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歴史をかたちづくる要因としての文明、政治、経済。F.ブローデル編『地中海世界』摘読(5)「歴史」を読む。

文化の読書会、『地中海世界』摘読第5回です。この読書会の経緯については、第1回のnoteをご覧ください。

【摘 読】

地中海世界の全体史を捉えるうえで、道しるべとなるのが文明、そして政治と経済である。

(1)文 明

地中海世界をめぐっては、3つの文化的共同体が存在する。ローマ、イスラム、そしてギリシャである。

その基底にあるのが文明である。文明とは持続であり、災厄にあっても、灰の中から蘇ってくる。そのようななかで繰り返されてきたある生き方、無数の態度こそが文明なのである。

イスラム文明がずっと以前にその地に存在した文化や習俗、習慣を採り入れてきたように、二つのキリスト教圏も、それぞれ長い期間にわたって、それ以前の現実を吸収していった結果の産物である。一つはローマと西ヨーロッパを軸とするもの、もう一つは新ローマすなわちコンスタンティノープルとギリシャを軸とするものである。前者はローマが成功を収めた地域であり、後者はローマには屈服したが同化されることはなかったギリシャ世界である。これらは同じキリスト教圏でも、真理という言葉に見られるように、同じ言葉が異なる意味を持って捉えられていることさえある。

文明は、文化ナショナリズムを高める。それゆえ、さまざまな軋轢を生む。その軋轢は戦争であり、憎悪となる。同時に文明は文化財の犠牲、普及伝播、蓄積、知的遺産でもある。海は、文明のおかげで多様な交換や多彩さ、混淆してできた景観を示すようにもなったのである。

(2)政治、そして経済

ただ、文明だけではなく、政治や経済も歴史を構成している。それこそ、ローマはパクス・ロマーナの前には果てしない戦いを仕掛け、地中海全体を支配下におさめてきた。

地中海世界史において、経済もしばしば決定的な役割を演じた。文明も、経済的開発なしには存続しえないし、消費・浪費という花を開かすこともない。その際に鍵になるのが、海である。ローマ帝国のあと、9世紀から10世紀にかけてはイスラムが内海を支配した。それが、11世紀以降、十字軍によってイタリアの諸都市がすべての海域で主人となる。15世紀、アメリカの発見と喜望峰の周航という大きな事件があったが、地中海という海が富をもたらし続けたことに変わりはなかった。

大きな変化があったのは16世紀である。北欧人、とりわけイギリス人とオランダ人が奸計と力、そして暴力によって内海を支配した。。ことに、17世紀になると、イギリスがジブラルタルを占領したことで、内海から大西洋に出ることは困難になった。

そして、レセップスによるスエズ運河の開鑿によって、地中海は紅海を経てインド洋へと出ていく長い旅程の最初の短い、そしてほとんど気がつかないままに過ぎていく一行程になってしまったのである。その後の歴史において、地中海世界が表舞台に立つことはなくなったのである。

【小 考】

その地域の歴史を見るうえで、いかなる文明がそこにあるのかという点は、きわめて重要である。文明には、いわゆる人文的な側面だけでなく、科学や技術など、まさにartifactの総体が含まれるし、それだけでなくartifactがいかに用いられるのかという考え方、捉え方の基盤が重要な意味を持つ。ブローデルの広いパースペクティブは、文明に力点を置いていることと重なり合う。文明それ自体が、それを共有している人々にとってのパースペクティブそのものであるとみるなら、パースペクティブの違いはきわめて深刻な影響をもたらす。宗教は、ある意味で文明に根ざしつつ、文明に影響を及ぼす。このパースペクティブとしての文明の違いは、対立と、こういってよければ創造的克服としての止揚を生み出すという点は、ひじょうに興味深い。興味深いというだけでなく、今でも重要な論点であろう。

ただ、本文中にも述べられているように、文明だけが歴史をかたちづくるのではない。政治と経済も同様程度に重大な影響を及ぼす。いうまでもなく、政治と経済は密接に関係しあっている。経済という営みは、より豊かでありたいという欲望に発する。そのために、さまざまなリスクを乗り越えていくことになるわけだが、そこにまさに「イノベーション」も起こりうるし、詐欺や略奪のような暴力的行為も起こりうる。そして、戦争も。ここに、政治と経済は深く結びつく。

知識が専門化の度合を深めていくのは、知識の深化拡大とみれば悪いことではない。ただ、一方で相関的な視座を失わせることにもつながる。ブローデルの考察の重要性は、この相関的な視座を提示しようとするところにあるといえるのではないか。


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