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第1回 憲法調査会アーカイブ 「AIと憲法」

お待たせしました!国民民主党の憲法調査会第1回アーカイブ、ついに完成です。

参加・対話・公開」がテーマの本調査会。ボリューム満点のアーカイブ記事ですが、ぜひ最後までお読みいただき一緒に学べると嬉しいです。

アーカイブ映像及び当日配布資料は↓こちらからご覧いただけます。

■冒頭挨拶

(山尾)
皆さん、おはようございます。
本当に平日の午前中という、出るのになかなか厳しい時間帯にも関わらず、こうやってたくさんの方にお越しを頂いて本当にありがとうございます。
まずは私ども国民民主党の憲法調査会第1回を始めたいと思いますが、代表の玉木雄一郎議員からご挨拶をいただきたいと思います。

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・玉木代表

(玉木)
皆さん、おはようございます。今日は、多くの方にお集まりいただきました。いよいよ、第1回新しい国民民主党としての憲法調査会がスタートいたします。我が党の綱領には、未来志向の憲法議論を積極的に進めるということが書いております。こういうことをこれまでも書いてきましたけれども、それはまさに、実現実習をしていきたいという風に思っています。

これまでとかく、憲法議論となるとどうしてもイデオロギー対立になったり、特定の条文に対して異常に関心が集まって、本来のこの国民のための国民のものの憲法という議論がなかなかできていなかったのではないかなという風に思っています。

国民民主党は「つくろう、新しい答え。」ということをキャッチフレーズにしておりますが、この憲法議論の中身についても、またプロセスにおいても新しいアプローチ、まさに新しい答えをお示しが出来ればと思っています。

今日多くの一般の方にも呼びかけをして、お集まりを頂いておりますけれども、是非皆さんにもご協力をいただきたいのは、とかくこの右に左に対立するということではなくて、国民の皆さんも含めて、ある白地で自分たちの憲法をどうするんだ、という観点から私たちも議論をしたいと思いますし、皆さんにもそういった観点での、参加のご協力をお願いしたいと思います。

今日第1回は、この後お話をいただきます慶応大学の山本龍彦先生に 、「AI と憲法」ということでお話をいただきますけれども、私自身も非常に関心のある分野であります。

これまであまり議論がされていなかった新しい分野であります。今、菅政権は、デジタル庁を作りましょうとか、 DX、いわゆるデジタルトランスフォーメーションを進めようということで、いろんな政策を打ち出していますが、肝心なものが抜けてると思います。

それはデジタル社会になった時に、私たちのデータがどのように扱われるのか、どのような権利保護がデジタル時代には必要なのか、ということが憲法まで遡って基本的人権の一つとして、新しい権利として議論することが、実は健全なデジタル社会には必要なのではないのか、この議論がすっぽり抜け落ちて、単に組織をどうしようということだけでは、本当の意味での健全なデジタル社会を日本に根付かせることはできないと思っています。こういった観点からの議論も行っていきたいと思っております。

これまでの憲法議論、様々なことが各党でも、また民間団体でも行われてきましたけれども、できれば私はある程度条文の形にしてご議論をした方が、中身のある議論ができるのかなと思っています。

大切なことは、私たち国会議員だけで100点満点のも作ってこれはどうだ、ではなくてたたき台を作った上で皆さんと一緒に作り上げていくような憲法議論を是非していきたいなと思っております。

年内に憲法草案を、ある程度の概要で作りたいと意欲的な目標を持ちながら、皆さんと一緒に作り上げていく、そんな議論ができればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

(山尾)
今日はデータの話ですが、光脱毛の話は後でいいですか?では、後ほどお楽しみということでとっておきたいと思います。

続きまして、憲法というのはあらゆる政策を包み込み、あるいはあらゆる政策の土台になるものだと思いますので、船山政調会長とも皆さんと一緒に、連携をしてやっていきたいと思っております。政調会長からご挨拶をお願いします。

・船山政調会長

(船山)
皆様おはようございます。今日は第1回国民民主党憲法調査会ということで、広く一般の皆様にもお呼びかけをしたところ、このように多くの皆様からご参加いただきまして、本当にありがとうございました。

今山尾さんからありました憲法というのはあらゆる法律の土台、国民生活社会生活の土台ということはもう言うまでもありませんけれども、どこか憲法に対しての議論を避けてきた、そんな傾向があるのかなと思っています。

そういう中で私たちは、護憲改憲というこの二項対立ではなくて、やはりまずは憲法を知る、議論をする、その中ではここが素晴らしい、ここはちょっと問題だ、そういったことをきちっと一つ一つ議論をして前に進めていく、そのためのこの場が、この憲法調査会かなと思っております。

議員のみならず多くの皆様からご意見伺って、いいものを作る、結果的にはここは残してこう、いうこともあってもいいですし、ここは変えていこう、そういったことにつなげていけるようなそんな議論を一緒にしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

そういう中で色んな専門家、専門的知見から講師の皆様にもお越しいただいたりして、議論を深めていきたいと思っております。今日は山本先生にお越しいただいておりますけど、まず第1回目として「AIと憲法」は本当に新しい権利がどんどん多く発生しておりますので、そんな議論をしてきたいと思います。よろしくお願いします。

・山尾憲法調査会長

(山尾)
ありがとうございました。それでは私の方から、皆様に資料の説明をさせていただければと思います。4種類お手元にあるかと思います。ない時はこれないよ、と手を上げていただければと思います。

まず一枚目が、この第1回国民民主党憲法調査会の次第。これは表裏とあります。裏を見ていただければ幸いです。憲法調査会へようこそ、ということで皆さんにお手紙を書かせていただきました。オンライン中継で視聴していただいてる方にも、この場でお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございます。

憲法の議論とか、憲法の草案というのは、国民との共同作業だと思いますので、私たちの調査会のキーワードは、「参加・対話・公開」という風にしたいと思います。

参加できるということで、オンラインでもオフラインでも、本当に平日の日中、議員の都合で申し訳ないですが、それでも一般の方できる限り来ていただけるように、週一回を目途で定例化をしていきたいと思っています。26日に国会が開会と言われていますが、それより前は今の方針で基本的に、金曜日の10時12時という形でスタートさせていただいて、また国会が始まりましたら、曜日あるいは時間帯が少し変わってくるかもしれません。その点ご了承いただければと思っています。

国民と充実した対話ということで、1時間だと聞くだけで意見言えなかった、聞けなかった、というこが起きてしまうので、出来るだけ充実した枠で頑張りたいと思います。

そして徹底公開ということで、この場は完全オープン、そしてこの場の記録映像も、そしてできれば書き起こしのテキストも、しっかりと公開をして、この場のプロセスその物が今日本で行われている一つの憲法議論の公教材として、社会に貢献できるようにみんなで作り上げていけたらなと思っています。少ないスタッフと職員が本当にがんばってやってるので、トライアンドエラーになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。

最後にここにあの蛇足で書かせていただきましたが、参加者の皆さんにひとつだけお願いがあります。それは違う意見を尊重しようということで、私たちが子供にはよく言って聞かせるけれども、自分ができていない。私も含めて、ただ努力をしていきたいと思います。違う意見に出会って、やっぱり自分の方が正しい、と思ってもいいですし、やっぱりちょっと自分も変わる余地あるかな、変わっていくっていう事を楽しめるようなそんな場になったらいいなという風に思っています。

