第65回: シンクロする時間と空間 (Oct.2020)

 明け方にしっかりまとまって降る季節を迎え、深夜から午前いっぱい続く隣地からの鶏鳴も大音量で夜明けを告げるコーランも、雨音に掻き消されてゆっくり起きられる。年中無休でTシャツ・短パン・ギョサンの身、路肩の土埃が舞わず “落し物” も洗い流された朝は実に心地よいが、20度を切れば人々はダウンを着込み毛糸の帽子を被り、ちっチャイグラスを両手で覆って暖を取っている。

 秋の祭事シーズンがいよいよ本格化、九夜十日に渡る前哨戦 (?) がBengaluruを生んだ王様の本拠地である隣町で始まった。政治・商業・学術等、今も地域の中核を担う古都だが、当地ほど外国人向けの環境はないから、いつも用事が済み次第、トンボ返りしてしまう。例年は全国・世界から数万人が集う一大行事だが、今年は開会式から定員200名制限、代わりに行われたネット中継でようやく名物の王宮ライトアップを拝むことができた。

 日本の小6から高1に相当する5学年を対象に、数か月の準備を経て催されるインター校中等部の文化祭。例年は夕刻から夜遅くまで遅めの半日間、オープンエアが心地良いAmphitheatreに家族が集う。オーディションで選抜された有志による伝統舞踊、演劇、オーケストラ、合唱に加え、チャリティーを口実に作者本人も知らない内に値札が付された2D・3Dの芸術作品はなかなか感心するレベル。子どもには朝晩の日課に強いながら、“車で1時間の距離” を口実に親は年に数度しか訪れない学校だから、恵まれた気候と環境を再認識する貴重な機会でもある。が、こちらも今年はオンライン。およそ外国人学生が登場しないのは残念だが、思い思い自宅・自室を背景に演技・演奏をつないでシンクロさせた2時間の生放送は見応えたっぷりの出来栄えだった。

 ひとり数台の同時接続がすっかり常態化した我が家を一歩出れば、目の前には専用端末など望みようもない子どもたちも溢れる。Lockdown以来、実質、休校状態の彼らに比べれば、停電で回線が途切れたりマイクが不調で再起動を強いられたり、という程度は問題ではないか。

 日本からは海の向こう、当地からは地球の裏側の一大政治イベントが迫り、日本でも新政権下で益々社会の分断が進んでいる。大衆向け一斉放送から個々人の検索や登録チャネルの配信に情報源が移るほど、人々は耳心地良い話ばかりを聞き見たいものしか見なくなるから、思想信条の自由の保ち方すら個人の意識・選択に委ねられる世界になってきた。各種ツールは日々益々手軽になるから、オンラインセミナーも増える一方。自ら語る役割がない限り、案内されたものには極力つなぐようにしていたら、最近は常に複数画面で誰かが何かを熱弁している。つい数か月前まで “動画より文字” と信じて疑わなかったが、技術が役者に舞台を与えたか引き籠り下の暇潰しか、良コンテンツも増えてきた。

 空調を使う習慣のない当地、常に開け放たれた窓からは三輪車のけたたましい2サイクル音やなぜか短調の物悲しい車両後退メロディ、リスや鳥の甲高い鳴き声などが会議に飛び入り参加し、遠く離れた聴衆の耳を楽しませることも少なくない。隣に座っていても両目・両耳が違う方を向いているならむしろ隔離された空間が欲しくなるから、現に日本の住宅・家具業界などは在宅ワーク対応を謳って狭い家を細切れにし、更に小さい空間により一層縮こまって住まう提案をしているように映る。

 駐機中の座席で機内食を供したり目的地のない周遊飛行を繰り返しても、到底、航空会社の糊口は凌げないし、その煽りで長らく夢を追い続けた国産旅客機計画もようやく中止の決断が下された。欧州は第二波に晒され、Modi首相も改めて全国民にマスク着用を促す中、国外への渡航機会は再び開かれつつある。いくら空間を超えて時間をシンクロさせる技術が一般化したとは言え、依然、旅や対面を代替し得ないことも痛感してしまった。月や火星など、未だ気軽に渡航できない先ならまだしも、やはり効率ばかりを追っていては息が詰まる。何より新しい気付きには、五感への新しい刺激が必要だ。 

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