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ゆるからとデリバレイト・プラクティス

前回整躰操法の目的は「ゆるんだからだ=ゆるから」を実現させることにあると書きましたが、からだの状態をゆるませておくことは、あらゆる運動やスポーツ、身体アクティビティにとって大切なことです。

ヒトはからだを骨格で支え、骨と骨をつなぐ関節を筋肉の伸縮によって動かして運動します。
筋肉を伸縮させるのは神経系の働きによりますが、神経は「縮め!」という一種類の信号しか筋肉に伝えることはできません。
一旦縮んだ筋肉を伸ばすためには、その筋肉の拮抗筋を縮ませることによって関節を逆方向に動かすという、他動的な作用が必要となります。
運動するということは、筋肉を縮めるための指令を神経が出し続けることであるため、運動によって筋肉は縮んだままの状態になりやすいということです。

筋肉が拮抗筋ともども縮んだ状態になると、それらの筋肉が動かす関節そのものが両側からロックされた状態となり、動かし難くなります。
関節をあまり動かさない状態が長く続けば、今度は筋肉同士や筋肉と骨格とがくっつき合い、可動範囲が一層狭まってしまいます。
縮んで拘縮した状態の筋肉は、筋繊維を構成しているミオシンとアクチンというタンパク質が重なり合って、太く硬くなっています。
そうなると筋繊維束の隙間を縫って走っている血管の通り道が塞がれてしまい、筋肉細胞が有酸素呼吸をできなくなるため、解糖系が作用して乳酸が蓄積します。
また血管と同じ経路を通っている末梢神経もダメージを受けて痛みや痺れとして現れ、脳は痛み信号を感じた部位を無意識的に力の入った状態にして対処しようとします。

このように筋肉は、使われすぎても使われなさすぎても縮んだままとなり、硬くて力んだ使えない状態になってしまいます。
縮ませるための神経信号でしか働くことができない筋肉を働かせるためには、普段からゆるんだ状態を保っておかなければなりません。
ゆるんで脱力した状態こそが、筋肉のニュートラルポジションなのです。

筋肉がニュートラルポジションであるためには、日常的に適度に使っていることに加えて、からだに余分な力みを持たせないようにすることが必要です。
しかしからだにはそもそも持って生まれた「力身」があり、どんな身体操作でも、最初に覚えるときには「力んで」練習し習得しなければなりません。
「歩く」「泳ぐ」「自転車に乗る」「文字を書く」など、初めての動作を学習しようとするときは、頭の中のイメージとからだの筋肉の動きがちぐはぐな状態からスタートし、そこから抜け出すためにはそれ相応の意識的な修練が必須です。
運動プログラムが脳内で「マニュアル操縦モード」から「自動操縦モード」に書き換えられることで、はじめてどう動くべきかを意識することなく、「力まない」パフォーマンスができるようになるのです。

日常動作の自動操縦化が一旦達成すれば、私たちは大抵の場合、それ以上の習熟は望まなくなります。
例えば自転車に乗って転ばずに走れるようになれば、自転車競技部にでも入部しない限り、それ以上走行技術をレベルアップしたいとは考えず、一生涯ママチャリ生活を楽しんだまま満足して終えることになります。
なぜならそこからさらに上達するためには、明確な目標設定と長時間の厳しい練習が必要となるからです。
自動操縦モードによる動作をただ繰り返すだけでは、洗練されたレベルのプレーに到達することは適わないのです。

一流のパフォーマーやプレーヤーになるための指標として、「1万時間ルール」というものがあります。
フロリダ州立大学の心理学者アンダース・エリクソン教授がドイツのバイオリニストたちを対象として聞き取り調査をした結果、ソリストとして国際的に活躍している一流演奏者には、「10年以上に渡る1万時間以上の計画的練習」をしてきたという共通点があったというのです。
そしてエリクソン教授は、単純に総練習時間の問題ではなく、その練習行為が「デリバレイト・プラクティス」であることが重要であるとも言っています。
「努力すれば手の届きうる明確なゴールを見据えて、そのために構成された課題をこなし、それを何度も繰り返すことで一段高いレベルの目標を掲げられるようになり、その目標達成のための課題をまた計画的に進めていく」
という意識的で継続的な努力こそが熟達への道なのだということです。

ヒトは心から楽しいと感じることになら、いくらでも時間や努力を費やすことができます。
やりたくて仕方がないことをし続けていると、その行為は知らず知らずのうちにデリバレイト・プラクティスになっていきます。
からだはやりたい事に対してとても正直に反応するので、本当にやりたいことをしている時には力みが取れ、ニュートラルポジションになります。
逆に少々嫌な要素が入った取り組みをするときでも、筋肉をゆるめニュートラルポジションの状態を作った上で行えば、からだは喜んで楽に続けることができるようになるものです。
一流への道、達人への道はまず「ゆるから」作りからだということです。

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