第62回: 80億分の1の表現の自由 (Sep.2020)

 インドの感染者数は6百万を超えようとしているが、長らく “店先で紙コップ” を強いられた街角のコーヒースタンドには座席と熱々で持てないグラスが戻り、何となく外出する機会も増えている。半年以上ぶりにモールを訪れれば映画館以外は通常営業、思いの外、家族連れで賑わっていた。いつもの時間にいつもの道を通れば、いつも通りの渋滞が戻っていて妙な安心感すら覚える。

 日本では平均年齢還暦過ぎ、サラリーマン的には引退世代が改革を謳う内閣が組成され、中止の許されない国際祭典に突き進む様子。かつて数年暮らした新嘉坡の自宅のすぐ隣、古の趣が地元民にも愛された公団住宅の一画が工作の舞台だった。ちょうど保存か取り壊しかが議論されていた時分だから、札束の代わりに老朽団地のリノベーション技術や活用ノウハウを持ち込んでいたら、更地にされずに済んでいたかもしれない。

 先日、在日インド公使が “今のインドは、日本でいえば50年前の高度成長か150年前の明治維新くらい劇的に変化している” と紹介していた。日本に学び表現を工夫した姿勢は素直に評価したいが、聴衆はもはや当時を知らない世代。縮小する国内市場とコスト至上主義を前提に、およそ新興国は安い事業費で一昔前の日本市場を再現できるところ、という勘違いもあるから “10年20年ならまだしも、50年や150年遅れとインド政府が認めるなら、ウチが取り組むのは時期尚早だ” という短絡的な印象に帰結しないか、どう受け止められたかが気になる。

 Webセミナーが一般化し、現在や過去のインド経験を語る企画も増えている。本当は違うんだけどなぁ、と思うことも少なくないが、話者の目にそう映ったのなら、そういう捉え方もあるのだろう。時に事実と反するどころか、誰が何の意図をもって取り上げる話題か、と首を傾げることもあるが、そもそも絶対量に不足する日本語でのインド話。 誰かが何かを考えるきっかけになれば良い。ビジネスのテーマなら尚更、ちょっと検索してみて真偽を確かめる、くらいの技術や習慣は聴衆側にもあるはずだ。

 日本とはケタチガイの国土を隈なくカバーする新聞もTVもない当地、方や多くの庶民の手には常時スマホが握られているから、広報・広告の手段は当然に変わってくる。Covid下で全国民に向けた首相演説もTV・ラジオ・ネットの同時中継は勿論、各地のニュースサイトからそれぞれの言語によるリアルタイム翻訳・文字起こしが配信された。全国4G網整備は現政権の肝煎り施策の一つだから、政治家と国民とのコミュニケーションも一律・一方向の放送頼みから直接・双方向が基本となり、行政手続きのデジタル化も多くの国民が片時も手離さないインフラを最大限に活かしたものに随時アップデートされている。

 話し好きのインド人、“三星製でも通称 Nokia” の小型端末から全面スクリーンに時代が変わっても、変わらず延々誰かと話し続けている。今やSNSでの一斉配信や映像・音声・動画の扱いも覚えたから、目前で遭遇した事件も家族や友人が転送してきた面白ネタも、何かが気になった途端、一瞬が切り取られて即座に拡散される。嘘も真も本音も建て前も一緒くただが、良く知る誰かから大音量の通知と共に手元に届くから即座に目にも入る。

 嬉々としてSNSを愉しむのは日本も同じだが、度々炎上騒ぎが起こるのはお国柄だろうか。業務連絡すら見て見ぬふりをされる当地では、利害関係のない第三者の話に関心が持たれることも、ましてや中傷・批判にエネルギーが割かれることもない。ふとした思いつきをシェアしたり同志を募ったりというのが主な動機だし、よほど社会的地位のある者が反倫理的な言動でもしない限り、顔の見えない大衆から公然と一斉非難を受けることもない。

 誰もが肌身離さず持ち歩くツールを通じて、少なくとも1/80億レベルでは平等に表現の自由を体現できる時代。日本人の繊細な気付きや拘り、小さな改善策はもっと世界に発信されてもいい。現代インドの大変革を導ける日本の “Wow Value” も豊富にあるはずだ。

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