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歌と詩。「うたう」ことの“共同体性 / 政治性 / 公共性”。ランベッリ『イタリア的:「南」の魅力』を読む(3)

文化の読書会、ただいまこの本を読んでます。今回は、第3章「歌うイタリア」。私の文字変換は、どうしても「うたう」を「謡う」と変換しがちです(笑)

摘 読。

イタリアにおいては、街を歩きながら口笛を吹いたり、歌を歌ったりする姿が頻繁に目につく。特別なきっかけで、公園や町の広場、ビーチ、レストランなどでみんなで歌うことは不思議ではない。そもそも、歌うことに対する態度が異なるとするなら。もしかすると歌う内容も違ってくるのではないか。

この点で、イタリアにおいて歌は独特な文化システムで、豊富な内容を表象する体系である。それは、イタリアの歴史、考え方の変動とともに展開してきたもので、その多様性がイタリア半島の人々の感性を表現している。音楽的な要素も詩的な要素も、何百年もさかのぼる伝統を汲んでいるし、その内容にも複雑な感受性や考え方をあらわす力がある。そして、個人で鑑賞するか共同体で鑑賞するか、また明るい内容と暗い内容、娯楽的な面と思想的な面など、さまざまな両面性をもっている。

そもそも、イタリアのカンツォーネというのも、それ自体として存在するというよりは、これに形容詞がつくのが一般的である。日本人がイメージするようなカンツォーネは、ナポリを発祥とするものが多く、それはあくまでもナポリという地域性を持っている。こういったいわゆる「カンツォーネ」は、あくまでもイタリアの対外的イメージを背負っている側面がある。それゆえ、イタリア人の多くが知っている、口ずさんでいるというわけではない。

そもそも、ダンテ・アリギエーリによれば、canzoneとは「言葉を調和させ音楽に合わせた作品」とされる。これは13世紀から14世紀にかけてのことであり、当時の歌は主に言葉=詩を中心としており、音楽はただの伴奏だった。ポップが単なる生活のバックグラウンド・ノイズとなった現在も、イタリアの歌は強いメッセージ性を有している。いわゆる詩法は、詩の形態によって定められている。シラブルの数や韻の踏み方などである。

イタリアの近代的な歌は、イタリアの民謡を起源の一つに持っている。それらがオペラと結びついたりしながら、歌が生み出されていった。20世紀に入るとレコードやラジオによって、世界各地の音楽がより簡単に世界中に流通するようになった。タンゴやジャズ、南米の音楽やその踊りはイタリアの歌に強い影響を与えた。その後、ファシズムの時代に入ると、歌はイデオロギーの媒介として位置づけられるようになる。歌詞では、イタリア人の質素な性格や勤勉、良心を讃えながら、主に愛や母国、郷愁などを扱っている。

イタリアの歌が大きく変わったのは、1958年の"Nel blu dipinto di blu", いわゆるVolareである(これは、最近でも日本のCMに用いられている)。この歌がヒットしたのは、新鮮で新しいメロディと変わった歌詞に、その理由がある。これを歌ったドメニコ・モドゥーニョは新しい歌の先駆者であった。その後、イタリアの歌は新しい感性をともなって、それまでとは違う歌を生んだ。イタリアの歌は、人間の実存的な状況や社会問題を批判的に表現するようになる。ただ娯楽をめざす歌ではなく、canzone d' autore=作家の歌=シンガーソングライターの歌が登場してくることになる。ここでは芸術性を持つ作品として歌は位置づけられる。もちろん、伝統的な歌、そして歌手も存在しつづけた。

近代イタリアの歌は、複雑な文化的要素を含んでいる。その形成過程は、地元の歌と外部からの歌、エリート的形態と民族・民衆的形態、芸術と娯楽、祝祭的な歌と日常的な歌など、複数の曲を軸にして複雑に絡み合いながら展開してきた。その中心的な役割を果たしているのが、メロディである。

そんなイタリアの歌の歴史的展開には、三つの流れがある。
(1)中世の詩 / 歌に始まるもので、後にマドリガル、メロドラマ(音楽劇)、オペラに発展し、そこからまた近代の歌の形成に影響を与えた。
(2)近世フランスの歌の影響。
(3)イタリア半島の昔からの伝統的民族音楽。
さらに、1920年代以降は英米系の音楽の影響も著しくなる。

その意味で、イタリアの歌は、イタリアの文化に根ざした人生や世界を見るためのメタファー、観念の倉庫でもある。その点で、単なるエンターテインメントではなく、総合的な文化現象なのである。特にイタリア人にとって、歌は自分の人生、アイデンティティ、問題意識を経験 / 表現するための重要な言語体系にまでなっている。そういったことを表現するアーティストは、社会的にも高い評価を受けていた。単に“芸人”のように見られてきたのではなかったわけである。そこには、詩と歌の一貫性をみることができる。

