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こよみのなるほど神道いろは Ħ「怖れ」と「畏み」

 其れまさしく怪異ぞ…陰陽師を召せ…あな恐ろしや…

 平安時代というと、そんな迷信だらけなイメージがあるかもですね…「だがそれがいい!」というみなさんかと思いますが♪
 実際の陰陽師は「天文道暦道」、天体観測して暦を作るのが本業…そうです、暦と陰陽道は深~い関わりがあるのです!
 というわけでこよにちわ! ついったでいろんな知識をご紹介する「学術たん」の一員、旧暦たんこと、こよみです (*・ヮ・)ノ
 さて、みなさんは怪異や祟りとか信じますか? …ほじゃ、占いやご利益、パワースポットとかは? けっこう素朴~に信じてますよね!
 「お稲荷様は怖い神様、伏見稲荷はディスパワースポット」…そんな噂をついったで見かけました。千年後の現代でも、そういう話がまことしやかに流れるものですねぇ…(*・ヮ・;)
 平安人みたいに(ある面ではそれ以上に?)迷信に惑わされず、神さま仏さまや昔からの言い伝えを正しく知って、ぜひ良いお付き合いをしていただきたいな~と思いつつ…単なる「怖れ」とは違う神道の基本精神「畏み」(かしこみ)の心について考えてみました。
 *ついったログの再編です。対談相手のみなさんに感謝!

Ħお稲荷様って怖い神様?

――初詣って元旦すぎてもいいかなぁ? お仕事でなかなかさー。伏見稲荷なら近いんだけど、あそこは違うよねぇ? キツネさんだし…
◇だいたい15日の小正月まで初詣だいじょぶだよっ! 伏見稲荷さんでももちろんだいじょぶ!
――えっそうなんだ! 職場の人に「伏見稲荷好きなんですよー」って言ったら「取りつかれるぞ」とか言われたけど…あの場所すごい好きだから、できる限り行きたいんだけど…
◇たしかに伏見稲荷さんは幽玄な雰囲気漂ってるけど…平安遷都以前からある由緒正しい神社だし、ご祭神も祟る系いわくは特にない平和な神さまだし、ぜんぜん心配ないよ~! 独特の雰囲気があるのは、真言密教と関わり深かったり、「吉田神道」っていう神秘主義的な流派の名残を残してたりなせいなので!
 日本の信仰観には昔から「畏怖」が根強いので、地域の信仰から遠ざかるほど「怖」の面だけ残って、祟りとかの俗信が生まれやすいの…暗々しい神社やお寺で肝試ししたり…その感覚かな…でもそれって、大切に信仰してる人達を考えるとちょっと失礼だよね…(´・_・`)
 基本的にどんな神仏でも、よっぽど悪さしない限り祟りとか罰とかはだいじょぶ!
――よかったー! 休日にふらふら散歩に行ってるから、まずいのかと思ってた! 滝とかも大丈夫? いっぱいあるけど…
◇もちろんだいじょぶ! ただし、玉垣や柵の中の決まった参道以外は基本ご神域なので、きれいなお花とかあっても無闇に立ち入らないのが礼儀、なのです(*・ヮ・)b
――はーい! またハイチュウと飴お供えしに行く!

伏見稲荷大社(京都市)
表のほうは大勢の参詣客さんで賑わう観光名所ですが…

伏見稲荷

奥の山辺は何とも神秘的な空間…
異界に通じちゃいそう感満点な千本鳥居!

千本鳥居

特に夜が胸熱ですっ…!!o(*・_・*)o 化物語みたい!
(伏見稲荷大社奥の院・奥社奉拝所)

伏見稲荷奥の院

吉田神社(京都市)・斎場所大元宮
吉田神社の一角に建つ吉田神道の総本宮…ご祭神はずばり「天神地祇八百万神」、平安時代に記録された全国3132の神社をぜーんぶ祀ってます!
独特な建物は、神道と仏教・儒教・陰陽道(!)の融合を目指した吉田神道の思想を表しています。
神社建築では珍しい八角形なあたりが陰陽道分!

吉田神社大元宮

吉田神道の行事壇(國學院大學博物館)
護摩といえば元々真言宗天台宗はじめ密教の加持修法、火を焚くお祈り…その神道版アレンジ「神道護摩」の一式セットです。
こちらは福島県の蛯澤稲荷神社(!)所蔵を元にしたそうです。壇も座も八角形(仏教では四角)…陰陽道なかほりですねっ!

