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悲観主義に発するprogettista。ランベッリ『イタリア的:「南」の魅力』を読む(5)

文化の読書会、この本も最終回。第5章「イタリア的悲観主義」と結章「イタリアから何が学べるか」を読みます。

摘 読。

イタリア的なものとして、表面上の陽気さ、暢気さ、明るさに目が向けられることは多い。しかし、それはごく一部に過ぎない。実際には、もっと複雑である。むしろ、注目すべきは根源的な不安、悲観主義である。明るさは、そのあらわれなのである。

イタリア的悲観主義とサッカーの話も興味深いのだが、この摘読では文芸・思想に話を絞る。絞っても、長くなるのだが。

ジャコモ・レオパルディ

詩人であるレオパルディ(1798-1837)は、当時のイタリア半島で最も後進的であったローマ教皇直轄領の周辺にある現在のレカナーティの保守って気地方貴族の長男として生まれ育つ。早くからラテン語や古代ギリシャ語、ヘブライ語、フランス語を身につけ、古典文芸を文献学的に研究し、イタリア語に翻訳していた。彼が生まれ育った閉鎖的な環境への抵抗として、ヨーロッパの前衛の思想や芸術を吸収し、自分の世界観を構築していった。

そのなかで、彼は人間の超越への憧れと、その存在的な不可能性を歌い、また論じた。レオパルディは、自然を超越するものなど存在せず(したがって、神も存在しない)、人間は置かれた状況から逃れることはできないと捉える。そのうえで、能動的な態度をとることを薦める。生命は何かの目的のために生きているのではなく、ただ生きているだけで、生命が自己目的であることを金雀枝エニシダを素材に、詩として歌い上げている。

ジョヴァンニ・ヴェルガ

ヴェルガ(1840-1922)は、フランスのレアリズムのイタリア型である“ヴェリズモ(真実主義)”を代表するシチリア出身の小説家である。とりわけ「負け組の人々」の人生を描くところに特徴がある。そこからも伝わってくるように、ヴェルガはきわめて悲観的な人生観、社会観を抱いていた。主人公は置かれた状況を嫌い、自分の生活を向上させたいと願うが、最終的には努力は徒労に終わってしまう。そのような描写には、当時のイタリア南部にも導入されつつあった資本主義経済や、それがもたらす社会の変化への影響に対する厳しい批判も見られる。これは、ヴェルガだけのことではなく、イタリアの「正午 / 南部の思想」のもとになる姿勢である。

ルイジ・ピランデッロ

ピランデッロ(1867-1936)は、これまたシチリア出身で、小説家であり、現代演劇生みの親でもある。彼の作品においては、表現は客観的で簡潔な言語やスタイルでありながら、内容に関しては、現実を相対化させる「皮肉」が目立つ。登場人物も、普通の人であったり、時として「狂人」であったりする。ピランデッロは、普通の人の日常生活を鋭く観察して、その根底に渦巻く否定性を描く。真実と嘘、本気と滑稽、幻想と妄想と夢と現実との区別のない世界に生きる合理的な絶望が、彼の作品の基本的な雰囲気である。それが軽く描かれているところに特徴がある。

ピランデッロの詩学は、〈形〉と〈命〉の対立が出発点になっている。命あるいは人生は流動的で型にはめられないにもかかわらず、社会で生きていくためには〈形〉を与えなければならない。ここに人間疎外の根本原因があるという認識なのである。

彼は当時の前衛に立っていたが、一方で政治的には保守であり、早くからファシスト党の党員ともなっていた。民主主義さえも一つのフィクションだとみる姿勢があったからとされる。

アントニオ・グラムシ

グラムシ(1891-1937)は、マルクス主義の思想家として有名である。ファシズム政権に捕らえられ、長年にわたる不衛生な獄中生活と虐待によって、景気は減免され、釈放されたものの、その直後に命を落とした。

グラムシはヘゲモニー論でよく知られる。従属的階級がなぜ解放を求めて反乱を起こさずに、従順に耐えられるのかという問題を考えるとき、グラムシは社会習慣が人間の精神に与える影響に着目した。そこで大事になるのが教育なのであるが、これは労働者階級 / 大衆に対してのみならず、上層階級や知識人に対しても必要である。つまり、労働運動はプロレタリアートだけを対象にするのではなく、知的なエリートとして既存のエリートと対等に議論できる必要があると主張した。

グラムシが展開した共産主義思想は、きわめてユートピア的である。にもかかわらず、そこへ向かって進んでいく必要があることを訴えかけた。これは、私(山縣)の直接的関心事ではないものの、ネグリ / ハートの『アセンブリ』との関係性とも併せて、興味深い。

ピエル・パオロ・パゾリーニ

パゾリーニ(1922-1975)は、戦後の保守的なイタリア社会で、ホモセクシャルとしての“逸脱”した人生や政治的闘争、そして激しい暴行の末の轢死という悲劇的な最期に注目が集まってきた。