そしてこの紙はそんな思いを書かせて頂きましたので、どうぞお手元に置いていただいて、あとはアンケートがございます。これはさっき私が手書きで書いて、初めて右下にこくみんウサギを書いてみました。本当にヘタクソな絵ですいませんが気持ちということで受け止めてください。任意ですのでこの会を経験していただいて、思ったことを自由に書いていただいて、次回への改善につなげていきたいと思っています。

そしてまだ早いですけれども、来週の10時〜12時の第2回目のチラシもここにありますので、是非可能な範囲でスケジュールを確保いただければという風に思っています。

そして山本先生の「AI と憲法」、この資料自体がとても貴重な資料だという風に思います。憲法と言うと9条、9条っていうと敷居が高い、しかしその敷居をまず最初にフッと下げて、でも今の時代に一番大切なテーマの一つである 「AI と憲法」ということを山本龍彦先生に、最初のスタートとして語っていただきたいというふうに思います。

慶応大学の法学研究院教授、憲法の専門家です。そしてこの「AI と憲法」という本が、本屋さんにもあの平積みにされていたり、凄く広く読まれていますけれども、今日はこのエッセンス、そしてたぶん最新の情報も踏まえてお話をいただけるのではないかと思っております。どうぞ山本先生よろしくお願いします 。

■山本龍彦先生 講義:AIと憲法

(山本)
今ご紹介いただきました慶應大学の山本と申します。本日はどうぞ、よろしくお願いいたします。座ってお話しをさせていただきます。
先日、山尾先生から国民民主党で、憲法の話をするのでちょっと来てくれないか、ということでお声がけをいただいて、安請け合いしてしまったわけですけれども、まさかこんな大きなイベントで、オンライン中継までされるということは聞いてなかったなと、騙された感がですねあるわけですけれども、一憲法研究者としてですね、考えていることも話しさせていただければなという風に思います。もちろん異論はあると思いますし、異なる意見もあると思いますけれども、後で良いディスカッションにつなげられればなという風に思っております。だいたい1時間弱、50分から1時間ぐらいということですので、あまり時間はないのかなと思いますけれども、早速お話をさせていただきたいと思います。

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1.憲法と主権

最初は、「AI と憲法」と申しますよりも、そもそも憲法とは何か、あるいは国民主権とは何か、あるいは憲法改正とは何か、ということについては一般論を少しお話をさせていただきたいというふうに思います。AIと言って、すごい最先端のテクノロジーについてこう語る、そういうお話ですけれども、非常に古典的なこのレジメというハンドアウトされた物を使って申し訳ないですが、このレジュメの最初を見て頂きたいと思います。まず前提の話で憲法とは何か、ということにもなるわけであります。これは憲法の教科書に一般的に書かれていることだろうと思いますが、憲法とは正に統治です。統治形態の根本を、これを定める基本法だという風にも言われているわけです。

ある教科書の引用ですが、国家の構造組織、及び作用の基本に関する規範一般のことを憲法をこういう風に呼んでいるわけです。私なりの言葉を使えば憲法というのは政治です、統治システム、これを動かすための「OS」、 オペレーションシステムなのではないか、という風に思っているわけです。最初にこの 「OS」 というものをプログラミングして、その「OS」 に従っていえばそのソフト、アプリというものが動いて、政治というのが動いていく。そういう意味では「OS」に近い、比喩的に言えばそういうものかなと思っているわけです。

次に国民主権とは何かという、これも教科書的な説明で恐縮ですが、ここに書いてある通り、まず主権。3つの意味があると言われてますけれども、ここに書いてあります国政についての最高の決定権、という風には理解したいと思います。そうする国民主権というのは、要するにその国政についてのこの最高の決定権を、まさに国民が持つこと言うのだということにもなるわけです。

しかし今この国政についての最高の決定権を持つことは一体何かということにもなるのですが、憲法学の一般的な理解ではこれは憲法をつくる、憲法制定権力、憲法をつくるというこの力というか、権力が国民にあるということを言うのだというふうに考えられているわけです。

つまり憲法というオペレーティングシステム 、「OS」 のプログラマーであるというふうに今考えることができるのではないか。さらに憲法改正とは何かということまでお話をすると、それは政権者、憲法を制定する我々国民が憲法の中に組織化、制度化したものが憲法改正権であると、あるいは憲法改正権者としての国民である。

先ほどの比喩を使えば、プログラマーである国民がプログラムのバグを不具合を修正するためのプログラムをプログラミングしておくということだろうと思います。もちろんなるべくバグがない方がいいわけですけど、やっぱり新しい社会課題とそぐわなくなってくるというバグが出てきたり、元々プログラマーが想定したように 「OS」 が動かないということもあるわけで、その場合にそれを国民が修正できるそういう、プログラムをプログラミングしておくということなのかなという風にも思います。

・リチャード・タックの議論-眠れる主権者

要するにここでお話しをしたとおり、国民に主権があるということの第一義的な意味というのは、実は通常政治、つまり憲法が定められた後に行われる通常の政治形態あるいは通常の政治期の時期に、国民が直接政治に参加するということでは必ずしもなくて、国民が憲法、つまり基本法を構築決定すること、統治の基本的な仕組みを国民が決定すること、というのが国民主権の第一義的な意味ということにもなるわけであります。

この話は主権、憲法で考えられているような第一義的な意味における国民主権というのは、要するにこの憲法という基本法へ直接的に働きかける、こういう権力国民が持つということになるわけですが、これについての政治哲学者のリチャード・タックという研究者、学者が2016年に書いた「眠れる主権者」という本が非常に示唆的でいいだろうと思いますので、ここで紹介したいと思います。

彼は、近代人、我々は忙しいということ言うわけです。古代ギリシャの市民、つまり常に直接政治に関与できたような古代ギリシャの市民と違う、例えば奴隷制の有無というのもあります。

つまり日常的なことはかつては奴隷に任せて、政治というものに集中できるということがあったのかもしれない。当然現代社会においてはこういったことは許されないわけであります。身の周りのことも、自分でやらなければいけないし、多忙である。そうすると政治に常に高いレベルで関心を持つということは難しいという風に言うことができる。

近代で新たに発明されたデモクラシーのあり方というのは、国民とは大事なことだけを直接決めるんだという風に考えられるようになったと彼は言っています。

つまり憲法を決めて、あとは眠るんだと、主権者というのは憲法を決めた後は眠れるというのが、近代の民主主義というものなのではないかという風にタックは言います。

主権と統治の分業、主権者というのは基本法を作るプログラマーとしてプログラミングするいうことで、後はオートメーション化するというか、その車で言えばオートマチックに切り替えるということです、政治を。憲法を作る時はマニュアルで、自分で憲法をつくる、しかし憲法を作れば「OS」 で動いていくというようなイメージがおそらくタックにはあるのだろうと思います。

これはタックの独自の考えとよりも、実はトーマス・ホップス以降の近代の基本的な考え方だという風にも言われているわけです。ホップスが実は、この主権を統治を分業した、こういうアイデアを明示的に出しているのではないかとタックは言うわけですけれども、しかしホップスの重要な点は、30行目にありますように国民が永久の眠りについては結局主権というものが横取りされる事になる。

目覚めるため手続きを制度化しておくことが必要なのではないか、こういう風にホップスは考えていたとタックは言います。主権は統治者、これはエージェンシー、プリンシパルとエージェンシー、つまり本人と委託されたエージェンシーの関係で言うと、統治者というのはまさに主権者によって政治を委託された、まさに統治者ということになりますけれども、主権者が一回プログラムを作ってそのまま永久に眠ってしまえば、その委託されたこのエージェンシーである統治者が、自らこのプログラムを自分で改変してしまう、という問題が起こるのではないか、それはまさに主権が横取りされるということになるのではないか、とこういう風に言われるわけです。