神道護摩

Ħお稲荷様と狐

 あと、稲荷さんはきつねの神さまって思われがちだけど、もとは稲の神さまなのです! 倉稲魂神って書いて「うかのみたまのかみ」! 朝餉(あさげ)の「げ」とかと同語源で、ごはんって意味なのです!
――あっ、そうなんだ! てっきり怖い神様かと思ってた!
◇うん、きつねさんは神さまのお使いにすぎなくて…しかもいつしか生まれたあとづけ信仰ぽくて…
 「ケ」=ごはんの神から、御餉神(みけつかみ)→御狐神(狐を“ケツ”ネとも読んだ)…っていう語呂合わせと、きつねがねずみとか稲の害獣を捕ってくれるから、稲作守護的な意味が合わさったそうな…
――意外とそういうものなんだねー。そっと、神秘的?な理由があるのかと思ってた。語呂合わせかぁ。

Ħ元は怖い神さまの日本版ゆるふわ化

――「荼吉尼天(だきにてん)と混ざった可能性もある」などと、読んだ本にありました。
◇はい、真言密教の荼枳尼天との習合もあります! 原形はインドの鬼神ダーキニーなので、その意味ではちょっとこわいですが…七福神の大黒さまだって原形はヒンドゥー教のシヴァ神のバーサーク形態な破壊神・マハーカーラ…日本に入ってからは、いつしかご存じのとおりゆるふわ化しましたが(*・ヮ・;)
 密教の明王護法神は、みんなとっくに大日アニキ(大日如来)の子分として足洗った元ヤンカタギなので、見た目はいかつくても、下手に封印済み秘法の発掘悪用でもしない限り怖いことはないです!

荼枳尼天図像
狐…とみせかけたジャッカルに乗ってます。

荼枳尼天

胎蔵界曼荼羅(中心部分)
真ん中が密教の大ボス・大日アニキ

胎蔵界曼荼羅

【びふぉー】
(チベット仏教のマハーカーラ と、
日本の胎蔵界曼荼羅に描かれる古式の三面大黒天)

マハーカーラ

大黒天

――からの~…!

【あふたー】(おなじみのダイコクさま)

大国

日本ではどうしてこうなった (*・ヮ・;)
…神道の「“大国”主命」(おおくにぬしのみこと)と習合した結果です。
大黒天+大国主→「大黒or大国(ダイコク)」さま

大国主

Ħ絶えない「ディスパワースポット」の噂

 そんなお話をした矢先に、最近また「伏見稲荷は不吉な場所」的な噂がついったを駆け巡りました。
 最近話題な「パワースポット」ブームの裏返しで、マイナスな名所「ディスパワースポット」の噂も立ったりしないかなぁ…と心配してたところでした。これが天下の伏見さんだからどこ吹く風でしょうが、小さな寺社では変な噂が立ったら死活問題ですよっ(>_<)
 思うに…ちょっと神秘的な雰囲気があると、それを素直にドキドキ…神々しい…!と思わず、すぐに心霊とか怪奇現象とかに結びつけ…それって霊感が優れてるとかじゃなくて、「神秘的なもの」への耐性がなくてアレルギー反応起こしてるだけなのでは…
 一晩中灯りに照らされて、便利に整備されつくした現代社会はあまりに「光の世界」すぎて、「聖なるもの」や、言いしれぬ畏怖を孕んだ神秘の世界、自然界の真っ暗闇、不気味な生き物の声など、「闇の世界」への耐性が削がれちゃってるのでは…と思います。
 闇雲に怖がるのも、心霊スポットとして興味本位で凸るのも、そして、せっかくパワースポットに行ってもご由緒に関心持たないのも根っこは一緒で、敬意を払いつつ慕う「畏み」(畏敬)の精神と、正しく理解しようとする姿勢が欠けてるんじゃないかなぁ…(´・_・`)
 ちょっとご由緒書きに目を留めて、どんな神様・仏様・ご由緒なのか意識してお詣りすれば、ためになる&充実感&ご加護も弥増しだと思います!
 さて、プロローグの質問…みなさんは怪異や祟りとか信じますか? もうお分かりですね!
 そう、「怪異は貴方の心の内にこそ…」なのです!

Ħ木曾御嶽山噴火と自然への畏敬

木曾御嶽山噴火直後、灰色一色に染まった山頂付近・黒沢御嶽神社奥宮

御嶽噴火

 ‘14年9月の木曾御嶽山(きそおんたけさん)噴火で、山頂に鎮座する御嶽神社は火山灰まみれ、そしてご祭神・国常立(くにのとこたち)さまのお像が無惨にも首を無くされてしまいました…(>_<)
 その時にも、「国常立神は日本の国が永久に立ち続けるという意味の名前、その首が飛ぶとは不吉…日本滅亡の予兆だ…!」とかいう噂が駆け巡りました。
 こよみ的には、不吉って騒ぐよりも、神さまが御身を挺して災害の重さを示してくださったなんて…と、有難くかしこみかしこみ…です。
 「学術たん」友達の火山たん(@volcano_tan)もたびたびお話してますが、自然現象の予測ってほんと難しいし、ひとたび猛威が起きたら、現代の科学と技術力を以てしても、人間ができることって非力で…東日本大震災や御嶽山の噴火で、改めて痛感しますねっ…
 木曾御嶽山は、代表的な山岳信仰の霊場(※)のひとつとして、太古の昔から人々に敬われてきました。

