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勧善懲悪が難しくなってきている?

最近の物語では絶対悪のような存在ってあまり登場しなくなっている様に感じませんか?しかしゲームシステム上だと、まだまだ勧善懲悪の方が都合が良かったりします。

その最たる例が、キングダムハーツなどディズニーのオールスターが登場するようなゲームで必ず敵キャラとして登場する「ハデス」というキャラクターだと思います。

このハデスは1997年に公開された「ヘラクレス」に登場する死者の国を治める神です。見るからに悪そうな見た目をしていて、手から炎も放つという敵キャラとしてうってつけのキャラクターです。
しかし、ゲームなどでの登場が多いこととは裏腹にこの「ヘラクレス」の知名度はそれほどではない気がします。
日本語吹き替え版はTOKIOの松岡くんが、恋人のメガラは工藤静香さんが演じていたのですが、ご存じの方は一体どのくらいいるでしょう?

ディズニーの悪役たちをディズニーヴィランズとまとめる場合もありますが、代表的なキャラクターはアラジンのジャファー、リトルマーメイドのアースラや眠れる森の美女のマレフィセントとどれも90年代以前の作品に登場するキャラクターばかりです。

なぜこんなマイナーなキャラクターや少し古いキャラクターたちを引っ張り出してこないといけないのでしょう?
アナと雪の女王やズートピア、シュガー・ラッシュなど2000年代以降もヒット作がないわけではありません。
しかし、それぞれの悪役は?って言われると、パッと思いつかないですよね?どっちか言うと物語の後半になって始めて、小悪党が正体を表す様なストーリーのような気がします。この小悪党たちは多少痛い目にあいますが、少なくとも力技でコテンパンされるほどのことはありません。

この様にディズニーだけを取り上げても物語の最初から最後まで悪に挑んでいく!という物語は明確に減っていそうです。

では、日本では昔、どう描かれていたのでしょうか?

勧善懲悪と言えば正義のヒーローを思い浮かべます。先日も取り上げた日本を代表するヒーロー、ウルトラマンではどうでしょうか。

ウルトラマンは宇宙からの侵略者や、太古の眠りから覚めた怪獣などから人間を守ってくれます。それらは人間からすれば正義の味方ですが、時には惑星に取り残され怪獣と化して地球に帰ってきた元宇宙飛行士や怪獣墓場で目覚めて間違って地球へやってきてしまった怪獣など、判断が難しい相手も登場します。
神谷和宏さん著「ウルトラマンと「正義」の話をしよう」に文明の犠牲者としての怪獣ウーについてこんな風に書かれています。

ある村に住みながらも、集落になじめずに排除される雪ん子は、人間の秩序に溶け込めない自然的な存在です。その雪ん子を守ろうとして現れるウーもやはり文明と対置される自然の象徴と言えます。
 この山村は日本の縮図のような村です。その村はそれまで、ユキのような自然的存在を、とにもかくにも需要してきました。それはこの山村がつい最近まで、「文明化以前」の地であったことを示しています。(中略)
自然的存在であるユキに加担する強大な存在がウーなら、文明的存在である、その他の人間に加担する強大な存在がウルトラマンです。(中略)
文明化から排除されるウーと対峙したということは、ウルトラマンはユキと対峙したのと同様です。このストーリーは、ウルトラマンの正義さえもが絶対ではなく、ともすれば犠牲者を生むということを、メインライター自らが示したものです。

この様に実は正義の危うさについてはウルトラマンの時代(1960年代)から描かれてきてはいたのです。
ただ、この時点ではまだ、正義というものに疑問をいだきつつも、「正義」対「悪」の構図、勧善懲悪の物語の体を取っています。

これが近年、特に2000年代以降は勧善懲悪だと物語が描きにくくなってきている印象を受けます。おそらくこれまで限られたメディアから情報を得ていたところからネットの普及により、視野が多角化しているのではないかと考えています。また中東とアメリカの戦争により9.11以降、双方に正義があるという構図が広く浸透してきたのかも知れません。

また時代が変われば、トレンドも変わってくるかも知れませんが、当面は勧善懲悪を真っ向から描くのと、広く受け入れられるのは難しそうです。

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