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いまの職場が居心地わるいと感じる方へ#2

「受け止める」と「受け入れる」は違う

いろいろな思いが湧いてくるオリンピックですが、開会式の組織委員会会長の挨拶で元アスリートだからこそ、思わず気持ちが溢れたくだりには、多くの人がグッと心を掴まれたんじゃないかと思います。

(ーー思わず気持ちが溢れたくだり)
アスリートの皆さん、この舞台に集まっていただき、ありがとうございます。困難な中でも決して立ち止まることなく、前を向いて努力を続ける姿に、私たちは励まされて今があります。同じアスリートとして、私は、世界の全てのアスリートを誇りに思います。そしてたたえたいと思います。

このメッセージは挨拶の終盤だったのですが、いろんな思いをもったまま、複雑な気持ちで開会式を観ていたワタシは、冒頭のくだりで一つだけ気になったところがありました。

(ーー冒頭の気になったくだり)
多くの方々の手によって、一つ一つ、希望がつながれ、今日この日を迎えることができました。世界中がコロナ禍の厳しい状況にある中、医療従事者の皆さまをはじめ、この困難を乗り越えようと、日々尽力されている全ての方々へ、敬意と感謝を申し上げます。そして、この大会の開催を受け入れていただいた日本の皆さま、開催実現のために、ともにご尽力をいただいたIOC、日本国政府、東京都、関係者の皆さま、ありがとうございます。

えっ?わたしたちってこの大会の開催を受け入れたんだっけ?「受け止めはしたけど、受け入れてはいないよ。」と思わずTVにツッコミをいれてしまった。

アメは受け取るけど舐めるかどうかはじぶんで決める

わたしにとっては「受け止める」と「受け入れる」の間には、おおきな隔たりがあり、行動を表す言葉として、あいまいに混同しながら使うことはできません。

・電車でとなりのおばちゃんんがアメをくれた。「ありがとう」と言って受け取るけど口の中に入れる(受け入れる)かどうかはわからない。
・職場の先輩がこの本いいよ、読んでみてと薦めてくる。「そうなんですね」と言って受けとめるけど、本を買って読む(受け入れる)かどうかはわからない。
・上司から仕事の進め方が悪い、こうしたほうが良いと指摘された。「ご指摘ありがとうございます」と言って受けとめるけど、上司のアドバイスどおりにやる(受け入れる)かどうかはわからない。

相手の言葉や相手の行為をいったんは受け止めるけど、それを受け入れるかどうかはじぶんが決めること。相手が受け入れさせる(じぶんの行動を変えさせる)ことはできない。じぶんの行動はじぶんで選べるはずです。

いったん受け止める。受け入れるかどうかはあとで考える

受け止めると受け入れる場面って日常にあふれていて、知らず識らずに流されて受け入れちゃってたり、受け止めることを拒否して反射的にはねのけちゃったりしてるんじゃないかと思います。

流されそうなとき、反射的にはねのけようとしてしまうときに、受け止めると受け入れるの間に線を引いて「いったん受け止める。受け入れるかどうかはあとで考える」とじぶんに言い聞かせる。そうすると、流されるわけでもなく、はねのけるわけでもなく、じぶんが主体的に行動を選ぶことができ、相手との関係性を傷つけないコミュニケーションができるんじゃないかと思います。

純粋な善意のワナ

相手とじぶんをひっくり返したときにも同じことが言えます。相手のことを思って、なにかしてあげたい。助言したい。支援したい。手伝ってあげたい。という純粋な善意から、言葉や行動がつい出てくることがあります。

そして、その善意を相手が受け入れなかったときに、必要以上に凹んだり、相手への不信感や嫌悪、憎悪が湧いてくることがあるかもしれません。でもそれは、相手が「受け入れない」と決めただけのこと。こちらの善意を相手が受け止めるか否かは相手が決めることなのです。

ただそのときに、相手がいったん受け止めてくれたんだと思えるかどうかで、事柄の印象がだいぶ変わるはずです。受け止めてくれたと思えるかどうかとは、「ありがとう」「ごめんね」「悪かったね」「そうだね」「そうか、ちょっと考えてみるね」という言葉なのかもしれません。

日常で遭遇する相手の純粋な善意を受けたとき、わたしたちはいったん受け止めたよというメッセージを言葉にして返しているだろうか?

相手からの善意を受けとたとき、相手へ善意を届けたくなったときに、この「いったん受け止める」が、言葉で表現できるようになると、職場や家庭、地域などの人間関係がスムーズになっていくんじゃないかと思うのです。

「いったん受け止める。受け入れるかどうかはあとで考える」お試しあれ。

山咲サクラ




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