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尾崎豊「卒業」の歌詞から考えたこと

仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業

尾崎豊 / 卒業

人にはさまざまな支配が仕組まれている。例えば、組織の規律に服する、法に触れない、社会の常識に従うなど、私たちの生活にはルールによる制限がある。経済的な問題もつきまとうし、ときに病気を患う。これらは私たちに課された支配のほんの一例であろう。

先述のような支配は、基本的に外的要因であり、それらから逃れることは難しい。法律や就業規則などを変えるだけの力は一市民にはないし、資産は急に増えないし、病気の発症は時を選ばない。しかし、支配はそのような外からのものだけではない。自分の内面にも潜んでいる。

知らず知らずのうちに、人は自分自身の価値観や思考様式に縛られている。例えば、私は優しい人だから、あの人は悪い人だから、日本人はこうだから。このようなものの見方はすべて偏見の産物である。自分は温厚な性格であると思い込んでしまえば、怒りなどの自身が抱いている暴力的な側面に気づかなくなる。誰かを悪人と決めつければ、その人が実は持っている良いところが見えなくなる。多くの日本人に当てはまる傾向も、日本人全員に当てはまるわけではない。

固定観念に気づくことは難しい。しかし、これは自覚することである程度逃れることができる。自分には中立的な視点はないと認め、それでもできるだけ真っ直ぐに人やものごとを見つめようと心がける。このような営みによって、多少なりとも先入観を減らせるであろう。内的要因による支配は、外的要因よりも気づきにくいが逃れやすい。

私たちが享受している自由は、仕組まれた自由にすぎない。だからこそ、せめて自分自身の支配からは卒業したい。

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