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失恋する私の為の人生見直し映画コラム

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失恋の傷は書くことによって癒されていくようです
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#エッセイ

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ①「モンテネグロ」

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ①「モンテネグロ」

1989年私は京都にいた。大学4年の夏、京都駅のすぐ横の船形の建物の中にある、ルネサンスホールでこの映画を見たはずだ。

見たはずだというのは、物持ちのいい私はこの時のチラシを宝物のように大事にしまっており、今それを見ながら、書いているからだ。

ユーゴスラビアの鬼才ドウシャン・マカヴェイエフ監督特集を組んでいて、「スイート・ムービー」「WRオルガニズムの神秘」の3本立てで上映されていた。

チラ

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ② 「コカコーラ・キッド」

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ② 「コカコーラ・キッド」

またまたマカヴェイエフ監督作品ですが母国のユーゴスラビアで、自身の映画がその過激さにより上映禁止になったマカヴェイエフは、その後スウェーデンで「モンテネグロ」を撮った後、オーストラリアで「コカコーラ・キッド」を撮った。

私は「モンテネグロ」の数年後、多分1990代年始めに、この「コカコーラ・キッド」を見たのだが、どこの映画館でどういう風に見たかは、覚えていない。チラシもパンフレットも残ってないの

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ③「神経衰弱ぎりぎりの女たち」

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ③「神経衰弱ぎりぎりの女たち」

1990年代初頭のある日の近鉄小劇場私はこの映画をこの場所で見た。同時上映の同じペドロ・アルモドバル監督の初期作品「バチ当たり修道院の最期」のチラシを現在まで大事に保管していたので、当時の様子を少しずつ思い出すことができた。

ただ、私は何故「神経衰弱ぎりぎりの女たち」ではなくて「バチ当たり・・・」の方のチラシしか持っていないのかが思い出せない。やはりあまり知識がない中で、チラシ置き場から適当に持

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ④「ラウンダーズ」

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ④「ラウンダーズ」

1999年、32才再起を誓って東京にいた。二十代半ば、早々と東京での仕事に挫折した私はボロボロになって田舎に帰り、多少のお金を貯めて、まだ夢を諦めきれずに、三十代前半でまた上京した。知人の紹介でやっと映像関係の仕事を得て、京都から東京に出たのに二年も続けることが出来なかった。京都の仲間たちにもあきれられたのでその後はあまり会ってなく、以前のバイト先には顔を出すこともできなかった。それは現在も続いて

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑤「カラー・オブ・ハート」

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑤「カラー・オブ・ハート」

人生最大で最後の失恋(と思いたい)から半年。さすがに心の痛みは少しずつ癒えてきていると感じる。あの時は「恋愛」という列車(のぞみとかこだまのようなものだと思って下さい)から強制的に下車を促されて(まったく誰がどんな権限を持って?と問いたいよ)、自分の足で目的地に向かうように示された(これまた、それがどんな場所かは決して教えてくれないのだ)。進み始めてみると、自分の足の裏の幅しかない道が付いた崖があ

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑥「8 1/2」その1

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑥「8 1/2」その1

“はっかにぶんのいち”と読むらしいイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの8と2分の1本目の監督作(半分だけ監督したものも含むため)。

「失恋する私の為の人生見直し映画コラム」を書いていこうと思い立った時、最初にやったことは、ネットで宅配DVDレンタルの会員になり、頭に浮かんでくる思いつく限りの映画のタイトルを、次々と「お気に入り」のリストに入れていくことだった。

このコラム①の「モンテネグロ」

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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑥ 「8 1/2」その2

失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⑥ 「8 1/2」その2

本当はそれだけじゃないさて、大学時代の私が初めてこの映画を見た時、半分くらい寝てしまったので、中途半端にしか理解出来ず、妻と愛人の間で揺れ動くフェリーニの都合のよい願望の話、みたいな浅薄な見方をしてしまっていたが、本当はそれだけの話ではない。今回見直してみて、やっと全貌が明らかになった。それにしても理解出来るまで三度も見ることになるとは・・・。

まず、最初はあえてなんの予備知識も頭に入れず、見始

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