見出し画像

企業行動論講義note[04]「よりよい交換を実現するためには、どうすればいいのか:発見プロセスとしての競争」

画像1

この内容は、第1講の〈その4〉もしくは第2講〈その1〉に当たります。講義の進み具合で変動します。
なお、このnoteはクリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示-非営利-改変禁止」です。

みなさん、おはこんばんちわ。やまがたです。

今回は、[03]「相手に価値をもたらすことで、自分も価値を手に入れる:価値創造とは何か」の続編です。

前回までの話で、「生きることとは、欲望することである」「欲望がどれだけ充たされたか、その度合いが価値である」「人間は一人で生きていくことはできない。だから、他者の欲望を充たすことで、自分自身の欲望を充たす、これが価値創造だ」ということをお話してきました。

ここまでお話ししたら、もうさっそく「企業とは」というテーマに進んでもよさそうなものですが、大事なことが残されています。これは、人間社会が多数の人間(の活動)によって構成されているということと深くかかわっています。

交換にたどりつくのは、容易ではない。

前回の[03]でもお伝えしましたが、価値創造は交換(価値交換)を通じて初めて実現 / 成就します。この点については、もうご理解いただけましたでしょうか?

さて、ここで考えないといけないことがあります。
それは、交換を通じて価値創造を成就したいと思っている人はごまん(←大丈夫だと思いますが、五万人という意味ではありません)といるということです。あるいは、ひとが多すぎて交換にふさわしい相手が見つからないというケースもあります。ちょっと考えられるケースを挙げてみましょう。

【交換にたどりつく難しさ】
(1) 似たようなモノやコトを提供しようとする人が多くて、それを欲しいと思う人(欲する量や、その人の交換能力)が限られている場合。
(2) 同じモノやコトを欲しいと考えている人が多くて、それを提供する人(や提供する能力)が限られている場合。わざと限定する場合もあります。
(3) どこに欲しいと考えている人がいるのか、よくわからない場合。
(4) どこに提供してくれる人がいるのか、よくわからない場合。

他にもあるかもしれませんが、いったんこれくらいで。

交換というのは、究極的にみれば1対1*です。「いや、たとえばペットボトルのお茶なんか、めちゃくちゃたくさんあるやないか」って、すぐに突っ込まれそうです。たしかに、そうかもしれません。しかし、1本のペットボトルを手に入れることができるのは、一人だけです(もちろん、それをあとで友人と分けるのは自由です)。

* じつは、企業行動論では採り上げる時間的余裕がないのですが、最近の価値創造のためのアプローチとしてすごく重要になっているものの一つに〈意味のイノベーション〉というのがあります。これは、効用給付を届けたい人を「この人に届けたい!」というくらいに焦点を絞って具体的に描き出し、その基盤となる〈意味〉を新たに生み出そうとする考え方や方法です。今回の新型コロナウィルス蔓延の影響で、まだ具体的に始動できていませんが(もうすぐ動き出します)、近畿大学のアカデミックシアターのプロジェクトの一つとしても立ち上がっています。関心ある方は、ぜひ!

「交換にたどりつくことが難しい」というときの難しさを整理してみましょう。
◇ 交換したい双方の需要と供給のバランス
◇ 交換したい双方が考える価値のバランス
◇ 交換したい双方の資源や能力の限界
◇ 交換したい双方の知識や情報の限界

こういった点を克服しようとして、提供者も享受者もいろいろと動くわけです。そこに発生するのが〈競争〉です。

ビジネスにおける〈競争〉:時間無制限かつ場所も(動けるなら)自由、そして勝者が一人とは限らない

〈競争〉って、別に珍しくも何ともない言葉の一つですよね?

で、そこでだいたい想い起こすのは、「よーいどん」あるいは開始の笛で始まるようなスポーツでの競争ではないでしょうか。

ところが、スポーツとビジネスでは大きな違いがあります。何でしょうか?

ルールがあること?
いや、ビジネスにももちろんルールはあります。国際的な取り決めとしての条約であったり、国や地域レベルでのルールとしての法律や条令、さらに慣習というのもあります。個々の主体間であれば契約というのもあります。これらに反すると、ペナルティを受ける可能性も高いです。

じゃあ、何でしょうか?
もう答えを上に書いちゃってるんですが、開始と終了があらかじめ決められていないという点です。また、活動範囲(国や地域)もルールの制約がなければ自由です。

それと、もう一つ大事なこと。
ビジネスにおける競争は、それ自体が目的ではないということです。どういうことか?それは、スポーツのように目の前にいる相手に勝つことが究極的な目的ではないということです。

あくまでも大事なのは、価値創造を実現 / 成就することです。となれば、競争の場を変えてもまったく問題ないわけです。特に、最近は競争の時空間そのものを変えてしまう〈ゲームチェンジ〉という考え方が重視されています。ちなみに、この競争が起こる時空間、別の言い方をすれば価値交換がおこなわれていく時空間のことを〈市場〉といいます。

