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方言という、根。ランベッリ『イタリア的考え方:日本人のためのイタリア入門』を読む(1)

文化の読書会のメモ。前回までは、ランベッリの『イタリア的:南の魅力』を読んでました。今回からは、これに先立って刊行された『イタリア的考え方:日本人のためのイタリア入門』を読みます。

摘 読。

まずもって、この本は1997年に書かれたものである。したがって、25年前である。四半世紀もたてば、いくらかは変化があるかもしれない。以下は、原則として、この文献をもとにしている。

日本におけるイタリアへの関心は、日常生活にかかわるさまざまなものにあらわれている。日常生活のなかに、イタリアのさまざまなものが根づいている。しかし、一方でイタリアへの理解は表面的なものにとどまっていることも事実である。そこには、イタリア文化についての日本人の常識、イタリア文化についてのイタリア人の常識それぞれが存在する。ギアーツ(本書では、ギーアツ)がいうように、常識は一つの重要な文化的システムである。ギアーツによれば、文化的システムとしての常識とは「あいまいに組織化された思考や省察のセット」である。これを起点に、ランベッリは常識を「日常生活における経験の解釈」として捉える。したがって、常識は文化的に、また歴史的につくられたもので、文化と文化のあいだで大きく異なることもある。だからこそ、異文化理解のためには、この〈常識〉を捉えることが重要になる。

では、日本において、〈イタリア〉はどう見られてきたのか。日本における近代イタリアのイメージは、明治時代に形成された。文明開化をめざす日本において、当時、貧しい周辺国だったイタリアは「なんとなく」美術だけに結びつけられた。このような先入観や偏見のレベルで常識が働いている。ただ、それだけではなく、近代仏教の誕生に大きな影響をおよぼした島地黙雷はイタリア王国の宗教政策を研究し、国家は政治的・軍事的な役割を果たすのに対して、宗教は国家の精神・冷静を象徴し強調するという位置づけを見いだし、国家と宗教は区別すべきだが、両方とも国家・国民のアイデンティティをつくるのに相関関係にあると捉えた。ここにも影響はあるとみてよいかもしれない。が、多くはやはり美術・芸術に力点が置かれていた。

しかし、実際にはイタリアでは工業も存在するし、研究者についても世界的に活躍している人材は少なからずいる。にもかかわらず、こういった側面は無視されやすい。さらに日常生活的側面が強調されることで、生活の天国のようなイメージさえ抱かせるような認識もあるが、現実は必ずしもそうではない部分もある。

そして、もう一つ重要になるのが、イタリアという近代国家は、まさに近代になってアイデンティティも含めて、意図的に形成されたという点である。ということは、そもそも「イタリア語」も含めて、統一的なイメージが共有されてはいなかったわけである。そして、「イタリア」をめぐるイメージは北、つまりドイツなどから視たオリエンタリズムによって共同幻想的に描き出されたものだったわけだ。

では、イタリアとはどういう特徴を持つのか。
ランベッリは、パッチワークという言葉を充てる。多くのイタリア人の生活は、各地の中小都市で営まれている。それぞれの都市には劇場や映画館があり、大学やオーケストラがある都市も少なくない。文化的・経済的な生産の多くは地方でおこなわれる。そして、それぞれの都市における伝統や習慣、料理、方言などの文化の違いがきわめて大きい。つまり、イタリアにおいては「中心の不在」という点が大きな特徴となっている。

その点で、「イタリアはすでに作ってしまった。これからはイタリア人も作らなければならない」という言説が出てくることになる。つまり、統一的な「イタリア人」というのは存在しなかったわけである。したがって、「イタリアの最もイタリア的なるもの」をイタリア人の特徴として設定しようとするのはナンセンスなのである。これは、「日本人」がよくやりがちである。

イタリアもまた、近代化のプロセスのなかで「善きイタリア国民」を創造するという取り組みがなされてきた。ただ、イタリアにおいては中央権力が歴史的に強くはなかった。そこで、19世紀ごろから、イタリアの一般国民の日常生活を神話化することで、この「善きイタリア国民」を創造する試みがなされてきた。イタリアにおいては公定教科書は存在しないが、歴史教育においてはローマ帝国の文明やルネサンスとの連続性が強調されている。ただ、イタリアにおけるリソルジメントに参加した人たちの多くがブルジョワジーや貴族だったことも念頭に置いておくべきだろう。つまり、農民や大衆を巻き込んだものではなかったのである。

イタリアにおいては、統一志向・中央集権的な動きはつねにあった。しかし同時に、地域ごとの文化的な違いが一つの力学として作用し続けた。それゆえに、たとえば平等という概念ひとつをとっても、身体化された概念として共有されることはあまりなかった。

このイタリアにおける地域という考え方の重視は、もちろん大きく北部・中部・南部という分け方も存在するが、もっと小規模な特別資格自治州のような単位で認識されている。こういった地域意識は、閉鎖的な志向性を持った動きに利用されることもある。

ただ、この地域を支えるのが言語と文化である点はポイントである。しかも、イタリアにおいては基本言語の変化としての方言ではなく、そもそも言語学的に異なるというケースが少なくない。方言は制度、秩序、権力の外にあり、いわば「外」からの、違う知識体系や生活方式を伝え続けてきたものなのである。そう考えると、イタリア語を教える高等学校や大学は、それを学ぶことによって秩序や権力の思考、生活様式を身につけるという点で、近代国家としてのイタリアの基軸を担う層になっていくことが想定されている。これに対して、方言は農民的、前近代的な世界の口語的な表現方法・話し言葉であり、感情に強く訴えかける力を持つ。これが政治的に利用されることも少なからずあるが、根強い方言文化を持っているところにこそ、イタリアにおける「地域をベースとした姿勢」が色濃く映し出される。

私 見。

ここでギアーツの〈常識〉をめぐる議論を踏まえて論じているのはおもしろいが、やや議論が錯綜して捉えにくいところもある。ただ、ややこしい現象を捉えようとするのだから、やむを得ないともいえよう。

それにしても、自戒を大いに込めて思うことだが、人間のものの見方というのはじつに限定的である。そして、その認識しえた範囲内で、対象への〈常識〉ができあがっていく。この認識範囲としての視座をどれだけ広く取りうるか、多様に映る認識(=対象と自己との関係性)を多様なままで、同時にそれらの関係性をもreflectiveに捉えることができるかどうか。常識というものそれ自体は、人間の認識の一つの状態であるから脱しえないけれども、それをいつでも更新しうる姿勢を保ちうることが、ランベッリの批判に応えるひとつのありようとはいえるだろう。

さて、今回の第1章と第2章のうち、第2章の最後で方言の話が出てくる。この言葉がものの考え方、見方などを反映しているというのは、自然に理解できるところだ。文法上は共通度の高い日本語の場合でも、やはり単語レベルでは相違もある。

私自身も「標準語」というのを、ほとんど話せない(ただし、先祖代々の生粋の関西人というわけでもない)。そして、方言といえるのかどうかわからないけれども、イントネーションや言葉の響き、音感などもまた、言語コミュニケーションにおいて重要な位置づけを持っているのは、直感的にわかるところである。

このあたり、言語 / 方言と日常生活におけるPerspectiveとの関係性は、もっと掘り下げてみたいところである。

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