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人身御供とその周辺

今、『神、人を喰う』という人身供犠を論じた本を読んでいるのだが、なかなか興味深い。まだ読み切っていないが、途中で得た思いつきを忘備録的に書いておく。

人身御供は実際にあったのだろうか?

神社の祭礼で、人(多くは若い女性)が神前に差し出されるケースがある。この由来譚として人身御供が語られることがあるのだが、古くは貴人のもてなしに女性が性的奉仕をする風習があったようで、神に仕える巫女にもそのイメージが重ねられていたように思われる(大物主神とヤマトトトヒモモソヒメの神婚譚が典型か)。そうした神に対して性的奉仕を含む饗応を行う巫女の姿がまずあり、その後、それが形骸化して祭りの当日に神前で饗応を行うだけになり、場合によってはさらに形骸化して人形が神前に供えられるようになる。こうして本来の姿が失われていく中で、後付けで神前に人を供える由来として人身御供の話が生まれてきた可能性もあるのではないだろうか。

諏訪大社の御頭祭

一方で、諏訪大社の御頭祭などのように、動物を生贄として供する神事は実在し、最も高級な贄として人が供されるという発想が生まれてきてもおかしくない気がする。
このあたりは本書を読了したうえで、機会があればまとめてみたい(先行研究で言及されてそうな気もするが……)
人身供犠といえば、人身御供とともに人柱が知られるが、この2つは似て非なるものらしく、前者が「捧げ物」であるのに対し、後者は「呪具」であると捉えるべきようである。このあたりは先行研究を押さえられていないのだが、後者は地鎮のための捧げ物で、構築物の加護を期待して捧げられるため、饗応のために捧げられる前者とは区別されるということだろうか。
人柱に関しては、五味文彦先生が橋の下への埋葬事例を近著で挙げておられるらしく、読んでみなければならない。橋はあの世とこの世を繋ぐ境界とも考えられ、それ故に橋の下に墓地を営むことが発生したというのである。場合によっては、橋の改修時にそうした埋葬人骨が発見され、人柱と誤認された例もあるかもしれない。
人身供犠といえば、異類婚姻譚も一種の人身供犠で、物語の典型的なパターンとしては「蛇婿入り」「猿婿入り」のように、何らかの奉仕の見返りに娘を差し出すというものがある。
このあたりを本格的に論じようとすると、本一冊くらいは書けそうだな……


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