見出し画像

海龍王寺の西金堂と五重小塔

海龍王寺は奈良県奈良市にある寺院である。710年の平城京遷都時にはすでにあったようで、平城宮の北東隅にあることから「隅寺」と通称される。奈良時代には唐に留学した経験がある玄昉が住持となり、平城宮内道場として種々の祈祷を行った。平安京遷都後は次第に衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興されるが、応仁の乱の余波を受け再び衰退した。明治時代には廃仏毀釈で東金堂を失い、太平洋戦争後まで荒廃したが、昭和40年代から徐々に復興が進んだ。
現在は本堂、西金堂、経蔵が残る。本尊は十一面観音像(鎌倉時代、重要文化財)、主な寺宝に五重小塔(奈良時代、国宝)、文殊菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)、寺門勅額(奈良時代、重要文化財)、般若心経(奈良時代)などがある。

海龍王寺の本尊、十一面観音菩薩像

海龍王寺は3金堂を持つ伽藍配置であるが、塔を伴わない。かわりに西金堂内に小塔を納めている。これをどう解釈するかだが、海龍王寺のホームページで言及されている通り、小規模な寺院だったため七堂伽藍を揃えることができず、塔を小塔に置き換え、覆屋として東西の金堂を建立したものであろう。以前、同寺を拝観した際、西金堂が金堂と言いつつ寺院建築では格下の切妻屋根だったのが気になっていたのだが、覆屋であれば納得がいく。

西金堂に安置される五重小塔

小規模だが心落ち着く寺なので、奈良を訪れた際にはぜひ寄っていただきたい。法華寺の隣である。

〔追記〕
五重小塔は元興寺にもあり、こちらは海龍王寺の五重小塔よりやや大きい。元興寺には小塔院という子院があり、ここに祀られていたものだろうか(小塔院には百万塔が祀られていたという説もある)。
これらの五重小塔について、建築時の雛形であるとする学説があるが、海龍王寺の事例から、私はともに礼拝用のミニチュア説を取りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?