【解説】ゲームチェンジとは?
簡単に言ってしまえば、今までの競争のしくみを変えてしまうこと。これが、どのような要因によって生じるか、別の言い方をすれば引き金(トリガー)になるかは決まっていません。技術的要因によって惹き起こされる場合もあれば、人間の好みの変化などの社会的要因による場合もあります。ある主体が、ゲームチェンジを仕掛けてくる可能性もあります。今回の新型コロナウィルスの蔓延などは、自然的要因によるゲームチェンジの始まりといえるかもしれません。

大事なのは、今までのゲーム(ここの話でいえば、価値創造の実現をめぐる競争)のルールから、劇的に(それが激しくやってくることもあれば、静かにやってくることもあります)ルールが変わってしまうという点です。当然、それまで“強者”だった主体が、一気にその座を失うこともありえるのです。その際に大事なことは、目先の勝ち負けではなく、将来どのような生活世界を構築したいのか、その像(コンセプト)を描く、そして、その将来の生活世界はどのようにして実現されうるのかを時間と空間の両面から描き出すことです。この点は、追ってお話しすることになりますが、サービスデザインや意味のイノベーションという、山縣の講義(&山縣ゼミ)で特に焦点を当てている学びのテーマにつながってきます。

つまり、よりよく価値創造を実現するために、さまざまな主体が動いていくなかで生まれるのが〈競争〉なのです。もちろん、そこに“勝者”や“敗者”が生まれる可能性はあります。しかし、スポーツと異なるのは(スポーツでもありうることですが)、他者が手を出せないような強みを構築し、それをもとに価値提案を考え、実際に効用給付として提供していくことで、価値創造を実現することは、相手を打ち負かさなくても可能だという点です(それが必要な場合も少なからずあります)。

じつは、社会経済というのは、こういった〈競争〉を通じて、より豊かになっていくという側面があります。なぜ、そんなことがいえるのか。では、こう考えてみましょう。〈競争〉がなければ、他者よりよりいいモノやコトを生み出そうと思うでしょうか?もちろん、自身の向上意欲がきわめて高い場合には、競争がなくても品質を高めていったり、価格を下げることができるようにしたり試みる企業や個人はいるかもしれません。しかし、多くの場合、競争がなければ、よりよい価値創造の成就、あるいはよりよい価値交換の実現へと向上していこうという意欲は湧かないとみるべきでしょう。

かといって、ここで〈競争〉があれば何でもOKと言っているのではないことも付記しておきます。スポーツがそうであるように、ビジネスにおける〈競争〉にもルールは必要です。そして、そのルールの形成プロセス(や、それに必要な情報)が透明かつ公正であるかどうかという点は、健全な〈競争〉を生み出すうえで、きわめて重要です。ドイツに始まり、今ではEUにも広がっている社会的市場経済という考え方は、こういった点を踏まえていて、ひじょうに興味深いです。

では、こういった特徴を持つビジネスにおける〈競争〉を捉えるために、どんな概念を用いるといいのでしょうか。

「発見プロセスとしての競争」という考え方。

さて、ここまでが講義内容として、まずお伝えしたかった「〈競争〉って何か」という話でした。

ここからは、今お話ししてきたことの理論的なバックボーンについて説明します。ちょっと小難しく感じるかもですが、大学の講義なので、みなさん辛抱してついてきてください(笑)

昔話っぽくお話ししましょうか(笑)

★自由か、計画か、それが問題だ:オーストリア学派経済学のこと。
むかしむかし、といっても、だいたい100年くらい前のお話。1919年に、今のロシアにソビエト連邦という国が生まれました。ここは共産党という党がロシア革命を通じて、それまでのロシア帝国(ロマノフ朝)を倒し、労働者が統治する国家として政治を動かしていこうとしているところでした。そのときに、共産党が撮った経済運営の政策方針が〈計画経済〉というものでした。これは、〈自由経済 / 市場経済〉だと貧富の差が激しくなるので、政府が国民に必要な物資などをすべて計画的に生産・流通させようとするという考え方でした。

これと並行して発生したのが、〈社会主義経済計画論争〉という経済学での論争でした。めちゃくちゃざっくり言いますと、要は「経済を成長・発展させていくうえで、計画経済がよいのか、自由市場経済がよいのか」というものです。

このあたりの議論を詳しく知りたい方は、経済学の歴史について述べている文献をぜひ読んでみてください。ちなみに、この論争は経営学にもめちゃくちゃ重大な影響を及ぼしてます。

ほんとは公平に社会主義経済計画を支持していた研究者たちも紹介すべきなのですが、そんなことしてたら今回の講義noteが尋常でなく長くなりますので、省略します。

そんななかで、自由な経済活動を徹底して支持しようとしたのが、オーストリア学派と呼ばれる人たちです。カール・メンガー(Menger, C.)という人を祖として、ミーゼス(von Mieses, L.)やハイエク(von Hayek, F. A.)、さらにはカーズナー(Kirzner, I.)、ラッハマン(Lachmann, L.)など、ひじょうに個性的な学者たちが後に続いています。他にも、影響をうけた人たちまで挙げるとキリがありません。

