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大人の迷子

現在のわたしのこと。

昨日、穴の空いた尿管に入ってるステントを交換した。去年からその管は入っていて、一年に一度交換するらしい。
去年初めて処置したときは、痛いと聞いてとてもビビっていた。先生の説明で、もし下から(尿道口?)入らなかった場合は、背中に穴をあけてそこに管を通して・・と、もうここまで話を聞いた時点で涙がでた。もう何も聞きたくないと先生の前で机に突っ伏した。
そんなことは鮮明に覚えていたけれど、肝心の痛みについては上手に思い出せなかった。でもたしか痛くて痛くて、大好きなフタコブラクダを思い出して泣きそうになっていた。痛さが増すたびに、妄想のフタコブラクダのコブだけをクローズアップして、てっぺんだけフサフサしているかわいい体毛がふわふわと風になびいている情景を必死に思い出して耐えた。そんなことだから相当な痛みだったに違いないのだ。
だから処置の日が近づくたびに憂鬱だった。その前にまた新しいフタコブラクダの動画を準備したりして、万全の対策を取っていたつもりだったけど、当日病院に向かう時も憂鬱度が最高潮になり、頭がぼーーっとしていた。このまま一生病院に辿り着かなければいいのに、とか、なにを毎回くそまじめに病院に通ってるんだ、今日は逃げちゃおうかな。とか、思いながらも、今日もくそ真面目に病院に到着した。
いつもは婦人科に行くが、今日は泌尿科。外来では初めての泌尿科。婦人科は1時間待ちが普通だけど、ここは5分くらいで呼ばれて心の準備が全然できなかった。
そのせいか、呼ばれた処置室で測った血圧がエラーで測れないほど高かった。ほんと血圧やだ。そしてなんでこんなに高くて普通なのわたし怖い。
あとで台に横になってからまた測りましょ、と言われたが、そんな怖い処置をする台に横になるってことは、恐怖が恐怖となって近づいているときであって、いくら横になった体勢だからって血圧が下がるとは全く思えなかった。案の定、パンツを脱いで、足をあげて、恥ずかしい格好になって処置を待つ体勢で測った血圧は上が198だった。エラーにならないからちょっと下がったのかな。どうでもいいけどわたしは本当に血圧が高すぎる。
まずここで「がんばれないポイント」5加算された。相変わらず高い自分の血圧にうんざりってところ。
そしてここから恐怖の処置が始まり「がんばれないポイント」は次々と加算された。主治医の先生にも一生ステントしなきゃいけないって聞いていたけどそれを信じていなかったわたしは、ここでも質問した。でも答えはノー!
やっぱり死ぬまでステントをぶち込まなければならないらしい。ここでがんばれないポイント一気に50くらい食らった。
そして、忘れていた痛みを実際体験して、その痛みでポイントはマックスに加算された。
わたしは泣いた。

もう、爆発だった。涙は静かに流れたが、真面目に生きようとおもって、いろいろ我慢してたり、思わないようにしていた感情が爆発した。
部屋のごちゃごちゃしたものをクローゼットに押し込んで、何度もなんども押し込んで、クローゼットの扉が壊れて、私の頭上にしまいこんでいたごちゃごちゃしたものが一気に落下してきたような感じだ。
もういやだ、なんでこんなことになったんだ、どこで間違った?なんでわたしだけ?なんであいつらはシャーシャーと生きていてわたしは痛みに耐えてなにがちがうの、どうしてわたしなんだ!!!!って。
そうゆう考えはどうしても浮かんでしまうけど、しょうがないって思うようにしていた。いろんな考えを経験したけど、もう何を考えても現状が変わるわけではない。全てしょうがないんだ。と。
でも本当はまったくしょうがないと思えていない自分に直面した。病気のことも全然受け入れていない。その前にわたしは自分の身体のこと、病状だってなにも理解していないんだ。
そんな自分に腹がたった。処置も痛い。健康なやつがムカつく。処置が痛い。あのときセックスして中絶した男はたくさん浮気して今は起業してる結婚して子供産んで。わたしは尿管に管を入れてる。家族以外に大切なひともいない。すっごく痛い。情けない。悔しい。悔しい。痛い。
もう子供みたいに号泣していた。

心がよじれた。ひん曲がって絡まって、もうお手上げだった。
一度泣き始めた涙は簡単にはひっこまず、泣き止んだかと思えば、看護婦さんの優しい言葉にまた涙が出る始末。もう何を言われても泣いていた。たのむからわたしに構わないでくれ。もう泣き止みたいんだ。と必死に思っていたけどそんな気持ちが伝わるわけもなく、気遣ってくれる優しい看護婦さん。泣き止まない私に、処置を心を鬼にして強行したと言って謝る先生。ちがうんだ、そんなことを言わせたいんじゃないんだ。もういろんなことが絡まりまくって、直したいのに直せなかった。優しくしてくれた看護婦さんと先生をシャットダウンするようにぶった切って会計へと進んだ。
会計を待っている間、こんどは優しくしてくれた人をぶった切って逃げた自分がほんと嫌になって泣いた。人がたくさんいて恥ずかしかった。でも止まらなかった。次から次へと、自分では追いつかないスピードで感情が濁流のように流れて、わけもわからず泣いた。ただただ涙を流すことをしていた。マスクで目まで隠して、大勢の中で泣いた。

手術して、会社に復帰して、また入院して、退院して、入院しての繰り返しをしていた時も心がおかしくなって、よく泣いていた。迷子だった。自分が、自分の気持ちや感情が、どこに向かっていいのかわからなくなるんだ。いつもは当たり前に生活して、1日を生きていることが、今までの自分の生き方の道が見えなくなる時がある。それは以外と辛いもので、心がギスギスにやせ細っていくように感じた。なにも感じないまま生活して、ふと涙が出る。ただただ涙がでる。理由もわからず出る涙は止め方がわからなくてずっと泣いていた。
そんな毎日を送っていたことを思い出した。一度取り戻した自分をまた失うんではないかと恐怖を感じた。大丈夫、わたしはまだ大丈夫。へなちょこな力でそう言い聞かせて、薬の入ったビニール袋を引きずりながら病院を出た。

会計が1万8千円くらいで、欲しかったけど高くて諦めた、花柄のワンピースと同じ値段だった。


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