以下、本文要約ではないが、概括的にみておこう。私の主観が入っている。

ここにあげられている歌たちは、恋愛やアイデンティティ、社会へのまなざし、そして祈りといった観点から論じられている。その歌詞=詩を読んでいくと、見える / 聞こえる景色を織り交ぜながら、それぞれのモティーフを歌い上げようとしている。この具象的なイメージと、抽象性のあるモティーフが重なり合うように響くのが、イタリアの歌、特に歌詞の特徴といえるだろう。そして、ここにあげられている歌たちをYouTubeで聴いてみたが、いわゆる日本のポップスやロックとはあきらかに違う点がある。おそらく、これはイタリアにおける伝統的なメロディや旋律を受け継いでいるということなのだろう。

イタリア人にとって、歌とはただの娯楽ではなく、自分のアイデンティティや世界観を語り、自分の喜び、不安、恐怖を表現し、自分の無形の内面に形を与える強力な文化表象の体系である。したがって、愛の表現はもちろん、政治や社会、宗教を考えるきっかけにもなる。ややもすると、軽く聴こえる「歌」にも、複雑な問題意識が含まれていたりもする。こういった両義性やそこにある矛盾を、歌というかたちで軽く / 明るく表現することで、その解決への途が開かれるというところに、イタリアにおける歌の捉え方、位置づけがある。

私 見。

この章に関しては、すごくおもしろいのだが、同時にいつも以上に摘読が難しい。というのも、ここで紹介されている「歌」がイタリアの歌の状況を包括的に示していると言えるのかどうか、私には判断できない。

ただ、ここであげられている曲たちを聴いてみると、日本で耳にするようなポップやロックとはかなり趣が違うことは、感覚的にわかる。メロディや旋律という点で、明るくはあるのだが、同時に影もある。本章のなかでも論じられているが、両義的な側面を一つの曲のなかに止揚統合しているかのような感がある。

興味深いのは詩と音楽の関係性である。
ふと頭をよぎったのは、孔子が『論語』でも詩と礼と楽を重視したという点である。今回のテーマに関していえば、詩と楽ということになろう。日本においても歌垣というのは古代にあったと伝わる。ただ、それが歴史のなかで太い流れとして生き続けてきたという印象はない。

その大きな違いは、本章でも触れられていた共同体的な側面にかかわってくるように思う。

日本の和歌の場合でも、それは個人的感懐を詠じるというのではなく、やはり共同体的な美的感覚を共有しつつ、時として更新するという営みではあった。そして、和歌そのものは貴族ではない庶民もまた詠じはした。『萬葉集』においては、そういった歌も採られている。それに、勅撰和歌集においても、名もなき庶民の歌がないわけではない。しかし、それは市民共同体的なものでは、もちろんない。

念のために付言するが、イタリアがよくて、日本が悪いなどとそんなことを言っているのではない。私は、和歌が大好きである。

ただ、イタリアの歌、そして詩を聴き、読んでいると、詠み手から地域であったり、あるいは愛する人であったり、社会(そこに顕在化し、また潜在的に存在する矛盾や問題など)であったり、そういう対象への歌い掛けという色彩を強く感じる。ここにpoliticという概念とまつりごとという概念の違いも頭をよぎる。まつりごとというとき、現代での村落的共同体での〈祭〉と重ね合わせるのは、ちょっと危険かもしれない。権力を持つ者が神に対して自らの権力を正当化するところに重点があったとみるべきであろうから。一方、res publicaにせよ、politicaにせよ、個人の意思というよりも公共的な性質が強い。

「うたう」という行為が、他者に対して言語(詩)と音楽(楽 / 律)で訴えかけるということそれ自体は、世界的に共通していそうではある。ただ、それがそれぞれの“社会”にどう位置づけられるのかという点に関しては、違いがあるようだ。アーレントも美ないし感性と政治の関係性を問うたが、このあたりは、こういったヨーロッパにおける伝統を踏まえておかないと、ちょっとずれた議論になってしまうのかもしれない。そこは、気をつけておこうと思う。

最近、詩学について、ものすごく興味が湧いてきているので、いろいろ考えさせられて、かえって今、渾沌としている(笑)そして、それゆえに、今回の私見も「歌う」ということよりも、「詩を詠じる」というほうに偏り気味になってしまった。

それにしても、ヨーロッパにおける作詩法、特に韻律に関するルールはなかなかややこしい(笑)和歌でもあるにはあるようだが、それほど厳格ではない。むしろ、日本であんまり韻を踏みすぎると、駄洒落のようになってしまう。日本で最初の歌論をものした藤原浜成が、そのあたりに苦心し、そして失敗したという話は、日本における詩学研究で注目すべき研究者である尼ヶ崎彬によっても論じられている。

今回、イタリアの歌を聴きながら、本章では岡林信康への言及があったが、私が想起したのは井上陽水だった。


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