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飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜専門学校編〜

前回は高校生活を書きました。 今回は専門学校位までを書きます。 高校生になってもやっぱり周りから「お店は次ぐの?」「跡取り」などと言われ続けており将来は料理人しかないと洗脳されておりました。 どうせなるなら東京で有名なお店で修行したいと考え方法を調べると専門学校へいくのがセオリーだとわかります。 専門学校のなかでもある程度のランクがありその中でも一番にいきたいと考え調べて日本料理の選考のクラスを受験をして受かります。 なぜ日本料理かというと西洋料理はまずフランス語の勉強か

    • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜高校生編〜

      前回は父親の病気と回復までの中学〜高校位まで書きました。 今からは高校生活について書きたいと思います。 高校は地元の農業高校に入学になんとか入学をします。 高校受験の際に父親から落ちたら知り合いの大関の相撲部屋にいれると言われて死ぬ気で勉強しました。 大相撲からスカウトが来ているという噂が地元で広がり入学式で相撲部のゴツい先輩に囲まれて入部をさせられそうになるという恐ろしい一日でした。 結果としてはなんとか逃げ切って写真部に幽霊部員になります。 私の性格は陰キャです。 高

      • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜中学生後半〜

        前回は中学性の前半位までお話しました。 実家の会社が色々あってタイ・バンコクで軌道にある程度のるまでです。 中学性後半になると父親の体調が悪くなり始めます。 原因としては仕事で不規則な生活による糖尿病です。 毎日遅くまで働き食事も深夜に取ることも多くの接待で外食がほとんどで今考えれば病気真っ盛りな生活だと思います。 それをいくら注意しても全く改善しようとしない性格で「いつしんでもいい」や「病気になったら死ぬ」など強気でいきておりました。 そんな生活を続けていると一発目の脳

        • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜中学生前半〜

          前回は小学校くらいまでをざっとお話して父親がタイ・バンコクに店をオープンしたところまでお話しました。 タイに店をオープンしてからどの1年位は全く売れていない状態で相変わらずなんとなくお金が無いのが伝わる状態が続いていました。 そんな中父親が日本に戻ってきて数週間でまたすぐに戻るということが続くようになります。 この時実は最後の賭けで30万円どうにかかき集めてチラシを準備してタイで配ったそうです。 それにより当時は寿司という文化がほとんど伝わっていないタイで注目を浴びで認知

        飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜専門学校編〜

        • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜高校生編〜

        • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜中学生後半〜

        • 飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜中学生前半〜

          飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜幼少期編〜

          こんにちは飲食ベンチャーで商品開発部部長をしているヤマトです。 現在25歳埼玉県出身で東京在住のただの人間ですが自分が今に至るまでを気ままに書けたらと思います。 話は幼稚園からはじまります 私の実家は地元で寿司屋を経営しておりとても顔が広いほうでそれを助長していたのが父親の性格とキャラクターです。 自由奔放で好きなことをして金を使い思ったことを、とにかくする人で基本的には家におらず仕事か麻雀で遊んでおり会話をするのは週に1回あるかないかでした。 父親は家の敷地内でノ

          飲食ベンチャーで25歳で部長になった男  それと50歳で亡くなった父 〜幼少期編〜