あきらめ回線がショートしているこころとからだ

もともと体調不良をずっと抱えているので、定期的に整体などに通っています。

結構長く通っているのだけど、改めて「どんな人生送ってきたの??」とついこないだ言われまして。

仙骨、という骨は人生の影響を受けるらしく、自分のは複雑にねじ曲がっているようです。

いままでも折れ気味とは言われてきたものの、改めて言われると、今までのたくさんの体調不良も納得というか。

とはいえ、世界にはいろんな経験してきた人がいて、それに比べたらそんなじゃないと思うのですが、確かに「日本の家庭での平凡な日常」からは程遠い20年くらいを送ってきています。

できごとと共に体調も良かった記憶もほとんどない。
その状態で上京し、普通に丸の内OLしたり講師をしたり勉強したり、子育てしたり、ママチャリで保育園送迎したり。

高校生の最後あたりでもう体調不良で、そこから上京しようとは考えないと思うのだけど、「このまま田舎で年とりたくない!」と無理やり上京。

地元にいたときの状態から考えたら電車に乗るのも、働くのも難しいのに、満員電車でOLする。六本木や渋谷なんかの人ごみを歩く。

こどもが不登校になったときも、自宅作業(なぜか時差に合わせて夜中〆とか)と親の入院と、って重なって、もともと過労で倒れている身には負荷が大きかった。

相談窓口という窓口に足を運んだり(市内の)電話したりした。なんの解決にも結び付かなかったけど、まあ問い合わせ方や行政がどう動くか、とか裏事情は詳しくなったかもしれません。

居場所を小さいながらも作り、都心や他の地域の情報も取り入れるようにしたり、先行事例としての経験者や、学びの考え方が似ているひとたちのイベントなども開催した。

余っているエネルギーなどないのに。

自己承認欲求とか考える余裕もなく、ただただ目の前になにかが起こって、自分にできるかどうかなんて考えるひまもなく、解決策を見つけ出すことだけに集中する。

選択肢のなかに、なにかが起こって放置する、ってことができなくて、だからといってムリするわけではないけど(いまは)手の届く可能性が100あったら、100調べてから無理だとあきらめる。

でもたいてい100までのうちにある程度の解決策はあって、、という毎日を続けてきていると、確かに問題解決能力は上がる。

だけど、人に思われているより、それが得意でやっているわけではなく、いいところで止まるとか、解決しなくてもまあいいや、の回線がショートしてるだけなんじゃないかと思う最近。

あきらめる回線が選べないから、走ってたら、からだの方がショートして、無理がきかなくなっている今年。

頭が働きすぎても、体が先に行きすぎても、どっちかがバランスを取ろうと引き留める。

結局、すべてはバランスなんだなと思って、もっと活動したいときには体を鍛えねば。そしていまは頭を休めねば、と思わされた体調不良の1年でした。

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