最後のところですけれども、今の話の中でお分かりかもしれませんが、実は主権の次元レベルでの民主“制”と、統治のレベルでの民主“政”、ここは漢字を意図的に変えていますけれども、これは異なるということにもなります。ですからその民主制、つまり憲法をつくるということが国民に留保される、つまり国民にある場合に、統治のモデルとして貴族制を取るか君主制を取るかということは実は論理的には矛盾しないことにもなるわけです。

この貴族制というモデル、君主制というモデルを国民が嫌だと思えば、憲法改正してその統治モデルを変える。つまり最終的にどういう統治モデルを選択するかいうことは、国民がもっているという限りにおいて、実は君主制や貴族制と矛盾しないとも考えられているわけです。実はこれはルソー という、フランスの有名な法学者・政治学者いろんな肩書きを持ってますけど、実はルソーは直接民主制を主張したという風に言われています。

実は彼の直接民主制というのは、限定的なものなのであないかということが最近の研究では言われるようになってきてます。つまり直接的に関わるというのは憲法をつくるという、基本法制定の場面であって、実はルソーは貴族制ともその矛盾しないというふうに考えていたというような最近の研究もあるぐらいです。

そうすると結局主権者国民が、どのような統治モデルを選択するのかということに、通常政治における統治モデルはあるということにもなろうかと思います。次のページですけれども、今お話をした通り、統治主体としてはその国民は、自らを指名しなくても良い、つまり国民が実際の通常政治期において誰を統治主体をするのかというのは、国民が決める問題だ。仮に直接民主制がいいということになれば、国民はそういう憲法をつくるいうことです。

ですので日本国憲法の場合には、後でみるように直接民主制というものを通常政治期において採用していないという風にも考えられているわけです。基本的な代表民主制をとっているということになる。

代表者であるまずは国会議員ということになりますが、その統治主体として国民が指名した他者、すなわち代表者による主権の横取りというものを監視抑制するためには通常政治期においては、憲法を作った後というのは監視者として、国民はまず存在しなければいけないし、あるいは憲法事項を再設定する、プログラミングをし直すという必要性が生じたときにスムーズには眠りから覚めるために、準備運動をする主権者という風にここでは比喩的に書きましたが、そういう存在として通常政治期においても完全に眠ることはできないんだろう、通常政治期においても国民が政治に一定の関心を持っておいた方が政策的観点から見てベターだという風になれば、当然民主制というものと最も相性がいいのは統治モデルとしての民主制、つまり代表民主制だということにもあるようにも思われます。

・日本国憲法と国民主権

日本国憲法と今お話をした国民主権一般論との関係について、改めて見ていくと日本国憲法の二つの構造的な特徴というものはここで指摘することはできるかと思います。

一つは憲法改正条項であります。日本国憲法の憲法改正というのは96条に規定されているわけですけれども、特徴的だと私が思うのは、発議権とういうものが国会に今独占されているということです。

アメリカの憲法を見ると、憲法改正の発議、憲法修正の発議というのは、連邦議会の両院の2/3言うことが満たされる場合か、あるいは州の立法府の2/3が発議せよと強く言った場合には、憲法会議というコンベンション開かなければいけないということにもなっています。そうすると連邦議会がやりたくないなぁというような憲法改正も、州からのプレッシャーによって発議しなければいけないということにもなるし、あれは連邦議会による恣意的な発議というのは州によって抑制されるということもあり得るわけです。

もちろん逆もまたあり得るわけです。ある意味この発議において、複数の主体が抑制と均衡の関係に立つということが言えます。フランスの場合にも、大統領と国会が発議権競合して持っています。

日本の場合には国会が排他的に発議権を持つというのは、いわば国会がやりたくない発議、憲法改正は発議されない。つまり国民の多くが何か選挙制度とか、何か改善の余地があるんじゃないかと考えても、国会議員の全体がやりたくないというような改正は発議されないということにもなるし、逆に言うと国会議員全体にとって利益になることは国民が嫌だと思っても発議されてしまう可能性もある。これは日本国憲法の改正条項の一つの重要な特徴だろうと思っています。

もう一つの重要な特徴は、その簡単概括型。いわゆる簡潔な憲法典であることです。世界的には長くて、詳細で、改正手続きが比較的柔軟な、もちろん通常の法律改正と同じではありませんが、比較的に柔軟な憲法典が増えてきているという風な指摘があります。その中でアメリカの憲法や、日本の憲法というのは異常なほど簡潔なテクスト構造を有しているという指摘があるわけです。

15行目を見て頂きますと、世界の憲法典の平均が英語のワード数でみると21,960語、特に民主主義国家における憲法典にかけると平均で24,430語なのに対し、アメリカ憲法は7,762語、日本の場合はさらに少なくて4,998語ということですから、かなりさっぱりした憲法典であるという風にも考えることができます。いろんな理由があるので、一概にこうだからこうだということは言えないと思いますけれど、一つ示唆的な数字データで、かなり余白の多い憲法いう印象を私は持っています。

どういうことが言えるかと言うと、その統治の基本的なルール、基本法というものを法律で定めていくということが必要になってくる。日本の場合には国会法とか、公職選挙法とか、地方自治法といったような、本来憲法で決めていくべき統治の基本的なルールが、法律と、これは憲法附属法という風に呼んだりしますが、形式上法律によってその保管されていると考えることができる。

この雑駁な図ですが、完結型の憲法典というのは左です、実質的意味の憲法といますが、統治の基本的なルールの中で占める憲法典の割合がいわば小さい。それに対して詳細な形の憲法典は、統治の基本的なルールも中で占める憲法典の割合が比較的大きい。全部を憲法典の中に書くというのは難しいけれど、ある程度のことは憲法典で書いておくということになります。どちらが良いか悪いか、というのはその次のページのメリットデメリットになりますが、これも主権者国民の選択、つもりどういうフォーマットで行くのか、ということ自体が実は憲法改正論の重要な論点になります。私自身は今、考えるところではある程度書くということも必要なのではないかと思っています。

メリットも本当に重要なので、後のディスカッションでこの論点になるかもしれません。3ページの14行目にあります、完結型また厳格型、これ憲法改正の手続きは厳格とういこと。結局、憲法を改正して余白の部分を憲法改正によって埋めるということをしようと思っても、例えば今の解散権というのも一つの憲法上の論点ですね。

つまりまさに主権の根本に関わること。つまり議員内閣制とは何か、という統治の根本に関わるトピックが、統治主体によって決められてしまう、ということは主権の横取りにも関係する問題です。

こういった重要なトピック、国民が解散権を制約しようというふうに考えても、なかなか発議は難しいです。そういう意味では、憲法改正が非常に難しいというか、発議権が排他的に持たれている、ということとの関係で行くと、結局重要なものというのは法律の制定や改正を通じて、つまり憲法付属法の修正や改正を通じて決めておかざるを得ないです。

これはもちろん良い面、非常にプラグマティックに柔軟に事態に対応できますから良い面もあるわけですけれども、重要なのは憲法附属法という、憲法典を保管するためのルールというのが、形式上法律によって定められているということになるわけです。

法律を定めるのは代表者ですから、結局のところ代表者によって恣意的にこの憲法付属法という憲法典を保管するルールが作り込まれてしまう。それはまさに主権の横取りいう問題が起きやすいモデルの憲法、フォーマットなのかなと思います。これはエージェンシースラックということです。つまり本来はプリンシパル、本人の利益のために統治を委託されたそのエージェンシーが自身の利益のために、まさに基本法を作ってしまうというエージェンシースラックという問題が生じやすい構造なのかなと私自身は思っております。

