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交易の夜明け、交易による夜明け。F.ブローデル編『地中海世界』摘読(3)「夜明け」を読む。

文化の読書会、『地中海世界』摘読第2回です。この読書会の経緯については、第1回のnoteをご覧ください。

【摘 読】

そもそも、水上輸送にもとづく交易は、古代エジプトや古代メソポタミアにおいて、すでにみられた。しかし、それらは河川を主としていた。

紀元前2000年紀の初頭には、エーゲ海の海洋民族が海を航行できる船を創り出した。ここでは原フェニキア人と原ギリシア人が、海洋交易を担っていた。すでに、そこには内海の半分(レバント)ではあったけれども、経済圏が形成されていた。これによって、途方もない新しい現象が生まれ、国際色豊かな文化が出現することになる。この頃には、クレタ島の見事な陶器がレバント全体を覆い、旅行や贈り物の交換、外交文書や、さらには国際関係を保証するものとしての王女たちの交換がなされていた。しかし、素朴で力強い自然主義を謳歌したクレタ島文明も紀元前15世紀の半ばには消滅してしまう。

暗黒の紀元前12世紀の時期のあいだに、製鉄技術とアルファベット文字の出現という重大な出来事が起こっていた。そして、紀元前8世紀に入って、近東は新たな繁栄の時期を迎える。フェニキアの活気に満ちた港やギリシャの諸都市によって海は息を吹き返した。そして、地中海西部の真の征服、つまり植民事業が成し遂げられてゆく。その競争に勝ったのがフェニキア人である。

フェニキア人が勢力を伸ばしたのは、まさに暗黒の諸世紀の間であった。彼らは花輪さながらに、港を点々とつないでできた国だった。そこでは、商工業が発達した。その交易網はレバント全域にとどまらず、インド洋そしてジブラルタルにまで達していた。

フェニキア人たちの都市のなかでも、その活動の中心となり、二つの地中海世界の接点ともなったのがカルタゴである。まだ後進地域であった西部で安く物資を入手し、途方もない経済的恩恵を享受していた。ただ、彼らは物々交換を主とし、貨幣を必要とは感じていなかった。紀元前五世紀以来、ギリシャ人の経済的な急成長がみられたが、これはギリシャ人が貨幣を交換に使いこなしていたゆえである。

紀元前146年、ローマ人によってカルタゴは土台まで根こそぎ破壊される。そのうえにローマ人の町が建設された。それゆえ、カルタゴ社会の生活を復元することはきわめて困難である。しかし、最近の発掘によってカルタゴがきわめて先進的な都市設備を持っていたこと、町周辺には見事な田園が拡がっていたことなどがわかってきつつある。

これほどまでに、経済生活においては先進的であったにもかかわらず、カルタゴの宗教生活は人身御供を繰り返し続けていた。プロテスタンティズムこそが経済の発展を促したと捉えたヴェーバーであれば、この事態をどう説明したであろうか。

【小 考】

ここでは、とりわけフェニキア人による海洋交易を主旋律として、地中海の夜明けが描かれる。フェニキア人の事蹟については、考古学による最近の発見によってようやく判明しつつある。これは、ローマによってカルタゴが徹底的に破壊されたことと重なり合う。そこには、経済生活におけるフェニキアやカルタゴへの憧れと同時に、宗教生活における大きな隔たりが影響していると推測される。

現代において、フェニキア人たちによって築かれた事蹟がそのまま受け継がれているということは、ほとんどない。しかし、フェニキア人たちが地中海を軽やかに飛び廻り、それによってフェニキア以外の人々の生活もまた影響を受け、文化として織り込まれていったことは事実である。

こういった経済的インターフェイスが、文化的な豊饒をもたらしていったことが、この章では明らかにされている。その意味において、この章は交易の夜明けを描き出しているとともに、交易によって地中海世界が夜明けを迎えたことをも描き出しているといえるであろう。

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