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マナーの役割

マナーという規範がある。

マナーを検索すると下記の定義が結果に表示される。

「態度。礼儀。礼儀作法」。

では礼儀作法とは何かというと、下記のようである。

「人がその社会生活を円滑に営み、社会秩序を保つために用いる規範と実践の総体」。

検索結果を鵜呑みにするという、現代人らしからぬ行動を取ると、マナーとは、人が社会秩序を保ちつつ、社会で生きるための規範と実践のようである。

昨今、マナーを批判する風潮が強いと感じている。マナー講師が考え、流布し規範化するというマッチポンプ的な形成過程への批判は特に大きい。それは単に不要なものを社会に生み出しているという意味合いでの批判が多いように思われるが、果たして本当にマナーは不要なのだろうか?

価値観が光速に多様化、アップデートされ、資本主義的市場原理が強く働くこの世界では、不要なものは容易に淘汰される。その中で、マナーが生き残り続けているのには、何らかの有意な役割があるからではないか。

というわけで、この記事ではマナーの役割について考えていきたい。

役割1. 行動指針

上座、下座という言葉をご存知だろうか?

どうやら日本独自の文化のようで、座る席によって目上の方への敬意を表すマナーとのことである。そもそも目上とは何か、守らないと礼儀を欠いているとみなされるのかなど、なかなか困りものではある。

しかし、よく会社の飲み会などで下記の台詞を発する人がいる。

「え、これどこ座ればいいの?」

決断が非常に苦手な方は多く存在し、また座る席は組織内での関係性や立場も考慮する必要があるため、指針がない中での決定は難しい。好きな場所に座れと思うが、なかなかそうはいかない。楽しい時間が過ごせなくなるリスクがあるからだ。

ここで、上座・下座というマナーが有効となる。目上という概念は難しいものの、役職ないし年齢という定義が一般的なため、とりあえず奥から順に、年齢が上の人から座らせていけばいいのである。

敬意を表しているという大義名分の下に、「飲み会でどこに座るか?」という日常の課題に対し、マナーが解決指針を与えてくれるのである。

そもそもマナーは日常的な、この時どうしたらいいのか?という困り事に対して発生する。結婚式に何を着ていけばいいのか、プレゼントのお返しに何を渡したらいいのかなど、一切の行動指針がない中では判断が難しい事項に対して、マナーが規範として制約を与えることで、行動指針ができる。

マナーには、日常生活の行動指針という役割がある。

役割2. プロトコルの確認

メールを送る際、謎の枕詞を付けるマナーがある。

「いつもお世話になっております。」。

本来的にお世話になっていない相手にもなぜかこの枕詞を付けることが多い。ひどい場合は初対面の相手にすら使う。メールの目的が何らかの要件を相手に伝えることならば、お世話になっているかどうかは全く関係ない。その意味で、不要で無意味なマナーと思われる。

しかし本当に無意味かというとそうでもない。

誰もがメールに枕詞を付ける文化の中にいる場合、この枕詞をつけることで、相手に下記のように思わせる効果がある。

「あ、この人もメールにお世話になっておりますをつける文化の人だ」

つまり、相手に対して自分が相手と同じ文化にいると認識させることが出来る。同じ文化にいる人間には言葉が通じやすい。そのため、相手は安心してメールを返信できる。

相手と自分が同じ文化に生き、同じプロトコルで通信可能な人間であると確認するツールとして、マナーが非常に便利なのである。

社会においてほとんどの人間は初対面であり、信用ならず話が通じるかもわからない。しかし、相手と自分が同じ文化に生きている似ている人間となれば、ある程度信用度を挙げてコミュニケーションを開始できる。

自分が話が通じる人間であると相手に伝える手段として、マナーには有意な役割がある。

役割3. 彼我の分別

3つ目の効果は、2つ目の効果の結果として生まれるものである。

マナーを正しく守ることで、相手と自分が同じグループの人間とみなす効果がある場合、守れない人間はどうなるか?

必然的に、守れない人間は異なる文化に属する人間となる。

例えばアメリカにはチップというマナーがあるが、日本には存在しない。アメリカでチップを払わない場合、非常識な人間であるとみなされる可能性が高いそうだ。つまり、チップを守る人間と守らない人間でグループ化し、文化に馴染んでいる人間とそうでない人間を分別する効果がある。

就職活動でのリクルートスーツも同様である。

日本の会社組織に属する人間は、スーツを正しく(一般的に正しいとされる形式で)着こなす人間が多い。つまり、リクルートスーツを正しく着る学生は、こちら側であると判断される。一方リクルートスーツを正しく着れない学生、ないし着てこない学生は、同じグループには属さない、あちら側の人間と判断可能である。

つまり、マナーを守る側と守らない側で集団を分け、各個人に彼我を分別させる効果がマナーにはある。

ここに、マナーの問題点があると言える。マナーが守らなければならない義務となった場合、それを守らない人間は悪、守れる人間は善として、社会が分断されてしまうのである。

本来的には行動指針やコミュニケーションの円滑化という機能を持つマナーによって、無意味で社会が分断され、対立構造が出来上がる。本来法律でもないものにより、守れない人間が隅に追いやられる社会は果たして健全なのだろうか?

まとめ

振り返ると、マナーには下記3つの効果がある。

1. 日常生活での行動指針

2. 知らない相手とのプロトコルの確認とコミュニケーションの円滑化

3. マナーを守る人間と守らない人間との彼我の分別

一見不要に思えるものでも、改めて考えると何らかの役割があるからこそ社会に存在する。一つの尺度から不要と割り切らず、様々な角度からアタリマエを見直し、日常を再発見していきたい。

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