3ページの下のところで、主権が横取りされてしまうリスクが大きい、そういうことなのかなという風に思います。特に現在の政治状況の事を語りたくもないところもありますが、行間とか余白の多い憲法というのは、これ行間を読むセンスが必要になるわけですね。

それは立憲主義のエートスというか、立憲主義の精神、感覚が必要なわけですが、この感覚が失われてくると、書いてあるからいいんだ、ということになってしまう。行間を読めなくなってしまうと。

特にこの完結型の憲法典の横取りリスクが高くなる。政治家に徳があれば、その行間というのをよく埋めていくということになるけれども、そうでないと 国民自身のためにこの余白を埋めるということも必要になってくるのではないか。

憲法典っていうのは、従来のいわゆる護憲派という方々は憲法典を変えろということは、むしろ自由を脅かすのではないか、というような理解もあるわけですけど、かえってむしろ自由がそのままであると脅かされる可能性もある。リベラルとはまさに何か、ということが問われているところではないかなと思います。もちろんこれには異論があると思いますので、私自身が今考えてることを話をしているということであります。

4ページに移りましては今お話をしたことがここに書かれているわけであります。ちなみに早稲田大学の川岸先生のコメントを19行目からあげておきましたけれども、アメリカの憲法構造について、憲法条項が簡潔で改正も少なく憲法上のテクストで明文化されていない部分に実際の政治実践が依拠していることが多く、先程お話した通り、こういう構造を持っている憲法典の場合には憲法附属法や憲法判例によってその余白を埋めていかなければいけないということが多く、外国人が真似るには格段の努力を強いるものだとおっしゃってます。

アメリカの場合も簡潔なんだけれども、そして今は行間が読めない大統領がいるのかもしれませんが、コモンローの体型なんですね。つまり判例法へのある種の信頼がある、憲法典の余白というものを最高裁判所はまさに立憲主義的な観点で埋めていく、違憲審査制を行使して埋めていくということが部分的に行われてきたのではないかということにもなります。ところが日本の場合の最高裁は、これは大陸法に慣れている部分があって、コモンロー系の考え方に慣れない部分がある。つまり憲法以下の通常法律は、基本的に大陸法系のものになるわけですけども、憲法だけがコモンロー系なものになっているということになると、なかなか余白をうまく解釈することができない、怖いわけですね手法裁量がある、裁判所に裁量あるとやっぱりなかなか踏み込んだ審査というものが難しくなる、そういう点でもやはりそのアメリカと日本は構造上の同一性があるわけですけれども、しかし立憲主義のあり方、デモクラシーのあり方に違いがあるのではないかと思います。

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2.AIと憲法

だいぶ前置きが長くなってしまったわけですけれども、ここまでがまあその一般論としての憲法または憲法改正の話でした。ここからが本題です。「AIと憲法」のお話しをさせていただきたいと思います。

・DX(デジタルトランスフォーメーション)

デジタル化によって我々の生活を豊かにしていこうという、このデジタルトランスフォーメーションは今いろんなところで言われている言葉だと思います。

非常に広い意味なので、ここで厳密に定義することは避けますけれども、19行目にあるマイナンバー制この拡充、あるいはそのスマートシティーと言ったことはおそらく個人と団体あるいは、コミュニティー、共同体のあり方を根本的に変える可能性があるのではないか。

ケイト・クロニックというアメリカの情報法の研究者と言っていいのかどうかありますが、 若手の女性の研究者であり法学者の彼女が、Harvard Law review という大学の企業に書いたニューガバナーズという論文が非常に影響力が強くなってます。彼女はプラットホーム、特にGAFAのようなプラットホームをニューガバナーズであると、新たな統治者であるという風に位置付けています。

確かにここにある通り、データ的な優位性、つまり国家よりも多くの我々に関するデータを持っている、データ的優位性によって国家と対抗し得るような、新たな統治者に今なってきてるのではないか。

確かに私も今日の朝某プラットホームのニュースポータルを見て、ニュースを仕込んでくるということになるわけで、生活の朝の始まりから寝る時までプラットフォームのお世話になっている、その基盤の上で我々は生活してるという風にも言えるわけであります。

全ての道をプラットフォームから通じるということを書きましたけれども、ビジネスをするにしてもプラットフォームに頼らざるおえないという部分があるわけです。プラットフォームは猟奇的な存在で、我々の生活を本当に豊かにしてくれるというポジティブな側面も確かに非常に大きくあるわけで、統治者としての権力的な要素もなくはないわけで、こいうプラットフォームの台頭ということも我々の自由とか、あるいは安全とかといったようなことにも大きな影響を与えます。

25行目にありますように 「DX」 というのは、結局我々の政治社会というものを、かなり根本的に変えるものだと思う。個人の自由やデモクラシーに直結をするのが実は「 DX」 なのではないか。それはまさに主権者国民が、どういうその政治社会を作っていきたいのかに関わる憲法事項なのではないかと、私自身思っています。

基本的な問題意識ということ書いてありますけれども、結局はデータやAI を使って、使うのはわかった、使うことは私も大賛成なんですが、それを使ってどのような統治モデル、政治社会を構成決定したのかというのは、まさにその主権者国民が本来的に考えていかなければいけない問題なのではないか。現在の時期というのはこれは、ややオーバーに言うと、実は制憲期、新たな憲法をつくる制憲期に我々はいるのではないかという風な印象すら持っています。

・DXは適切に進めるべき!-DXによる憲法価値の実現

次に「 DX」 は適切に進めるべきと書きましたが、私自身は「DX」は進めるべきという立場であります。例えば日本の場合には、戸籍という制度がある程度形を変えつつ残っています。戸籍とはいえば世帯単位というものが残滓として残っているわけですけれども、こういう世帯主義的な発想というのが、行政の諸々のところに及んでいるというふうに思っています。

特別定額給付金の振込については、これちょっと給付というのはちょっと厳密には誤りで、世帯主からの振込ということがおそらく正しいと思いますが、このまさに特別給付金というのも世帯主に振り込まれるという、世帯主義が手続き上残っていた部分がある。これ世帯、価値の封建的な家族集団と、そして個人との関係で言うと、なおこの集団が優位に立っているような、個人が家族集団の中に埋没してしまうような状況がまだ残っているようにも思われる。

これは企業と個人との関係でもそうで、日本的な特殊性ということで、良さを強調する部分もありますが、個人というのがこの企業という組織に、諸々の自由とかを拘束される部分があったという風に思います。さらに我々人間というのも弱い存在ですから、常に偏見を持っていたり、その偏見に基づいてあるものを排除しようとするというバイアスが働いてしまう。

非常に弱き存在だ、これは正面から認めざるを得ないんだろうという風に思います。そうすると就職活動とか諸々のところで、そういった偏見によってこの人は取らないでおこうということになってしまったりということがある。

そういう意味ではこう「 DX」 というのは、今お話をした世帯主義から個人主義、真の意味での個人というもの中心とした行政というものを可能にする可能性がある。あるいは今のリモートワークとか、ジョブ型といわれるような、これにもいろいろ問題がありますけれども、集団と会社と個人との関係も非常にラディカルに変える、そういうポテンシャルを持っている。さらに、人間の偏見というものを反省的に見つめる材料にもなる。

つまり AI というものを、いろんなデータを使って人を多角的に評価することによって、今まで排除されてきたものをインクルードしてくる、包摂する、インクルージョンにもしする。「DX」 というのは、その憲法の基本的な原理、価値というもの実現する重要な推進力になるという風にも思っています。

