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「民主主義対権威主義」に埋もれた対立軸

 「民主主義対権威主義」という対立軸が、最近よく使われている。昨今、個人の自由や民意を尊重する民主主義国家は、ごく少数の者が権力を振りかざす権威主義国家に、脅威にさらされている、といったような論調である。だが、人々は、この対立軸ばかりが目につき、別の重要な対立軸を見落としているのではないか、というのが、本論で提起したい問題である。

 アリストテレスの政体論、というものがある。古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、ある基準を用いて、統治の形態を分類したものである。
 基準の一つは、統治者の数である。アリストテレスは、統治形態を、統治者(支配者)が一人の場合、少数者の場合、多数者の場合、の3種類に分類した。民主主義では多数者による支配、権威主義では一人または少数者による支配、ということになる。
 基準がもう一つある。統治の質である。すなわち、共通の利益を目指すか、自己の利益を目指すか、ということである。もちろん、目標が共通利益であれば良い形態、自己利益であれば悪い形態、ということになる。
 これら2つを組み合わせ、アリストテレスは統治の形態を6種類に分類した。共通利益を目指す一人の支配(王制)、自己利益を目指す一人の支配(専制)、共通利益を目指す少数者支配(貴族制)、自己利益を目指す少数者支配(寡頭制)、共通利益を目指す多数者支配(国制)、自己利益を目指す多数者支配(民主制)、である。
 留意したいことは、統治の形態が、統治の質、すなわち共通利益を目指すか自己利益を目指すか、という視点でも分類されるという点である。

 ここで、民主主義対権威主義の話に戻ってみる。先ほど指摘した統治の質という観点から、現在の民主主義国家と権威主義国家を注意深く観察してみると、次のような疑問が生まれてくる。民主主義国家においては、有権者である市民の大半が、社会全体の利益について本当に考慮できているだろうか?また、権威主義国家においては、権力を持つ者たちが、庶民の平穏で豊かな生活に思いをはせているだろうか?つまり、民主主義国家も権威主義国家も、概して、自己利益を目指す悪い統治形態に陥っていないだろうか?

 民主主義国家は、「民主主義が権威主義によって脅威にさらされている」と主張する。しかし、他国を批判する以上に、自国を省みる必要もあるのではないだろうか。すなわち、「有権者の一人であるわたしは、自分のことだけでなく、社会や世界のことをどれだけ考えられているだろうか?この国の政治は、私利私欲のための政治になっていないだろうか?」といった自問をしてみることも欠かせないのではないだろうか。

 今日では、「民主主義対権威主義」という対立軸が強調されている。それに囚われて、「共通利益対自己利益」という対立軸を見落としては、足元をすくわれる危険がある。ひょっとすると、脅威は国内にも潜んでいるかもしれない。

参考文献
中村昭雄『増補新装版 基礎からわかる政治学』芦書房、2012年

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