SaaSと月額販売は何が違う?:Negative Churnの考え方
SaaSのビジネスモデルにおける多くの誤解が、
SaaS=月額販売モデル
という考え方ではないでしょうか。
僕が既存の自社プロダクトをSaaSビジネスに転換した当初も同じ考え方を持っており、当時はショット単発販売が主だったプロダクトの価格をとにかく「月額化」することから全ては始まりました。
しかしながら、当時の僕は単に一律定額の月額価格を用意しただけに留まり、事業の拡大にとても苦難することとなります。
その経験から単一な月額価格サービスを販売することは"月額販売"であって、"SaaS"とは大きく異なる、と定義しています。
本来のSaaSやBtoBのサブスクリプションビジネスとは、
企業規模や課題種別に対して、サービス提供価値が柔軟に変動すること
が不可欠であり、収益モデルもそのような思想に合わせて設計する必要があります。
一律定額"月額販売"の落とし穴
SaaSビジネスを設計する時には、如何にLTVを最大化させるか、の考え方が最も重要になります。
LTVを引き上げる為に最もシンプルな方程式は、
新規獲得件数の引き上げ×解約率の引き下げ
となり、重要なKPIとしては以下のような構図となります。
・より多くの新規顧客を獲得する
・なるべく長い契約期間で受注する
・顧客の離脱を防ぎChurn Rateを引き下げる
この時、仮に単一な月額価格しかプロダクトが有していない場合、受注後の既存顧客からの収益増加が契約更新以外にない為、新規営業の獲得件数に事業成長が過度に依存する形になり、営業ドリブンなプロダクトビジネスとなってしまいます。
この点で大切になる考え方が、如何に受注後の顧客からの収益の伸び代を設計できるか、という点になります。
既存顧客が持つ課題の内容や事業規模、加えてプロダクトの利用状況や成果に応じて、プロダクトの提供内容が変動することで、既存顧客からの収益拡大をすることが可能になります。
方程式は以下のように変化します。
上記のように、既存顧客の状況に合わせて、
・提供サービスを増やしたり高度化させることで契約をアップグレードする
→顧客毎のMRRが向上する
・提供サービスを減らしたり簡素化することで契約をダウングレードする
→本来Churnしていたはずの顧客をつなぎとめる
の2点を意識した設計をすることがSaaSにとって極めて重要となります。
Negative Churnという考え方
上に述べたような既存顧客からの収益に着目した考え方をNegative Churnと呼びます。
Negative Churn
既存顧客からの収益を増加させること。アップセル、アップグレード、クロスセル等による収益を意味し、SaaSビジネスの健康状態を測る重要な指標となっており、Negative Churnが発生している状態と、発生していない状態を比較すると、中期では大きな収益差が発生する。
このNegative Churnが占める売上に対しての割合が大きければ大きいほど、SaaSビジネスとして安定していることを意味し、事業として高い評価となります。
例えば、下記のような2つのSaaS企業があると仮定します。
企業A:単一の月額メニューを提供
Monthly New MMR(毎月の新規MRR):500,000円
Monthly Revenue Churn Rate(毎月の売上に対しての解約率):5%
UpgradeおよびDowngrade:無し
上記条件の場合の毎月の新規増加MRRと新規減少MRRの推移は以下のようになります。
初期段階ではChurnによりMRR減が与える影響が軽微ですが、36ヶ月を過ぎたころからChurnにより減少しているMRRと新規で獲得したMRRがほぼ等しくなります。
60ヶ月後には新規MRRと同等の金額がChurnで消失する状態となり、新規獲得数を上げ続けないと事業が成長できなくなってしまいます。
企業B:複数の月額メニューを提供し、顧客は都度メニューを選択できる
Monthly New MMR(毎月の新規MRR):500,000円
Monthly Revenue Churn Rate(毎月の売上に対しての解約率):4%
※Downgradeが存在する為、企業Aよりかは1%低い
Upgrade:売上に対して2%
Downgrade:売上に対して0.5%
上記条件の場合の毎月の新規増加MRRと新規減少MRRの推移は以下のようになります。
企業Aと最も異なる点が、
・顧客総数の増加に伴い、Upgradeによる収益増加比率が向上するため、
新規MRRに加え既存顧客からの収益比率が事業成長を担う
・企業AではChurnしていたはずの企業の一部にDowngradeという選択肢を
取れるため、Churn総額が減少する
の2点となり、新規獲得だけに依存せずに既存顧客からも収益を得ることができる強固なSaaSビジネスを創り上げることができます。
Negative Churnを注視することで、事業全体として既存顧客の成功(Customer Success)を重要視することに直結するため、新規に依存してしまう事業運営よりも大いに健全な運営体制やカルチャーを作れる、という大きなメリットも存在します。
Upgradeという手段が存在することで、顧客の事業成長に比例して自身のビジネスも成長することができるという点はもちろん、Downgradeという手段により、活用が上手くできていない顧客に対しても前向きな提案ができるようになる、というのは顧客に寄り添ったあるべきビジネスの姿だと思います。
Negative Churnを追いかける為に
Negative Churnを増やすためには、下記2点が重要になります。
・既存顧客の満足度を可視化する
→ヘルススコア
・満足度に応じて変動するサービスレベルを整える
→複数のプライシングおよびUXの設計
既存顧客の満足度を可視化するヘルススコア
Negative Churnをトラックする上で、顧客の満足度を可視化することは極めて重要です。満足度を計測する指標はプロダクトによって様々ありますが、例えば、
・顧客の目的やゴールの明確化
・ログイン頻度
・機能の利用率
・カスタマーサクセスへの問い合わせ回数や頻度
・顧客側が重要視するKPIの変動
・NPS
等を計測し、ヘルススコアとして管理することでUpgradeを提案すべきか、現状のメニューを維持すべきか、Downgradeを案内すべきか、という判断を客観的に行うことができます。
満足度に応じて変動するサービスレベルを支えるプライシングとUX
複数のメニューに傾斜をつけるときの基準は例えば下記となります。
・企業規模
エンタープライズ企業と中小企業では、予算規模や施策規模が大きく異なる為、課題と感じる点が全く異なることが多い為、規模に応じて異なるメニューを用意するべきです
・業種や業界
予算に対しての考え方や課題と感じる点が業種や業界により異なる為、価格の見せ方を含むサービス設計に変化をつける必要があります
・利用率やアカウント数
プロダクトの利用量や、登録ID数を価格と連動させ、従量課金制を取ることによって、自動的にサービスレベルの変化をつけることができます
※但し、従量課金の場合、利用量が増えれば増えるほど顧客側で利用を抑える感覚が発生してしまうため、設計は要注意
上記の基準でメニューを用意することで、変動するサービスレベルを実現することができます。
但し、単純にメニューを複数用意するだけではなく、顧客がいかに
「あ、もっとここ使えれば便利なのに!!」
と思えるようなプロダクトUXを設計できるかが大切になります。
もっと使えたらいいのに!という瞬間に、もっと使えるメニューが存在すれば、Upgradeは顧客にとってもプロダクト提供側にとっても、WIn-WInな増額となります。
例えば、上位プランの一部を限定的に体験してもらう等の設計をしているプロダクトは多く存在しますが、上記のような狙いのもと作られたUXだと思います。
新規獲得が重要、という従来の考え方から、既存顧客の満足度が重要、という考え方にシフトできるか否かがSaaSビジネスを成功に導く分岐点ではないでしょうか。
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