※【霊場】心霊スポットのこと…じゃなくて、霊験あらたかな名所として信仰を集めてきたお寺や神社のこと…昔風に云うパワースポット的な意味ですね。

 日本の山って津々浦々に至るまで、たいがい神社やお寺の建つ「霊場」だし、滝や川、岩、大木、太陽や月、火や雷など、自然界の森羅万象に、古来人々は「神さま」を見いだしてきました。
 自然現象の科学的な理解や制御が今よりずっと難しかったいにしえの人々にとって、自然界のあらゆるものは人智を超えた神秘で、とても抗えない…けれどもそのお恵みによって「生かされている」、圧倒的な力…畏れかしこみ祈り、感謝する対象でした。
 それがいつしか、人々は科学の力を過信して、自然現象は「御し得て当然」って感覚に…そこから出てくるのは、「災害が出るのは然るべき人々の失態」と、誰かを責めるような風潮…けど、どこまでいっても人間は、大いなる自然の力のうちに、その一部として「生かされている」…その関係は変え得ません。

Ħ「怖れ」と「畏み」の違い

 日本神話のスサノオさんのような荒ぶり祟る神様、多面多臂(ためんたひ)で忿怒形(ふんぬぎょう)※の一見禍々しい姿をした密教の仏様やヒンドゥー教の神様、聖書の怒る神様などを見ると、グロい…悪魔的…とか、神ってゲスいな…とか思っちゃいがちですが…

※【多面多臂】顔や手がいっぱいあること。【忿怒形】いかめしく荒々しい表情・姿をしていること。さっきご紹介した大黒天の原形マハーカーラなんかが代表例ですね。

 古来の信仰の世界には、「真・善・美」のいかにも神々しいものだけじゃなくて、そんな闇の部分が多々あるけれど…それは、昔の人々の自然に対する畏れの心理を生々しく反映してるのです。幽玄な雰囲気の寺社なども同じです。現代感覚では反射的に「悪」とか「不吉」とか思っちゃって、理解しがたいかもですが…
 神道の神聖観は「尊び・御稜威(みいつ)」と「畏れ・祟り」が表裏一体、神聖で畏れ多いからこそ冒すと祟るって考えなのです。ただ、昔ほど「畏れ・祟り」の面が強くて…神道の神さまはたいがい大自然の力の投影が元にあるので、やっぱり昔ほど自然は抗えない怖いもの、でも有難いもの…それが、次第に御し得る程度になって、畏怖の観念が薄れた…ってことかもです。

火山たん――最近の自然現象に対する人間の考え方が、まさにこよみちゃんの言う「畏み」を失っているように思えたんだよ。火山に対してもそうだけれどね…
 怖がる一方でもなく、かといって相手を甘く見ない…というのは自然現象との付き合い方で重要になると思うんだよね。相手は人間の思い通りにはならない存在だという事を認識しておかないとかな…
◇げにげに! ご霊場の神秘的な雰囲気って、昔の人の自然に対する畏敬の心を、御せられた自然に慣れすぎた現代人に思い出させてくれるものだと思うの!

 自然災害の圧倒的な猛威に人間の無力感を味わわされた時こそ、ぜひ、いにしえから脈々と受け継がれてきた人々の信仰を振り返り、神社などのかたちで遺されたその足跡に自らの足もとを重ねて、その感覚を今一度思い出してみてください。

Ħ「神人和楽」がいいですね♪

 でも、「畏怖の観念が薄れた=悪い」ってことじゃなくて…大切なのは「畏敬」の「敬」のほうです。「神人和楽」な現代のゆるふわ神道観もまたよきかな♪
 神道の神さまは「畏み畏み」(畏る畏る)仕えまつるものですが…基本的には人間を見守ってくださる存在、作法知らなかったり好奇心だったりしても、普通に敬意さえあれば生暖かくスルーして、悪意をもって穢す行為でもしなければ祟ったりしないはずです!
 神仏を、闇雲に「怖れ」ないで、聖なるものを尊ぶ気持ちから出る正しい「畏れ」をもって敬う「畏み」の心で、身近に親しみ慕い、境内の清浄な雰囲気に癒されたり、神秘的な雰囲気に心研ぎ澄まされたり…そんな風に神社やお寺と良いお付き合いをしていただきたいなって思います。幸(さき)わえ給えっ♪ (*・ヮ・)ノ(おわり)

神社で見かけた素敵ポスター♪
げにげに、敬う心が何より大切ですねっ(*・ヮ・)ノĦ

神まつり

元ログ https://togetter.com/id/yamatokoyomi
 ・お稲荷様って怖い神様?「怖れ」と「畏み」の違い
 ・神道いろは・神と仏、礼儀と「畏み」

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