―歌詠みの国― 野伏翔(映画監督)
新緑が五月の風に揺れ、陽の光に白く輝いて美しい。タンポポの黄色に始まり桃や桜のピンク、つつじの燃える紅。色とりどりのハナミズキ、そしてチューリップやバラも日本の春を装い私たちの目を楽しませてくれる。更に真夏の深緑、秋の紅葉と冬の雪景色。日本の四季は一年中日本人の目を楽しませ心を癒し続けてきた。故に日本民族は古来より自然を愛し歌を詠み、江戸時代に完成した俳諧は世界に類を見ない季語を必要条件とする最も短い詩の形を生み出した。
しかし日本人の歌心は神代の時代から延々と続いている。「古事記」にはスサノオノミコトの「やくも立つ いずもやえがき つまごみに やえがき作る そのやえがきに」と、妻になるクシナダヒメへの思いを詠んだ歌が記されている。七世紀から八世紀に編纂されたという万葉集では、天皇から貧しい百姓までもが詠んだ歌が、東北から九州まで集められ、その数は4500種に上るという。身分を問わず上から下まで皆詩人だったのである。更には武将たちもその多くが名歌を残している。「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」これは豊臣秀吉の辞世の句。百姓の生まれで特に学問は無かったはずの秀吉にしてこの歌である。宮本武蔵の「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み入れば 後は極楽」は正に剣道の極意であり、後の日本軍人の突撃精神に繋がる。吉田松陰の「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちるとも 留め置かまし 大和魂」はあまりにも有名である。上杉謙信の辞世の句「極楽も地獄も先は有明の 月の心に 懸かる雲なし」も私の好きな句だ。
東洋の野蛮国と思っていたジャパンの侍、ウォーリアーズたちが皆ポエムを書くのか!と明治期に初めて日本の文化に触れた西洋人たちは一様に驚いたと言う。西洋もアラブ世界も中国大陸でも戦士たちが皆詩人であった国などは皆無だ。ヨーロッパ人の先祖であるバイキングなどは公然と略奪、虐殺を生業としており文学などとは縁のない力だけに頼る凶暴な野蛮人であった。同じ頃「やあやあ我こそは」と名乗りを上げて戦った源平武者との品性の差、教養の差は歴然としている。日本人というものはある意味特殊な民族なのである。きわめて情緒的であり自然の植物は勿論、動物に対しても残酷な殺し方などはできない優しさがあり、人間の性善説を信じやすい善良な国民性であるのだが、それ故の甘さもある。
そこでこの度のG7サミット。各国首脳たちに原爆資料館を見学してもらい原爆慰霊碑に献花をしてもらった。マスコミ各社はこの「成果」を称え核廃絶への道を示した岸田首相の支持率は上がったと報道した。しかし
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