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I have loved you.


チートディというものがある。
 
ダイエットをしている人が、「この日は好きなだけ食べるぞ!」と決めて、ストレスを発散する日、だそうだ。
ダイエットではなくても、普段自分に何かしらを課している人が、なにもかも取っ払ってやりたいようにやる日。大事だと思う。だらだら続く日常に打つ句読点、ピリオドのようなものだろう。
 
私にとって、チートディにしか見ることが出来ない絵画を描いた画家がいる。
その画家は、ムンク。ムンクの絵を日常的に見ているよ!という人は、かなりのツワモノでしょ。生活をする上で、普段見ないふりをしている、愛、欲望、孤独、不安など、全てを詰め込んでいる作品。あまりの感情のモリモリっぷりに、平面なのに立体的に見えてきてしまう。
 
そんな彼の事を知ろうと、チートディを作って、「愛のぬけがら」を読んだ。ムンクが書き溜めていた文章を、ムンク美術館がまとめ、原田マハさんが翻訳したもの。まるで彼の手紙やスケッチブックを盗み見ているようで、ひりひりと心が疼く。これは秩序の天敵だ。生活や労働とは切り離すべき、エモーショナルっぷりよ!!!!
 
まず、「愛のぬけがら」というタイトル。Like a ghost I leave you.の訳。誰かを愛する事の絶望っぷりを、これほどまでに表している言葉はあるだろうか。
ムンクはひたすら、「俺は女性よりも仕事(アート)を優先してしまうので、結婚なんて…。」みたいな事ばかりつらつら書き連ねているのだが、恋愛禁止を課しているわけではなく、その愛情は地獄の底まで到達してしまうほど深い。
仕事を優先と言っているけど、愛情を信じることが怖かったんだと思う。幼い頃から家族の死に直面し続け、精神疾患を抱えながら生きてきた彼にとって、家庭とか愛を誓う事って、怖いよね。そりゃそうだ。
それでも彼の愛情の深さは、絵を見れば一目瞭然だ。そしてその愛情、もしくは憎悪を、作品に全フリし続けた。やっぱすごいねえ、ムンクって…。あなた、絵が描けて、絵が売れて、良かったねえ…。
 
“私のアートは、人生との不和の理由を探って
考えあぐねたことに始まっている。
なぜ私は他人と違うのだ?
頼みもしないのに、
どうしてこの世に生を受けたのだ?
この苦しい思いが、私のアートの根っこにある。
これがなければ
私のアートは違うものになっていただろう”
 
彼の創作ノートに書かれていた文章。本文の中から引用させていただいた。
 
人生との不和。
 
そう、人生との不和だ!そもそも、人生に調和できている人など、この世にいる?すごーく幸せな時、その一瞬だけは、「あ、今、完璧かも!」って思うけれど、それはその一瞬だけ。いつもどこか不安でイライラしていて、満たされていない。それが生活であり、人生だ。
 
人はみんなボロ船で大海原を航海しているような、寄る辺なさを抱えて生きている。なんとかかんとか方向を見誤らないように、転覆しないように、自分で自分を正しい方向へ導けるように、強くあろうとし続ける。
 
船はボロくて小さいので、誰かに寄りかかられてしまえばたちまち沈んでしまう。寄りかかられたり寄りかかってしまうことなどないように、細心の注意を払いながら、でも一人では寂しいので、誰かと会話できる位の距離感を保ちながら、それぞれの船がそれぞれの目指す港へ向かう。出会って、しばらくの間並走して、別れる。
 
行きつく先もわからない日々の中で、その孤独にスポットライトを当てて絶望するか、誰かと並走した楽しい日々を胸の内で反芻するか。だいたいの人の人生においては、工夫しながら幸せな気持ちで心を満たし続けることが正解なのだろうけど、ムンクは常に孤独と不安にスポットライトを当て続けた。恐るべき精神力。
結婚することは罪だとすら感じ、“幸せは、かすかに開いたドアから差し込む光のようだった。それは私の陰鬱な独房を、人生のきらびやかなパーティールームから切り離すドアだった。”と、恋人への手紙の下書きとして書き残している。
 
暗い、暗すぎる。その暗さの中で、彼の愛情は宇宙の恒星のように光り輝く。そして、燃え尽き、一握りの灰のみ残されるところまで、彼はきっちりと見届ける。孤独という暗闇の中でしか見えないものを、キャンバスで大爆発させ、愛に生きた日々にピリオドを打つ。
 
全ての作家において作品をつくることは、人生にピリオドを打ち続けることだと思う。

 
そういえば、愛は現在完了形であるらしい。
 
文藝春秋編「ラヴレターズ」という本がある。「ラブレターを書く」という企画に応じた著名人のラブレターがまとめられた、その名の通りの本なのだけど、ラブレターを書いている方々の多様さに惹かれ、図書館で借りた。横尾忠則(!!)壇蜜(!!)松田青子(!!!!)などなど、えー、この人ら、誰に宛ててラブレターを書いたんじゃろ…と、気になりまくるメンツ。
 
そのメンツの中で(メンツとか言ってごめんなさい)、私の大好きな人を発見。山本容子さん。銅版画家。私は彼女の描いた不思議の国のアリスの挿絵が大好き。ディズニーのイメージを取っ払ったアリスは、ああでしかありえないというアリスらしさなのだ。
 
山本容子さんのラブレターの中で出てくるこの言葉は、ムンクの絵画のように私のチートディをチートディたらしめた。
 
“ひとりの女性に出会って愛したというのは正しくない
愛しているから出会ったといわなければならない
愛する女性というのはそうでしか出会えないからだ 
出会ったときにああ愛してきたというのが愛
愛しているというのはことばの使い方が間違っている
愛してきたといわなければならない
そう愛というのはいつも現在完了形としてあらわれる”
 
愛してきた、そして、結局のところ、今も愛している。未来は誓わない。ただ、今ここにある愛は、今までずっとありましたよという証明。
I have loved you.
過去からずっと続いてきたものを、まるで地層を横から見ているかのように時系列を明確に表す、英語の文法って面白い。現在進行形。現在完了形。過去完了形。過去系。
 
自分の気持ちに一区切りつける事。ピリオドを打つ。打った先もきっと、その気持ちは続くのだろうけど、あくまでも客観的に、地層の砂の粒の大きさが変わる境目付近に、ピリオド的な化石が残っていることがある。
それが、人によっては絵画であったり、手紙であったりする。発掘はしても良いし、しなくても良い。そこに確かにあった時間というのは、決してなくなりはしない。
 
I have loved は、I loved に変わる。かもしれないし、変わらないかもしれない。死んでも好き!ということもあるので、時間がうんと経たないとわからないものなのだろう。

ムンクに会ってみたいなあ。本当のとこ、どうだったん?と聞いてみたい。常に死と隣り合わせだった幼少期や、人妻との恋愛。世間とのなじめなさ。芸術とは、絵画とはというテーマに向き合い続けた、あなたの話を聞いてみたいよ。
私はあなたの前でなら、心をむき出しにできるような気がする。あなたが圧倒的に、わたしよりもヤバい人だから。

Art is one's lifeblood.
アートはその人の心に流れる血液のようなもの。

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