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希望の火種 空をゆく巨人

見えている壁は壊せるけれど、見えない壁を壊すことは難しい。

芸術家・蔡國強の言葉だ。

川内有緒著「空をゆく巨人」という本の中で、幾度となく現れる。
見えない世界を見える世界の中に変換し続けてきた、世界的アーティストである蔡さえ、このような想いを経験してきたんだなあと、彼の地に足が着いた部分が垣間見えたようだった。

北京オリンピックの開会式。

スタジアムまで大きな足跡形の花火が打ち上がった映像を、覚えている方も多いだろう。その花火こそ、蔡國強の作品だ。世界に中継されたのはCG映像らしいけれど、北京の空には実際にあの形の花火が打ち上げられ、多くの市民が夜空をゆく巨人の姿を想像したようだ。

蔡國強の事は、もちろん素晴らしい芸術家だなあとは思っていた。彼の作品は好きだったし、美術の教科書に載っていたオオカミの剥製?の「壁つき」という作品の写真を初めて見た時、鳥肌が立った事も覚えている。

だけど、現代アートのトップを突っ走る彼の事を、どこか「歴史上の人物」的にとらえている自分もいた。戦争など、社会的なテーマの作品を作っている、ちょっと堅いカンジの凄い人という、先入観みたいなものが、私の中に確かに存在した。

「空をゆく巨人」を読み、私は自分の無知さ、感受性の鈍さを恥じた。
蔡國強といわきのおっちゃん達の、多分めちゃくちゃ有名であろう幾多の友情物語を、私は全く知らなかった。彼の作品が堅いなんてことは、絶対になかった。ちゃんと観れていれば、絶対に堅いだなんて思わなかったはずだ。

すごい人だ、中国人の現代アーティストだ、世界中の美術館で個展をしている人だ、という予備知識に、いかに自分が引っ張られていたかに、気付いた。

この本で語られているのは、蔡國強といわきの志賀さん率いる「いわきチーム」の、友情・信頼・人生の物語。
火薬に点火する前の小さな火種のような、人々の心の中に存在する、原始的な“希望”を求め続けるストーリー。

“この土地で作品を育てる
ここから宇宙と対話する
ここの人々と一緒に時代の物語をつくる”

福島・いわきの地で運命的な出会いをした蔡と志賀。水平線に火薬を爆発させ地球の輪郭線を描き出す、「地平線プロジェクト」を実行するため奔走していた。妻と幼い娘を抱えた蔡だが、年々制作する作品の規模がデカくなるにも関わらず、収入は少ないまま。

このプロジェクトを実行に移すには、いわき人々のボランティアが必要だった。まだボランティアという言葉すら浸透していない1993年の事である。

芸術とか、難しい話を説いた所で、「楽しそうだな」というシンプルな動機でしか、人々を動かす事は出来ない。
志賀は蔡に、「芸術は難しいと思われてしまってはダメだあ。何かわかりやすい言葉で説明でぎねえかな」と伝える。

その意図を汲んだ蔡が、翌日紙に書きつけてきた言葉が、上記の、たった三行の言葉だった。

私はこの言葉を誇りに思う。いや、私は蔡國強の関係者でもなければ、いわきに行ったこともない、ただこの本を読んだだけの人なんだけど。
この言葉で作品に対する気持ちを表現した蔡、この言葉を蔡から引っ張り出した志賀、このプロジェクトをわけのわからないまま手伝ったいわきの人々、全てを、やっぱり誇りに思う。

空をゆく巨人がいるのならば、どうか見てほしい。
私が人類の誇りだと言えるものは、彼らが1993年に海に炎で描き出した、一筋の地球の輪郭線だ。すごく美しかったんだろうな。

想像力って無限だ。

人の心には、確かに見えない壁がある。その壁は、やっぱりなくなる事はないのかなとも思う。戦争は起こるし、いじめも差別も偏見もある。

でもさ、その壁を超えていく、国境を超えていく、何もかもを超えていくものはある。あるよ!と、この物語は教えてくれた。
そういうものを蔡國強と志賀率いる「いわきチーム」は作っているんだな。
やろうと思ったら、なんだってできちゃうんだな。夢物語みたいな「天国への梯」も、桃源郷のような「いわき回廊美術館」も。

そういう“希望”が、人間を生かすんだな。

私は蔡國強さん、志賀さんと話がしてみたい。会ってみたい。どうしようもならないものへの怒りを鎮め、希望の火種を爆発させ、想像力の向こう側へ何度も何度も辿り着いた、彼らのパワーを肌で感じてみたい。

大きな視野で、大きなものを、大きな愛と友情によって作りあげてきた、彼らのような人たちこそ、巨人と呼ぶのにふさわしい。

巨人は、きっと、何もかもをこえていく。




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