そのなかでも、ここで注目するのはハイエクという人です。この人は、社会主義という考え方に対して、ものっすごい闘志を燃やして〈自由〉を擁護しようとした人です。山縣自身は、ハイエクの主張すべてに賛同するわけではありませんが、かなり参考にしています。

今回の講義で、直接からんでくるのは〈発見プロセスとしての競争〉という考え方です。

★発見プロセスとしての〈競争〉
ハイエクという人は、いろんな興味深い概念や考え方を提示しているのですが、ここで採りあげるのは〈発見プロセスとしての競争〉という考え方です。これについては、いろんな研究がありますが、本格的に考えてみたい方は、こちらの文献などいかがでしょうか。

どっちももう古書でしか入手できなさそうですが、私は(ハイエク自身が書いた文献を別として)この2冊から、ものすごく大きな示唆を得ました。

ハイエクは〈競争〉の機能を「誰がわれわれの要求によく応えてくれるかを教えてくれる」(ハイエク[1949=2008]『個人主義と経済秩序』〔ハイエク全集 第I期 第3巻〕春秋社、135頁)ところにあると指摘しています。ここでの「要求」とは、価格であったり、品質であったり、またはハイエク自身も指摘するように”評判や愛顧“であったりもします。ここから、ハイエクは端的に〈競争〉を「意見形成の過程」、あるいは「発見の手続き」(1968年の論文タイトル)と捉えているのです。

この考え方は、マーケティングにおいても摂り入れられていて、以下の文献でも「プロセスとしての競争」(第10章)という章が設けられています。

つまり、〈競争〉って、いろんな人が「こんなんあったらなぁ」って思ったり、あるいは「こんなんあったら楽しいんちゃうん」って思ったり、そういう価値創造の実現 / 成就にとっては、欠かせない / 不可避のプロセスであるわけです。

同時に、「あ、こんないいもん出してきよった。真似したろ」ってのも当然出てきます。完全コピーの場合もあります。ただ、それは著作権とか、商標権とかには思いっきり反します。それを逆手に取った例もあります。

漫才師のキングコングの西野亮廣さんは、みなさんご存じだと思います。絵本作家としても知られているわけですが、西野さんは自作絵本の著作権を開放したりするなど、ひじょうにおもしろい試みをどんどん展開されています。そうすることで、これは追々の講義で説明する概念ですが、〈エコシステム〉をうまくかたちづくってはる、というふうにみることができます。そのなかで、ある種の〈競争〉も生まれつつ、その絵本の世界観などは多くの人に共有されていくところなど、まことに興味深いです。

ちなみに、模倣というとだいたいネガティブなイメージですよね。たしかに、それは否めません。が、「学ぶ」は「真似ぶ」から生まれた言葉です。先人のやったことを模倣し、そこからさらに独自性を出そうとしてきた結果として現在があるわけです。

もう文字数がだいぶ多くなってきたんで、これは文献紹介にとどめますが、早稲田大学の井上達彦先生が著書としても出された『模倣の経営学』などは、この〈発見プロセスとしての競争〉を考えるときに、すごく重要だと思います。


★いいとこも、わるいとこも。〈競争〉だけじゃないけど。
〈競争〉っていうと、勝ち負けという基準で追い立てられる感じがありません?私も、そういうニュアンスを感じることはあります。私も競争的研究資金の代表格である科研費ってのに落ち続けて早○○年…、これ以上はやめときます(´;ω;`) 

実際に、そういう捉え方でなされているような政策・施策も少なくなくて、それが世の中の疲弊を招いているのは事実です。

その一方で、自由意思にもとづく〈競争〉は個々の主体の研鑽を促すというのも事実です。社会主義というか、計画経済がなぜ破綻したのかを考えるとき、ここの点が見逃されていたからともいえるのです。

何でもかんでも「〈競争〉すればいいんや!」(←こういう場合、これを言うてるのは〈競争〉の当事者じゃないケースもけっこうあります)と言うてりゃいいってもんではありません。が、頭ごなしに〈競争〉は悪だって決めつけるのも間違ってます。

企業行動論を受講してくれてるみなさんも、世の中で生じている〈競争〉が、どんな新たな状態(←これは、新しいからいい、ということではありません。どう状態が変化したのか、ここが大事なんです)を惹き起こしたのか、ライバルが誰で、どんなプロセスをたどった競争なのか、そういった点から、ビジネスにおける〈競争〉を捉え返すと、単に「勝った負けた」だけではない視座が得られると思いますよ。

ということで、〆。

どんどん1回ごとの講義noteが長くなってしまってます。反省です。

今日お話しした〈発見プロセスとしての競争〉という考え方、最近でこそオーストリア学派の経済学がある程度まで見直されて、理論的にも摂り入れられるようになっていますが、本流とはいいがたい状態です。しかし、本流でなくても、企業行動を捉えていくうえでは、ものすごく重要です。

先ほども書きましたが、ぜひ興味ある“ライバル関係”を事例に、それを時間の流れのなかで=どんなプロセスで〈競争〉が展開されたのか、分析してみてください。

次回は、この〈競争〉とセットで考えたい〈協働〉について採りあげます。

んじゃ、また次回に。
ばいちゃ!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?