5ページにありますように、個人の移動性、今はあのアドレスホッピング何という風に言われているように、例えば今年は半年は都会に住みたいけれども、残りの半年ちょっと田舎でのんびり暮らしたいな、住所を変えていくという移動性というのも、これは憲法22条には居住移転の自由、移動の自由が保障されていながらも、従来なかなかこの移動というのは事実上の諸々のコストから難しかった。

しかしより自分らしく生きたい、こういう所に住みたい、というような移動性というものも「DX」 によって実現していくという側面もあるように思います。その「DX」 の目的というのは、行政の効率性じゃないわけです。効率性というのは手段に過ぎませんから、効率化して何を達成するのだろうというのが非常に重要だろうと思います。

私自信はこの「DX」の目的は、まさに個人の尊重ということ、つまり近代の啓蒙主義者たちが思い描いてきた夢というのがようやく「DX」で実現するという側面もあるのではないかと。しかしながらこの次にありますように、この夢が叶わないということが起こるのではないか。つまり「DX」、AI、データのものによって、憲法の諸価値がむしろ脅かされることもあるのではないか。

・DXのリスク

ここでは4点ほどあげました。1つはプライバシーであります。プライバシーというのは、これまでおそらく情報漏洩というものをどう防ぐかということで理解されてきた側面がある。つまりセキュリティの問題だと。

その情報を収集するという段階で、ちゃんと同意を取りましょうのようなこと。つまりデータの取得の入口の段階と、漏れる漏れないという出口の段階を、どう締めるかということだったわけですが、近年は取ったデータから、いわゆるプロファイリングというものをかけることによって、その些細なデータからその人の非常に重要な側面、私的な側面というものを炙り出して、推測していくということが可能になってくる、これはプロファイリングとよんでいます。

古典的な事案として、「ターゲット事件」をあげました。これはアメリカの小売り大手のターゲット社という大きなスーパーマーケットイメージしていただければと思いますけども、このスーパーマーケットが、AIからは少し前の段階のものですが、お客さんの購買履歴からその人が妊娠しているかどうかということを予測して、妊娠していると予測された方にベビー用品のクーポン券を選択的に送っていたという事件です。妊娠されているかというのは一定の購買傾向があり、こういうものある時期に買うという傾向がビックデータから分かっていく。

そうすると逆算して、この人が妊娠しているかどうかを予測できるということ。これと同じことは、他の分野にも応用可能で、例えば「リクナビ事件」、これは昨年だったかと思いますが、非常に世間を騒がせたもので、学生の内定辞退率というのを Web の閲覧履歴から予測をするということをやっていた。

さらにケンブリッジアナリティカ社、これは2016年のアメリカの大統領選あるいは、ブレグジットの国民投票において重要な影響力を持ったという、イギリスの選挙コンサルタント会社でありますけれども、このケンブリッジアナリティカ社は、 SNS のデータを主に使って、その政治的な心情、この人はトランプを支持しているのか否か、そして重要だと思われるのがフェイクニュースに対する騙されやすさ、脆弱性というものスコア化していた。騙されやすい人にフェイクニュースを選択的に送るということをやることによって、投票行動を操作していたと言われています。

後でお話をする通り、最近ではいくつか暴露本が出ていて、ある本はマインドハッキング、つまりその人の心をハッキングしていたんだというような本もでています。これは本当にそうなの?と思われるかもしれませんが、14行目にありますように、2ヶ月前の日経のサイエンス面にSNSから内面見抜くというタイトルの記事が掲載されて、これは総務省傘下の情報通信研究機構がTwitterの情報から、個人のIQや性格、他にも統合失調症やうつ病のような精神状態、人生の満足度を見抜く実験に成功したという風に報道されています。

これがどこまで具体的に予測あるいは、どこまでの精度で予測されるのか私は詳細を存じ上げませんが、非常に私自身は日本でもこういう技術が利用可能なアベイラブルな状態になったんだということについては一定の衝撃を受けました。

ケンブリッジアナリティカがやっていたのは、ビッグ5という人間の5大特性、17行目にある開放性・誠実性・外向性・協調性・神経症傾向を分析して、その人の心理的な傾向を分析していたと言われていますけれども、それより先に進んできているような印象を持っています。さらにはこの時間の関係で詳細踏み込めませんけれども、23行目にありますように顔認証技術とかセンシング技術が発達していくと、よりその人の心の中にというのがわかってくるという部分がないか。

例えばその人は一体何を買おうとしてるのかいうことが遠隔的なカメラから、視線の動きとか、あるいは脈拍を見ると分かってくるという側面がある。そうするいろんな議論があると思いますが、嘘がつけなくなるということです。

人間というのは常にペルソナという仮面をかぶって、社会活動社会生活送ってるということになると、AIのプロファイリングというのはこの仮面の下を見ようとする。動物的な生理的なその人の反射というものを見ようとするという傾向があると思います。これを私の専門の憲法学にひきつけてみますと、プライバシーをいわばビヨンドして思想良心の自由、つまり個人の内面の自由にも関わるような技術になりつつあるようにも思います。こういったプライバシーへのリスクというものが一つあるでしょう。

もう一つはこの自己決定権に対するリスクということを二番目にお話をします。近年、アテンションエコノミーという言葉が使われるようになっています。これインターネットの普及による情報過多の世界においては、人々が払えるアテンション、つまり関心や、あるいは消費時間が情報量に対して稀少になるため、これが財産的な価値をもつと考えられるようになった。つまりアテンションを取引するということが、プラットフォームの特にビジネスモデルとして確立しつつあるのではないかという指摘があります。

次のページの上を見ていただくと、グレン・ワイルという若き経済学者が「セイレーンサーバー」という風によんでいます。セイレーンというのはオデュッセウスがギリシャ神話の中で、船で海を航海する時に、そこの海にはセイレーンという美しい妖精がいて、その美しい歌声によって人々がこの海から飛び込んで死んでしまうというところで、自分をその船のマストにくくりつけて航海したという有名な神話があります。そういう魅惑的な歌声で歌うそういう存在なのではないかと、グレンワイルはやや皮肉的に言っています。

つまりこんなサービスあるよと、無料ですよ、こういう魅惑的なことありますよ、ということでの滞在時間ですかね、ページや動画を見る時間を長くする。それによってアテンションを得て、そのアテンション広告主に売るということ。

こういうビジネスモデルができてきているという指摘があります。このアテンションエコノミーとAIの相性というのは、すこぶる良いのではないか、つまりアテンションエコノミーにおいては、個人の精神状態がわかれば、その人のアテンションを引くというのは、いとも簡単に行うことができるということになります。

13行目12行目あたりにあるように、これもやや比喩的に言えば、これまで広告主は個人のマインド、精神にいかアクセスするかということに努力を傾けてきたけれども、それが簡単になってしまうと、つまり個人の精神へのダイレクトなアクセス権を購入できるようになってしまうということです。光脱毛でしたっけ?思わず買ってしまうというのも、もはやそういうこと関連しているのではないか。確かにこのあたりも、本当にエビデンスベースでちゃんと実証しなければいけない。

私自身は文献上、研究者としてこういうことが言われているということ紹介していますけども、きっちり冷静に、本当にそういう事があるのかは、エビデンスベースで議論していかなければいけないことだと、私自身は思っています。ただ分からなくも無いです、指摘されていることは。16行目にあるように、プラットホームは可能な限り多くの時間、多くのアテンションを獲得するためにデータを駆使して、その利用者が最も強く反応するものを予測していると言われている。

