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食とその全体

久しぶりに何か書いてみたくなったので今自分の中でアツい話題の「食」について書いてみます。

食については、作ること自体もルーティーン化した雑な自炊だし、お金も潤沢にあるわけでもないのでいわゆる良いお店に頻繁に行くというわけでもないド素人なワケですが、だからこそ語りたいこともあるのです。

なぜ「食」なのかというと、シンプルに仕事で飲食について考えることがあったからその延長・派生でほとんど余計なことについてまで興味を持ち始めてしまったのです。

「食」と漠然と言っても料理の味だけを取り出した単独の批評はそこにはない。というかそんなことをやっている通の人めっちゃいるはず。
自分の興味としては飲食の経験における全体的な「食事」ということに関心事がある。今日自分が気持ちの良い気分で誰かと楽しく話しながら食べる食事の経験に関心がある。

いや、もちろんうまいものを食べたいと思っている。当たり前だ。
しかし重要なのはこの店に1万円を払ったということに満足感を得たいというその期待にある。自分は建築家なので当然インテリアは重要だし、おいしい料理も食べたい、気持ちのよい接客もしてもらいたいし、いい音楽も流して欲しい。最後にはご馳走様のお礼を伝えながら店主と少し会話も交わしたい。何が気持ちいいか、快適かは人によってそれぞれだが、それ自体を理解した上でコミュニケーションを取って欲しい。

結局のところ、どこまでを自分の店と捉えているかという全体の領域に関心がある。味だけで勝負されても困る。味を主軸とした空間づくりをして欲しいと思うし、そういう店に行ってみたいと思う。

難しいのは徹底的にこだわればいいというワケではない。
こだわり=客をコントロールすることではない。こちらにも自由を感じることができる隙間や余白が欲しいと思う。息苦しくないような、あくまで快適性や気持ちよさを大事にして欲しいと思う。と、実際の現場を全く知らないで勝手に言っているが、こういった空間をつくるのは大変に難しいのだろうと思っている。

飲食空間にも現代性はあるのだろうか?
少し前のシティホテルのような至れり尽くせりの西洋的接客は現代日本人には少し不自由さを感じるのかもしれない。どんな状況であろうとある種のマナーを軸とした形式的・様式的で均一な接客は前時代的なのかもしれない。
そうではなくて個々のお客さんに合わせた接客、カウンセリングのような気遣いが為された接客。ゆるやかに、親しみのある目線の合う高さでの接客など。そういったものが必要なのかもしれない。前時代的?な至れり尽くせりの接客が終わったからと言って、決して「接客」という概念が無くなったワケではないのでそこには個人的にはめっちゃ注目していきたいと思う!(あまりにもテキトーすぎる話かも)


例えば、接客の仕方ひとつで同じ値段が高くも安くもなる。
味の周辺にある全体の空間づくりを「食」と捉えてみると思想や技術、人間模様が見えてきて面白いなあと思っている。
(調子に乗って飲食店をやりたいとたまに言っているがすごく気を付けようと思います。)


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