Time is journey(4)

考えたことを書くのか
 書くために考えるのか

できれば、前者のような自然体でいたいと願うのだが、そうは問屋がおろさない。だから、書くために考えよう、とする。不自然な所作ともいえるが、努力とも言える。それが結果として、考えたことを書くことにつながるのだ。僕の場合は。

不自然と上では書いたが、作家でさえ、すらすらと自然に文章が生まれるわけではないだろう。自然と言葉があふれるようにでてくるというのは、きっと過剰な期待であり、幻想だ。

僕の敬愛する作家の一人は、書く時間を決めたり、一日のルーティンを定めることで、書く時間にしっかりと書けるようにしている。その行程は、とても共感するものである。

できれば自分もそうありたいと思って、日々をルーティン化しようとするのだが、それが想像以上に難しいのだ。書くために、他の日々をルーティン化するのは、一つの苦役であり、投資なのだと最近になって思い知ったのだ。

考えたことを書くときは、過去にタイムトラベルする。
書くために考えるというのは、未来にタイムトラベルする。

何よりまず、書くために考える、つまり、未来にタイムトラベルするには、労力がかかる。そのために惜しみなく書く以外の時間を捧げなければならないのだろう。その努力をしたからといって、そうは問屋は卸さないかもしれないけれど。

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