自己決定というよりも、結局決定させられてしまうというまさにマインドハッキングじゃないですけれども、させられてしまうということが起こってきているようにも思います。まさに25行目にあるマインドハッキングという問題が出てきているように思います。

システム1、システム2、この後人間の思考モード、直感的で処理速度の速いシステム1という自動システムと、論理的・内省的で処理速度の遅いシステム2という熟慮のシステム。この二重過程論を前提とした議論も最近なされていますけれども、結局アテンションエコノミーの成果で、このシステム1の思考モードを刺激して自動的な反応を引き出す。

それによって、ややこれは言葉が強いかもしれませんが、アディクションの状態を作り出しているのではないかという指摘すらあるわけです。このあたりも十分精査して今後議論していかなければいけませんけども、重要な指摘だろうという風に思います。

次のページですけど、このシステム1という、反射的な思考モードに対する砲撃というのが、今起きているのではないかと指摘されている。自己決定は、自分自身が決定したと自分では思っているけれども、いつのまにかそれは操作されていてポチッとしてしまう。こういうことが起こっている。

あるいは自分として、政治的な自己決定をしたつもりだけれども、いつのまにか誰かに投票してしまうというようなことです。これは本当にしっかり実証的に検討しなければいけないことだと思いますが、技術的にすごいところまで来ているということだろうと思います。

次に平等のところですけど、これよく指摘されていることですのであまり詳しく時間もありますのでご紹介できませんが、やはりAIを使うことによって、そのこれまでの差別というものがむしろ助長されてしまうのではないか、再生産されてしまうのではないか、ということも指摘されています。

Amazon の採用プログラム、これもあの有名な事例ですのでご存知の方多いと思いますけども、Amazonが採用プログラムをAI を使って作ってみた。ところが何年か回してみた時に、女性を不当に排除しているということが分かったのでそれを止めたという事案です。では、なぜそういうことが起きたかというと、Amazonは良いエンジニアを探り出す、予測するモデルを作った。

ところが、その時にAIがどういうデータを見ていたかと言うと、pastデータ、過去過去のデータで要するに優秀な奴というものを、データからモデル化して、そのモデルに当てはまる人探すということだったわけです。ところが過去のデータというのは男性のデータが多い。

つまりエンジニアという職は男性優位で、男性が非常に多いと、そのデータばかりAIは学習することになりますから、結局男性優位のモデルになってしまった。ですから過去の構造的な差別とか、そういったものがAIに受け継がれてしまう、バイアスが承継されてしまう、という問題があるわけです。ハイアービューという、これは AI を使った動画面接です。

学生はスマートフォンを立ててそこで質問に答えて、それをアップロードするような仕組みですが、この動画面接ではハイヤービューという仕組みは、表情と声の抑揚を分析して採用の可能性スコアをはじき出すという仕組みだったわけです。

このハイヤービューについては、実は16行目にあるように、アメリカのあるそのプライバシー保護団体がこれはプライバシーなり、その平等に反するのではないかということで調査を要請しました。

アメリカの政府、つまりFTCですけれども調査を要請したという事例がございます。結局これは18行目ですが顔の表情といったものから、採用の合否を予測するのは難しい上に、アルゴリズムがまさに限られたデータで訓練されているために、白人や男性などのマジョリティと言う伝統的な応募者を選ぶ可能性がより高くなってしまう。

それに対して、英語が母国語でない人、つまり声の抑揚という声のトーンというのが、普通と違う人達とか、身体障がいを持っていて顔の表情が普通と違うような形で動くという人が、不当に低い評価を受けてしまうのではないかと指摘されています。

AIが食べる、学習するデータに適切にコミュニティーのメンバーが、多様なメンバーが、代表されていないとAIというのが、まさに差別的な判断をしてしまうということは注意をしなければいけない問題です。

ブラックボックス問題は、ちょっと時間の関係で省略をさせて頂いて、民主制と民主政、同じ読み方になってしまいますが、国民主権に与える影響についても、簡単にお話をして最後まとめに入りたいと思います。

超監視社会と、7ページの28行目のというのは言うまでもないことで、AIというのは基本的にたくさんのデータを食べれば食べるほど賢くなっていきますので、基本的にデータを欲すると、モアデータ社会になってくるということで、これはどこまでそのデータの収集を許すのかいうことと、いわばトレードオフの関係にたってくるというのが一つ目の指摘です。

二つ目はこれは、フィルターバブルの問題で、AI がそのユーザーの政治的な心情とか、心理的な傾向というものを分析して、その人が望んでいない、好まないデータをフィルタリングして濾過していくと、その人が好むデータのみを、のみと言ったらちょっとオーバーですが、重点的にその人のスマートフォンあるいは、ニュースポータルにフィードしていくということになると、その人は自分好みの情報に囲まれることになる。

その人は快適なんだけれども、つまり自分が知りたくもないものはカットされる、フィルタリングされるので心地よい空間なんだけれども、しかしここにあるエコーチェンバーですね、つまり自分の声が響き渡って反響してしまう。

ある特定の政治的な信条を持っている人は、とても保守的な人は保守的な意見とかが重点的に入ってくると、自分の考えが是認されたように感じる。つまり仲間がいるじゃないか、ということですよね。こんなにたくさん同じ考えを持っている人ということが、だんだんその思想が極端化してしまう、ということはこれはリベラルの側にも同じことを起きうるということにもなるわけです。まさにフィルターバブルによって、他者の見解を知る機会がその減ってしまうのではないか、という問題が出てくる。

これが社会的・政治的な分断を招いているのではないかという指摘もございます。しかしそうではないという指摘もあるので、このあたりは検討が必要だろうと思います。また政治的無関心層の拡大です、これはやはり重要だろうと思います。

本当にプロファイリングを強めにかてしまうと、少なくない人たちは芸能とスポーツのニュースしか送られてこないという事態にもなりうる。そうすると、いつ解散が起きたのかもわからないということが、冗談抜きで送るわけです。

トップニュースがあれば、トップニュースは基本的にプロファイリングがかっていませんので、某ニュースポータルについては、そういう意味では本当にみんなが知るべき情報は、そのトップニュースでかろうじて確保されているかもしれませんが、その下に流れてくるものは基本的にプロファイリングにかかっておりますので、そういう事態、つまり政治に関心がない人はますます関心がなくなるということが起こりうる。

それは先ほどの、通常政治における代表民主制も、危険にさらすことになりますし、もっと言えば憲法改正の国民投票の時に、フィルターバブルが維持されてしまうと、やはり非常に重要な基本法の決定というところで、十分な熟議が得られないということもあり得るわけです。

次のページですけれども、他にも先ほど申しました、データとかAIを使った、選挙の操作です。ゲリマンダリング、これは政治家が恣意的にその選挙区を操作したりして、投票行動、投票結果を歪めるということを歪めるということを、ゲリマンダリングと呼んだりしますけども、これがデータとかAIを使って起こりうるのではないかという指摘であります。最近ではニュースになりましたが、ディープフェイクというものが、簡単に作れるようになってきているということも重要な動きだろうと思います。

15行目に「嘘つきの分け前」という言葉を挙げておきましたが、これはフェイクニュースとか、ディープフェイクが広くまん延していくと、嘘つきが得をするということにもなるという指摘です。嘘か誠かわからない世界になれば、嘘つきは、ある国の大統領がよくそうするんですが、その対抗言論に対してそれはフェイクだという風に言えばいい。

