最近考えたこと①,②,③

何ものにもとらわれていないような研ぎ澄まされた心身の状態での、直観的な経験をもとに自身を顧みたときに気づくものがある
より直観的な経験から、自身のより本質的な性質としての、偏り・歪みに気づく
その偏りによる生命としての普遍的な苦しみについて思いを巡らせる
自分の弱さを知って外界の弱いものに気づいたり、それに対する理解をもてる
本質的で普遍性の高い苦しみに対し、より本質的で普遍性の高い慈悲心が起こる
完璧な自覚などなく、その人が気づいたものは副次的な性質に変わりないとか思う
自身の副次的な性質については誰でも理解しているところがあると思うから、その人なりの悟りがあるように思う
その苦しみに基づく慈悲心についても、人それぞれの、その人なりのものがあると思う。

人は誰でも偽ることが嫌いだと思う
(偽ることを正しいと信じている場合を除いて)
信仰の歪み、歪みを正しいものとする信仰が矛盾のもとになっている

人は誰でも心の歪み・偏りを嫌っている
(歪んだ心を安心だと信じている場合を除いて)
信仰の歪み、歪みを正しいものとする信仰が矛盾のもとになっている

疑念をもってその不和を征す

生き物とは心であり、心の調和を求める存在

生き物の本質部分に心があり、心は本質的に安心を求めている

心とは振動の相互作用によるもの

心は相互作用の性質をもっている

生物の心とは、その生物の相互作用のこと

苦しみは心の偏りから生じるが、生き物は偏った心そのもの

輪のような偏りのない心との相互作用の事を和の心と呼ぶ

安心とは和された心のことであり、相互作用による偏りなく、丸い一貫性のある心

偏りのない人とは、偏りの和された人と考えられる

心の相互作用によってちがう形の心が生まれる
心の偏りの事を業(カルマ)という

心の偏りの相互作用というカルマが輪廻転生する

心の偏り・歪みは、常に変化する心の複合的事象であり、あらゆる物事において正否はないといえる

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