の皇居前広場の様子のルポルタージュがあるので紹介したい。


静かなやうでありながら、そこには嵐があつた。国民の激しい感情の嵐であつた。広場の柵をつかまへ泣き叫んでゐる少女があつた。日本人である。みんな日本人である。この日正午その耳に拝した玉音が深く深く胸に刻み込まれてゐるのである。ああけふこの日、このやうな天皇陛下の御言葉を聴かうとは誰が想像してゐたであらう。戦争は勝てる。国民の一人一人があらん限りの力を出し尽くせば、大東亜戦争は必ず勝てる。さう思ひ、さう信じて、この人達はきのふまで空襲を怖れずに戦つて来たのである。それがこんなことになつた。あれだけ長い間苦しみを苦しみとせず耐へ抜いて来た戦ひであつた。泣けるのは当然である。群衆の中から歌声が流れはじめた。「海ゆかば」の歌である。一人が歌ひはじめると、すべての者が泣きじやくりながらこれに唱和した。「大君の辺にこそ死なめかへりみはせじ」この歌声もまた大内山(皇居の美称)へと流れて行つた。またちがつた歌声が右の方から起つた。「君ヶ代」である。歌はまたみんなに唱和された。ああ、天皇陛下の御耳に届き参らせたであらうか。天皇陛下、お許しください天皇陛下! 悲痛な叫びがあちこちから聞こえた。一人の青年が起ち上つて、「天皇陛下万歳」とあらん限りの声をふりしぼつて奉唱した。群衆の後の方でまた、「天皇陛下万歳」の声が起つた。将校と学生であつた。

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