彼は、映画、小説、詩、言語学、文化理論、社会批評、マスコミ、そして自らの逸脱した生き方という多種多様なかたちで、あらゆる表現方法や考え方の限界、偏見やステレオタイプを破ろうとした。その生き方ゆえに、公式的な左右両翼から離れた位置に立たざるを得なかった。自分自身の独自の、自由で開かれた共産主義をつくりあげようとした。

パゾリーニのネアレアリズモは、戦後イタリア社会の社会と矛盾を描いて、失われつつある伝統的・イタリア的なものへの軽蔑と郷愁を同時に表現しようとした。それは「農民・労働者・プロレタリア階級の人への注目」「ブルジョワジー(中・上流階級)への批判」「聖なるものへの関心」というかたちで示された。ここには、強い倫理的・人間学的な立場に立って現在の文化の限界を破り、新しい時代に向かおうとする姿勢がみられる。そして、これは同時に自己矛盾をはらんでいた。それは明らかに意識的でもあった。この矛盾にこそ、われわれが生きている世界の複雑性が反映されている。

レオナルド・シャーシャ

シャーシャ(1921-1989)は、シチリア出身の小説家、評論家で、政治家である。彼の作品で扱われているのは、権力・正義・死である。その根底には、イタリアという国における“権力”というものへの不信が存在する。それが、彼の推理小説などのなかに示されている。

イタリアの悲観主義とモダンへの批判。そこから生まれた「南型 / 正午の思想」。

イタリアの悲観主義の根本には、主流であるモダン(近代)への一種の拒否感がある。ここまで述べてきた文芸家・思想家たちは、どちらかといえば蒙昧さ・ナショナリズム・保守主義などと強く闘ってきた知識人たちである。しかし、ポストモダンとよばれる潮流が強まってきたとき、イタリアの思想的動向はどうなったのか。

たとえば、ウンベルト・エーコに代表されるイタリア型記号論は、啓蒙主義的合理主義に強く影響をうけながらも、解釈における権威の否定と作品や思想の開放性に論点を置いている。ここでは、解釈されるテキストの歴史的・社会的な状況 / 文脈(context)を意識して、その制約のなかで新しい意味作用を生じさせていくことに焦点が当てられる。さらに、ヴァッティモの「弱い思想」は権威や権力の基盤になる絶対主義的な思考を批判する。

また、アントニオ・ネグリのラディカル思想は、資本主義国家を倒すためであるならば暴力をも辞さない運動にもきわめて近い立場をとり、逮捕されもした。ネグリの思想は、多くの一般の人々=マルチチュードを中心概念に、多数の人が一緒になり、運動を起こすことで、社会全体を変えていけるというものである。上にあげた『アセンブリ』でも、その主張は貫かれている。

こういったイタリア的な悲観主義に立脚する思想は、「南型の思想」にも通底している。フランコ・カッサーノがあらわした『南の思想』においては、地中海に面している諸文化を特徴づける地と海との浸透性やそこから生まれる生活様式を追究し、「ゆっくり動く」ことやその生活リズム、価値観、美学などを強調する。さらに、フロンティアで生きることの特徴についても論じている。

こういった思想もまた、国家という虚構を立てずに、それをバイパスしながら地域から世界を見きわめるという前衛イタリア思想の流れを汲んでいる。

これらの思想に共通するのは、抗いがたい現実や運命に直面しながらも、ユートピアを実現したいと願う夢、そしてそれを一時的な秩序転覆=カーニバルという戯れを通じて体感すること、そのなかで徐々にであっても状況を変えていくこと、つまり「うまく切り抜けるわざ」をベースにしている点である。これこそ、狡智(furbizia)と同根のものなのである。

「イタリア的」なるものとは。まとめとして。

グローバリゼーションのなかで、ある国が世界的な影響力を持つためには、必ずその国にはナショナリズムと強い政治的リーダーシップが必要であるという議論がある。しかし、イタリアの場合、ファッションやデザイン、生活様式などは世界的に広まっているが、イタリアにナショナリズムはそれほどなく、強い政治的リーダーシップもあまりなかった。日本の場合も、世界で受けいれられたのは、味やデザイン、芸術性、漫画などのコンテンツが多いという点で、一見するとイタリアに似ている。しかし、イタリアの場合、伝統にある地域性や家族関係を守ろうとしたのに対して、日本は全面的な都市化に走った。結果として、イタリア的な生活スタイルというトータルなかたちで受けいれられるようになったイタリアと、日本的な生活スタイルは日本人ですら拒むようになった日本という大きな相違が生まれた。このあたり、日本において「伝統」と思いこまれているさまざまな生活律が近代に生み出された、いわば人為的なものであることに思いを致してもいいだろう。

では、なぜそういった違いが生じたのか。そこには、労働観の違いがある。
1948年に制定されたイタリア共和国憲法の第1条には「イタリアは労働に基礎を置く民主的共和国である」と定められている。

