イチローの引退と連続性の終焉(12)

一つの時代が終わった、と感じたのは人生ではじめてかもしれない。

野球と記憶の話である。

幼心がついたときには、西武ライオンズの帽子をかぶり、秋山、清原、デストラーデのクリンナップに魅了されていた。辻・平野の1,2番も好きだったし、石毛や田辺、伊東の渋い下位打線も好きだった。しかし、これらの打線は僕が野球に興味をもつきっかけであり、その前から存在していた。

僕が野球を好きになってから、登場したヒーローが3人いる。松井秀喜、イチロー、野茂英雄だ。憧れ陰ながら応援してきた3人だ。プロデビューした順序は逆なのだが、僕にとってはこの順番なのだ。

1992年 5連続敬遠で甲子園を沸かせた松井
1994年 イチローの衝撃的な210安打
1995年 野茂の大リーグデビュー、トルネード旋風

近所のヒーローだった松井秀喜が日本のホープに、巨人の4番に、そして世界の舞台に立つというストーリーを20年間楽しませてもらった。巨人戦の松井の打席だけは欠かさずにテレビで見た。

サッカー(Jリーグ)や相撲(若貴ブーム)に小さな子供たちの関心が傾きつつあります。その中で僕はその子供たちに夢を与え、球場に直接見に来てもらえるような選手になれるよう頑張ります
――小さい子、ファンに夢を与えられたと思うか
「正直、分かりかねる。自分なりに精いっぱいプレーした。野球の面白さ、素晴らしさは伝えられたかもしれない。ファンがどう受け取ったかは僕には分からない」

松井とまったく異なるタイプの選手として、イチローが登場した。振り子打法と圧倒的な成績は10代になりたての野球少年を心のそこから魅了した。誰が見てもイチローとわかるプレースタイルと言動にいつも驚かされた。

自らの夢を追いかけて、日本で任意引退をしてまで、そして最低年俸でアメリカに渡った野茂。そして、フォークとストレートで勝負するトルネード。ストで混迷していた大リーグの希望でもあった。

この3人にどれだけの衝撃と感動をもらったことか。野球をやって、この3人の姿をリアルタイムで追いかけることができて本当によかった。その影響力はどれほどのものか、自分の中でもまったく計り知れない。

ただ時間と共に、体力はうろたえ、成績も下降線をたどる。3人はそれぞれの選手としての最後を迎え、多くの人に惜しまれながら球界を去った。

そのときどきに、身震いする感動があった。しかし、そういった体験は今回が最後なのかもしれないと思っている。そして、自分の記憶は風化していくものだから、その感動を忘れないために、テキストにまとめておこうと焦って今、タイピングしているのである。

学びや教育関係の本の購入にあて、よりよい発信をするためのインプットに活用します。