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予習の仕方がわからない。

もし5年前に戻って自分に言い聞かせることができるなら「お前、新しいこと学ぶなら、ちゃんとした予習をやった方が良いよ」と言いたい。

僕が通った大学院(ビジネススクール)の授業では、事前提出を求められる宿題(予習アサインメント)があった。
提出をカウントされ成績に考慮されるので、とにかくやって提出せねばと、仕事の合間や週末にせっせと取り組んでいた。

授業になると今度は発言の有無やその内容が評価され、それも成績に影響する。
筋の良い発言をするためにも予習が重要だった。

で、良い予習のやり方というのもある。と、今ならそう思う。

宿題の予習アサインメントには、「これを読んで、この問いに答えろ」と割と明確な指示があるので、「よしよし、これを読んで・・・。この問いについて考えれば良いのだな」と取り掛かる。

ちょっと待て。
予習って何のためにやるんだっけ?

もちろん、出さないと落第する。それだと、出すためにやることになる。
「予め習う」のが予習だから、その日の授業で何をやるのか事前にわかっておくと、当日、ちんぷんかんぷんになって、発言もできないと言った、授業を無駄にすることを回避することができる。

でも、それだとマイナスを避けるということになるので、その日の授業を最大限に有意義にするためには、どういう予習が必要だったのだろうか。
今更ながら、振り返って考えると。
「わからないところがちゃんとわかっているのか?」を把握することでは無いかと。

そもそも、出来ないことがあったり、知りたいことがあるから、わざわざお金と時間を使って大学院に行っていた。
で、知りたいことを予習するわけなのだが、そこでわかった気になったとしたら、それはたぶん間違っている。
「わからないところがどこなのかがわかっていない」状態なのだ。

予習して、「たぶんこういうことなのだろうが、あっているのか?」とか「ここが良くわからんから聞きたい」とか「ここをもっと良く知りたい」といった当日の授業の目的をいくつか持っておく(その日のイシュー)を持っておくために予習をすると良かった。

予習をせずに授業に臨むのは、ちょうど「晩ごはんに何を作るか決めていないのに、買い物に行く」ようなもので、時間もお金も無駄にすることになる。
予習をしても、「お店に何が置いているのか」を調べるような予習だとイマイチ。
「自分が何を作りたいのか、そのためにお店で何が必要なのか?」くらいはわかっておくべきだった。

だから、もし5年前に戻って自分に言い聞かせることができるなら「お前、新しいこと学ぶなら、ちゃんとした予習をやった方が良いよ」と言いたい。


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