ここには、戦後イタリア憲法を生み出した3つの思想傾向であるカトリック、社会主義・共産主義、自由主義がそれぞれのかたちで労働を重視しているからであるとされる。つまり、解釈は異なるが、労働を重視するという点では認識の一致がとれるわけである。その点で、ステレオタイプ的にしばしばいわれる「イタリア人はやる気がない」といったような認識は、必ずしも正しくない。ただし、その労働観が異なることには留意が必要である。

その特徴として、
(1)「自由な」労働を重視すること、
(2)地域に根づくこと、
この2点があげられる。

(1)に関しては、従属職よりも自由職を求める傾向が強い。それゆえに大学を卒業して起業することも多いし、家族単位で企業を経営するケースも多い。起業こそできないが、自分の持つ技能を仕事の現場以外でも活かそうとするイタリア人は多いという。この背景には、不健全な労働環境で働くくらいなら、自分で小企業を起こしたほうがいいという考え方がある。また、職人という存在の伝統や、協同組合運動の存在と社会的影響なども、こういった考え方を支えている。また、企業という存在そのものが、いわゆるpublic(公開型)の会社ではなく、private(非公開型)の会社であり、さらにいえば生業的な発想に立脚している側面が強いことも、これにかかわっている。

(2)は、この(1)ともつながる。イタリアの中小企業は地域に深く根ざしており、グローバルに活動を展開するとしても、「自分たちに何ができるか」に力点・支点を置く。つまり、個性が出せるからその生産に携わるという発想なのである。イタリアの地方に存在する中小企業が国際市場においても存在感を占めるのは、こういった基盤がある。当然、イタリア人の多くがこういった地方に根ざす中小企業に魅力を感じるという傾向をもたらす。ここには、「いい生活」というときに収入だけでなく、よりむしろ自由時間や家族・友人と一緒に過ごす時間といった面が重視される心性が存在する。

ここには、労働を目的とするのではなく、自由時間や人間関係を支える手段として、人間のコミュニケーションや想像力を重視するイタリア的な姿勢が色濃く見られる。

私 見。

この最終章は、ランベッリの思想的姿勢が濃厚に出ているようにも思われる。それゆえに、イタリアにおける文芸史・思想史については、もう少し幅広く見てみたい気もする。たとえば、当初ファシズムと近かったものの、その後にファシズム批判に転じたクローチェ(1866-1952)についてはまったく言及がない。クローチェは、たしかに悲観主義の系譜には立っていないので、その判断は当然といえば当然なのだが、本章で採りあげられるグラムシは、クローチェへの批判的対峙を通じて自らの考えを構築していったという。望蜀であることは承知のうえで、悲観主義とそうでない思想的系譜との絡み合いも考えてみたい気がする。

そのうえで、悲観主義も含めたイタリア思想史の展開の全体像を押さえてみたい願望を持っている。とりあえず、イタリアン・セオリーというタイトルのついた本を注文してみた。

同時に、ちょっとおもしろいのが、南から前衛的な思想家が生まれているにもかかわらず、選挙結果などから窺われる政治的な特徴については、南部のほうが保守性が強いという点である。保守性が強いからこそ、前衛的な思想が生まれるということなのかもしれない。

いずれにしても、イタリアにおける自由という概念の重要性、そしてそれがイタリア独自の特色を持っているという点は、ひじょうにおもしろい。日本でもイタリア中小企業に関する研究はいくつかあるので、ここで提示されている見解については、自然に納得できる。

大企業をベースにした社会経済がすぐに途絶してしまうとは考えにくいが、そもそも大企業というのは固定費が大きい。それゆえに、判断が遅くなってしまうことも少なくない。調整すべき利害も多岐にわたる。

言うまでもないが、大企業であることのメリットもたくさんある。

昨今の状況を考えるとき、やはり自由とは何か、よい生(well-being)とはいかなる状態をいうのか、こういった問いがどうしても前面に押し出されてくる。イタリア的な在り方だけが正解なのではないことはもちろんである。けれども、コンヴィヴィアリティ(自立共生 / 共愉)という概念が注目されていることなどを考えるとき、アンチテーゼとしてのイタリア的な姿勢や思想の社会経済的可能性について、もっと腰を据えて考えてみる必要はあるように思う。

ことに、何かを制作していくという意味での詩学的な視座というのは、ここから引き出しうるものも多いのではないか。悲観主義を起点にしながらも、そこから自らをとりまく / 構成する関係性のなかで「ありたい / あるべき(と自ら考える)」姿を動的 / プロセス的にprogettareしていくことに、一つの理想型を見いだすというのは、雰囲気こそ大きく異なるけれども、ニーチェのニヒリズム(いわゆる虚無主義とは、ちょっと違う。これは渡邊二郎の理解に立脚している)とも重なり合うように思えた。

今まで、経営学で議論されることはあまりなかったように思うが、企業者的姿勢をめぐるイタリアン・セオリーという論点があってもいいのかもしれない。

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