言葉の機微

 誤用することは誰にでもある。いろいろな場面で目にするので、知ったつもりになっている言葉、間違って覚えてしまってる言葉はよくある。なんとなく知ってることはそもそも自分の使用頻度が高くないが、難しい表現は使うとかっこいいので、とりあえず使ってみたりする。それが大体誤用になってたりするのだが、人生はtrial&errorの連続なのでこれからも積極的に使っていきたい。

 そして誤用は長い歴史の中であまりにも用いられることで、正しい表現にとって代わることもある。
 例えば「姑息」という言葉。これは「姑息な手段」とかで用いられるネガティブな単語で現在は用いられているが、元々は「その場しのぎ」だとか、「とりあえず」という意味の言葉である。
 ほかにも「敷居が高い」という言葉は、高級感のあるお店や高尚な分野に対して、入って行きずらいというような意味で用いられる言葉だが、本来の意味としては「相手に対して失礼なことをしたため家に行き難い」という場面で用いることが適当だった言葉である。

 こういった言葉たちは無数にあるので、その都度気を付けることが望ましい。

 ところでタイトルに書いた「機微」という言葉。この意味は「表面からは分かりにくい、微妙な心の動きや物事の趣」である。

 先ほど誤用を恐れず、どんどん新しい言葉を使っていくべきだと言った。もちろんこういったところから挑戦する精神を鍛えていくことで、高みを目指していけるとは思うからである。ただ、これは言葉を雑に扱えと言っているのではない。

 寧ろ、言葉は繊細に、ガラス細工のように扱うべきである。

 言葉というのは豊かな海である。言葉一つの持つ力は絶大で、人々に様々に大きな影響を与える。そして言葉には歴史がある。言葉が生まれたのには何らかの意図があり、その経緯をたどり、今に伝わっている。潤沢な人類に平等に与えられた、言葉という資産を今一度見直してもらいたい。

 そして、是非"言葉の機微"を感じてもらいたい。言葉の中には似たような言葉、いわゆるsynonymも多く存在する。このsynonymを同じものとしてひとくくりにしてはならない。これらの言葉たちの間にある、微妙な違い、nuanceを一つ一つ感じられるようになると、より心の豊かさ、人生の豊かさを増していくだろう。

 近頃の短文のやり取りでは心のcommunicationはできない。が、豊富なvocabularyを駆使することで、言葉から気持ちを滲み出させることも不可能ではないだろう。

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