つまりあれはフェイクだ、これはフェイクだ、という議論の応酬になるので、中身が議論されないということになります。これも民主主義、あるいは言論空間に与える影響というのは大きいのではないかと指摘できるように思います。あとはフェイク群衆です。

Twitterでもbotによって自動拡散されるということがあるわけです。そのbotによって群衆が作り出せる、多数派が捏造されるということが技術的には可能になってきているわけです。

さらにいえば21行目ですが、このbotが作り出すフェイク群衆が、言論市場、思想市場における言論空間における重要なアクターになっていくと、AIを含む技術利用の高さ、どれだけそのこの技術を使ったかどうか、あるいはその技術を支える資金力があるかどうか、ということが思想市場の勝敗を決することになってしまうのではないか。だから中身が議論されない。どれだけフェイク群衆を多く作り出せて、イマジナリな世界を作れるかどうか、そういう勝負になってしまう。

これ私は25行目にあるように、非常にカオスな状態、言論空間というのものが何を信じていいか分からない、botもあるし真実の基準、まさにポストトゥルースということかもしれませんけども、カオス化してしまう。それによって選挙で勝ったとしてもおそらくそれは歪んだ選挙プロセスにおいて勝っただけだという、選挙で勝った者のレジティマシーや、正当性すら疑われてしまうという事態も起きうる。

それはまさにデモクラシーの危機なのではないかと考えているわけであります。ですので、まとめると結局のところ「DX」あるいはAIデータの積極的な利用というのは、私自身はやるべきだと、つまり個人の尊重、集団と個人との関係で言えば、個人の真の意味での自由というものが実現する側面があるいうことです。

そのエクスクルージョンからインクルージョンと言って、世界を実現する一つの重要なツール、手段になるという風に思いますけど、また他方でそれについてぼーっとしていると、憲法価値というものの根源がまさに揺るがされるということにもなってくると思います。

最後に終わりにということですけれども、今私がお話をしたのは、まだ色んな本とか、論文等の指摘なわけです。もちろん2016年に実際に起きたことというのはあるわけで、それについてはしっかり分析をする必要があると思いますけど、まず憲法事実。憲法レベルで、本当に議論しなければいけないのかどうか、ということですね。

今のような話を、本当に憲法改正論に結びつけて議論すべきかどうかの事実をまず積み上げる必要があるのではないということです。ヒューマンライツ・インパクトアセスメント、36行目一番下にあるようにこの人権への影響評価というものをしっかり、徹底的にするということが重要なのではないか。

私は諸外国は今それが行われているのではないかと思う。特にケンブリッジアナリティカ事件の後に、連邦議会等でもかなりツッコミを入れているわけで、プラットホームに対しても独禁法との関係でいろんな調査を入れているということです。

まずその実態を明らかにするということが重要なのではないかと、プラットフォームも私自身は個人の尊重という点で非常に重要な役割、積極的な役割を果たせると私自身は思っていますけれども、しかしそれにはいろんなリスクをきちっと精査して議論していく必要があるのではないかということであります。

最後のページですけれども、もし仮にAIデータの利用というのが、個人のあり方とか、あるいはその統治形態、民主主義、この根本に関わるという憲法事実があるならば、それはまさしく憲法問題であって主権の領域に属する問題なので、私たち主権者国民が、どういう風にそれをマネジメントするのか、こういう問題なのではないか。

そうでないとすれば主権の横取りリスクというものが起きてしまうようにも思います。どういう統治形態を望むかという議論に、国民が十分参加できているのかどうか、今の「DX」何が自分達遠いところでその「DX」についての議論がなされているかのように、私自身は思わないでもないわけです。本当にそのデジタル社会ってどうあるべきなのかに、我々が参加できているのかということは改めて精査しなければいけない。

今のこの憲法の余白、おそらく憲法の制定期に、ここまでAIが進展するという風に憲法起草者、制憲者たちが思っていなかったとすると、そこに一定の余白がある。今この余白を誰が埋めているんだろう、ということを改めて考えると場合によってはそれはプラットホームかもしれないし、分かりませんけれども、10行目にあるように、主権を横取りされないために、まさに私自身、データ基本権、これを前提とした議論をしていくべきなのではないか。

そしてデータ基本権、これは具体的な内容については後のディスカッション出てくるかもしれませんが、これを前提とした「DX」いうことが重要なんではないかというふうに思っております。

時間がちょっとオーバーしてしまいましたが、私からのお話は以上とさせていただきます。ご静聴どうもありがとうございました。

■質疑応答

(山尾)
本当に貴重な情報がたくさん詰まったご講演だったと思います。ここから先はフラットな意見交換になりますけれども、どうしてもちょっとだけ喋らせてと、玉木さんが言っておりますので一回マイクを渡したいと思います。一言お願いします。

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(玉木)
山本先生、ありがとうございました。私が実はこの問題に関して持ったのは、私の体験があるのでちょっと紹介させて頂きたいのですが、ハックされる私たちのマインドっていうのをすごく感じたんですね。

実は私も Google で、ナイナイの岡村さんが出ていて、それを見てたまたまググったのが、光脱毛器だったんですよ 。VIOゾーンを綺麗にしましょうみたいな深夜番組を見ていて、光脱毛器を検索をある時したら、その後あの違うメディアですね、Facebook だったと思います。私は見るところにずっと、光脱毛器の広告がぼんぼん出てくるようになったんですよ。

最初うっとうしいなと思って、四日間ぐらいたった時に、ちょっといいかなと思ってクリックをしてしまって、ぱーっと見たら、いいなと思って買ってしまったんです。多分私はこのアルゴリズムとか、私の過去の様々な検索履歴から、この人はちょっと勧められたら弱い人じゃないかという分析の中で、そういうターゲット広告をうたれて、まさに私の心理と行動変容が起こったんですね。

ただこれが単なる商品の購入ならいいんですけども、これが投票コード、ある政党に対する行動であったり、ある候補者に対する行動が、もともと別に支持していなかったんだけれども、そういう分析の中でこの人にはこういう、相手候補の不正があるというフェイクも含めて見せたら変わるだろうということで見せられたら、変わっちゃうなと思ったんです。

これがまさにケンブリッジアナリティカが、前の大統領選挙で行ったと言われる手法であり、民主主義の根幹に関わり、憲法19条が規定している思想信条の自由というのは、我々色々小さい頃からいろんな文献とか情報に接して自由に形成されるものではなくて、実はある意図を持って、もっと言えばある資金を提供された社が意図的にやれば、人の思想や人為はいくらでも左右、操作できるんだと。

それがデモクラシーの根幹侵し始めるとまずいんじゃないかと言って憲法審査会で国民投票法の改正議論の中で、そういった例えば外国勢力のその資金によってSNS広告などが、自由にされることが国民投票運動の中で、なんら規制なく行われていいのかという問題提起をさせて頂いて、ケンブリッジアナリティカのメンバーだったブリタニー・カイザーさんを憲法審査会に呼んではどうかと提案したのは私なんですね。

これ本当に今日的というか、これから起こる問題なので、単なる私が光脱毛器を買った問題ではなくて、このことは実は民主主義の根幹に影響を及ぼしうるという問題意識を持って、新たな課題として、憲法上の議論も含めてやる必要が出てきてるんじゃないかというのが、山本龍彦先生に来て頂いて、「AI と憲法」の議論をやり始めた最初のきっかけでもあるので、こういう事が起こってるんだと、メリットデメリットを正しく理解をして、そのデメリットを最小化していくと。

