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【Uターン】人口3,000人の町からメガバンクに勤務するも北海道に戻って会社を継ぐ?33歳の専務が叶えたい夢とは?

こんにちは!
北海道寿都すっつ町の株式会社山下水産採用広報担当です。

本日は弊社の専務取締役、山下喜久へのインタビューです。創業家の5代目として生まれた弊社の専務。聞くところによると、とある大きな銀行の出身? 中学から1人暮らしを経験? 山下水産で叶えたい夢とは?

こんにちは。株式会社山下水産、専務取締役の山下喜久です。

-創業家の5代目として

幼い頃から、山下水産の一員として育ちました。小さな頃は周りの親戚や地元の方々から「山下の跡取り」として見られていたような気がします。はっきりとした自覚はそれほどなかったですが、心の奥底では感じていたのかもしれないですね。

家と会社が一体だったので、よく会社には出入りしていました。いま働いてくださっている社員の中には、私を小さな頃から知っている社員さんもいますね。生まれる前から働いてくださってる方もいます(笑)

当時からいる社員さんには頭があがらないそう

-中学で1人暮らし?

父が教育熱心だったこともあり、小学校卒業後は北海道北広島市にある立命館慶祥中学校・高校に進学しました。歳の離れた姉が2人いましたので、そこで一緒に暮らすみたいな感じですね。

厳密に言えば1人暮らしではないのですが、まぁ、ほぼ1人暮らしみたいなものでしたね。親元を離れるということが当たり前だと思っていたので、特に違和感みたいなものはありませんでした。

-大学進学

父は慶應義塾大学の出身で、私もそこを目指したのですが、結局明治大学の商学部に入学することになりました。

そこで一般的なマーケティングに関する勉強とかをしていました。学内では結構「マジメ」で通っていた気がします。声を大にしては言えないですが、レポートの代筆とかノートを借したりとかもありましたね(笑)。

大学3年時には上海にも留学させてもらいました。真面目に授業を受けていたのも留学するためでした。
なぜ中国を選んだかと言われると、英語圏だと「普通」かなと思ってしまって(笑)特に英語を話せるわけではないのですが。
中国語は正直全然分からなかったのですが、そこでも真面目に勉強しました。授業は全部中国語なので最初は意味が全く分からなかったのですが、1年の留学期間でなんとなーく理解はできるようになりました。

その後、就職するのですが、私、結構転職をしていて、それについてちょっとお話しますね。

社長室にある家族写真


-新卒でメガバンクへ(1社目)

最初のキャリアはメガバンクでした。商社や食品メーカーも受けたんですけど、今後のことを色々と考えて銀行を選びました。

銀行では主に関東の法人顧客を担当しました。資金調達から経営相談に至るまで、幅広い業務を経験しました。特に、異なる産業の企業と接することで、ビジネスの多様性と複雑性を学びました。銀行ですので「金融」の視点から企業経営を見ることができるようになり、その洞察は今でも山下水産の経営に役立っているかもしれません。


-築地でのキャリア(2社目)

メガバンクで3年間の勤務の後、次は築地の鮭専門店で働くことになりました。鮭です。ここでは、魚の仕入から販売まで、魚介類の流通に関わる一連の業務を経験しました。

その会社は「高級鮭専門店」で有名で、そのこだわりは半端ではなかったです。最高級のものに対する姿勢やこだわりを勉強させていただきました。

最高品質の魚を仕入れる過程では、目利きの重要性を学びました。また当時、築地から豊洲に移転するかもしれないというタイミングで、仲買さん達が築地に新しいお店を作りました。そこで店舗運営もさせてもらっていましたので、顧客とのコミュニケーションの大切さを実感しました。このあたりでもう「いつ地元に戻ろうか」と考え始めていた頃だと思います。


-高級スーパーでのキャリア(3社目)

築地での経験を経て、私は関東で広く展開する高級スーパーマーケットで働く機会を得ました。ここでは、高級食材のセレクトから販売戦略まで、食品小売業の知識を深めました。

鮮魚部に配属になり、素人の私に包丁の使い方や、魚の扱い方をみなさんからご指導頂きました。身につけたスキルは私の大きな財産です。
また、地域ごとや店舗ごとでお客さまの好みを捉えた商品開発と、効果的な販売促進の重要性についても学ばせてもらいました。これは現職でも役立ってると思います。

これらの転職を通じて、まずは銀行で金融・財務目線を学び、築地で目利きの大切さを学び、そしてスーパーマーケットで商品開発から販売戦略まで学び、たくさんの経験をさせていただいて、本当に感謝しています。

これまでの経験を山下水産に還元したいです

-山下水産に入社

父と相談し、2019年頃に正式に山下水産に入社しました。たしか役職は経営企画室長っていう厳かな役職で(笑)。最初の頃は父についてまわって挨拶回りをしたり、という日々を送ってました。

入社して印象に残ってる仕事があります。

小女子こうなごっていううちの主力商品があるのですが、ある時期になるともう大変なんです。夜中に入札に行って、そのまま仕入れて会社に戻って加工して、もう私も会社の一員ですから社員と一緒になって一生懸命朝から晩まで加工、加工、加工です。もうお祭りみたいな賑やかさで、寿都町全体も盛り上がるんです。小さいころから雰囲気は何となくつかんではいたのですが、「こんなに大変だったのか」と。


-専務として

とにかく手探りの毎日です。これまでの会社の歴史があるわけですよね。でも時代に合わせなければならない。効率化を図ったり、コストを削減したり、新商品を開発したり。

私たちは北海道の地方にある会社ですから、市場で生き残るには何とか知恵を絞りながらやるしかないです。

これまで先人達がコツコツと築いてくれた山下水産の味やブランドは、全国的にも「知る人ぞ知る」という存在になっていると思います。

私の使命は、ブランドをさらに輝かせて、次世代に継承しつつ、もっともっと多くの方に知ってもらい、食べてもらうことです。

そのためにはしっかりと利益を生み出して、次の投資に回す土台を構築しなければなりません。

ですので、まずは工程の見直しを推進しました。もちろん製造工程というのは社員さんあってのものですから、見直しを推進するにも皆の同意を得られないと進みません。皆の意見を参考にしながら、少しずつ、牛歩戦術ではないですが、推進していき、おかげさまでより効率的な生産ラインを構築でき、少しずつ改善できるようになってきました。

-今後の展望

これからは一層、販路の拡大や商品開発もしなければならないと感じています。山下ブランドの確立です。
さらに、水産品のみならず、さまざまな食材を使った商品開発も加速させて行きたいですね。

今は高級路線の商品作りをしたり、宅配商品の中に組み込んでいただいたり、全国の百貨店で開催される北海道物産展でも販売させていただいてます。

「山下の味」には社員一同、間違いのない自信をもっているので、この味をもっと多くのお客様に長くご提供していきたいです。

そのためには従業員1人ひとりが自ら考え、行動する文化をもっと育み、全員が山下水産の一員としての誇りを持ち続けられるような職場環境の実現を目指していきたいです。


まだまだこれからですね。

北海道寿都の海にて



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