場合によっては、この主権者としての主権を横取りされるツールに使われるかもしれない、という問題意識の中で、主権者としてこれをどう捉えていくのかということを、是非皆さんにも一緒に考えていただきたいな、という風に思っております。

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(山尾)
経験者は語るということででもそれが本当にあの大きなあの民主政治の問題なんだという定期でもあったかと思います。ここからは、本当に皆さんからいろんな発言を頂きたいです。今日は本当に議員もいますし、これは完全フルオープンなので、必ずしも国民民主党に限らず国会議員も参加をしていただいております。そして一般の方も来て頂いております。フラットに質問受けたいと思いますがこの中でちょっと最後まであの入れないので今のうちに発言したり質問したいなという方からあのお願いしたいと思いますがどうぞ自由に手を上げていただければと思います最初の皮切りどなたかお手伝いをいただけないでしょうかどうでしょうか古川議員お願いします

(古川)
国民民主党の衆議院議員の古川でございます。山本先生、前回は国民民主党の憲法調査会ではzoomだったんですが、今日はやっぱリアルでですね、お話聞かせていただいて、私も二度目を聞かせていただいて頭の整理ができました。ありがとうございました。

先生の話の中でですね、ちょっと憲法との関係でお伺いしたいのはですね、私もこのデータ基本権、しっかり憲法上もですね、規定すべきだと思います。ただこれ憲法だけでいいのか、あるいは最初の先生の話にあったですね、データ基本権保護法みたいな、憲法付属法もですね、やっぱりセットにする必要があるのか。

これヨーロッパみたいな形とかですね、憲法に全部これを規定しようとすると相当な条項になってしまうような気がするので、私の考えはですね、憲法上はシンプルな形での、個人のデータはちゃんとその個人に属すると、そういう規定をして、それを実質化するようなデータ基本権保護法みたいなですね、そういう憲法の付属法みたいなものもやっぱりセットでやるべきじゃないかなと、先生のお話を聞いてそのように感じるんですが、先生のお考えを教えて頂ければと思います。

(山本)
ご質問頂きましてありがとうございます。
私も基本的にそのような発想をとっています。もちろんデータ基本権と言ってもその中身が何かと、私自身はその情報自己決定権って呼ばれるものですけれども、自分の情報を誰とシェアするのかということを自分で決定できるという権利として捉えていますけれども、そういった、まさに基本的な権利ですね、そういうものは憲法典に書いた方が良いかなというふうに思っています。

けれども、具体的な実現、その権利の実現というのは、おそらく例えば中小企業とプラットフォーム事業者では全く違ってくるかもしれませんし、やっぱりその業種業界によって違う、あるその規模によっても違ってくる、そういう意味で具体的な規定等はやはり法律に委ねるざるを得ないだろうと思います。

そういう意味ではその法律とその憲法との連絡をやっぱりしっかりつけると。その憲法のデータ基本権の発想というものをベースにして、データ保護体系、データ保護法の体系というものを編み上げていくと。体系性をもった個人情報保護法制なりデータ保護法制の構築をすることが重要だろうと思います。

ですので今の個人情報保護法というものがありますけれども、それについては基本的な人権とかですね、そういったものは第一条の規定の中に書かれていない。もちろん個人の利益ということが入っていますけれども、憲法に当然に紐づいたものという理解があろうかと思いますけれども、その憲法との結びつきというのが十分ではないのかなと。そういう意味では、よりそこの繋がり、今先生が仰ったような憲法付属法として捉え直していく。

今個人情報保護法の法制の、なんというんでしょう、再編成が今年来年にかけて起こっているわけですけれども、その時にも十分、その上位にある基本権概念が何かということを意識しながら、その体系的なデータ保護法制の構築というものが求められるかなというふうに思っております。ありがとうございます。

(山尾)
ありがとうございます。
どうでしょう、はいじゃあ順番に参りますね、お願いします。

(質問者)
今日はどうもありがとうございました。高森明勅と申します。
今のご質問に関わりまして、ちょうど逆のお尋ねなんですけど、頭の体操としてですね、憲法典には手をつけないで、法律をもってですねカバーすると。今日先生のご発表の最後に憲法事実を積み重ねていくというお話でしたので、その憲法事実が十分でないと、要するに立法事実だけで処理できるというお考え、これはあり得るのかどうか、その辺お尋ねしたいと思います。

(山本)
ありがとうございます。それはあり得ると思います。
私自身はそこをまさに、現状何が起きているのか、あるいは何が起きるのかということをしっかりまず把握するということが重要だと思いますので、憲法にこう絶対に書かなければいけないかというと、それは必ずしもそうではないだろうと。それはもうまさにその、非常に異論を許さない考え方になってしまいますので、そこはやっぱり議論していかなきゃいけないだろうと思います。

ただ私自身今感じている、あるいは研究しているところで言うと、書く必要性があるのではないかと私自身は思ってます。日本の場合に、判例にしてもですね個人情報保護法制にしても、先ほどお話をしたその情報自己決定権とかですね、データ基本権に関する正面からの受け止めというのは判例上もないわけですし、個人情報保護法制もそのあたりの位置づけがはっきりしないという部分があると。

そのはっきりしなさによって個人情報保護法の体系がなんと申しますか、体系的にではなくて非常にもうある種場当たり的に組み上げられてきた部分があって、それによって私自身の言葉を使いますと、データ保護については過少かつ過剰という状況が起きてきているのかなと。

つまり本当に大事な部分、さっきのプロファイリングとかですね、大事な部分については過小に保護され、実はもっとデータ使わなきゃいけない部分ですね、本来その個人の人権との関係・距離が遠いものについても、何か過剰な保護がかかってしまっている。そういう意味で過少かつ過剰というのも、原理がないことによって、非常に形式的に個人情報保護法制が捉えられてきたのではないかと思っています。

そういう意味では、やはりちゃんとその、メタな部分と申しますか、憲法に書くことによって、何のためにデータを守らなければいけないのかということがはっきりする。それによって体系的にですね、個人情報保護法制が編みあがるということは十分考えられるし、今日お話した、まさにリスクの部分が本当に顕在化していくというかですね、そういうリスクがあるという、まさに事実があれば尚更のことですけれども、憲法に書くということの必要性、あるいはその維持というのがあるのではないかという風に考えております。ありがとうございました。

(質問者)
改憲ありきではないけれども、憲法下で対応すべきであると。

(質問者)
私は30年近くテレビ局で働いておりましたので、かつてはサブリミナル効果というようなものがせいぜいだったものを、今もうDXは民間も含めて、憲法だけではなくあらゆるもので影響を受けると思うんですが、その中核となるAIは先ほどおっしゃられたように、past data これはどうしても必要、エビデンスが必要だ、ただエビデンス自体が社会が大きく変わっていて必ずしも完全なものではない。

そこで先ほど先生のお話あったと思うんですが、この移行期にですね、そこの完全でないエビデンスを、past data をどう完全に近づけていくか。これは移行期に特に起こることだと思うんですが、憲法のみならず社会生活そのものにも、そこに恣意性がやっぱりどうしても発生してしまうリスクがある。海外を含めてどう、そこは対応されているのかなと、お教え頂ければと思います。

(山本)
ご質問ありがとうございます。おっしゃることその通り思います。
データ、やっぱり今の段階で十分でないということがあって、それによってAIの判断がまあ歪んでくるということは確かにありうると思います。

で2つのことが多分今のご質問から言えて、ひとつはやはり人間の判断を介入させるということですね。GDPRの22条、まあEUのですね、GDPRの20条、ちょっと今日引用はしませんでしたけれども、重要な、個人の人生に重要な影響を与えるような決定、これはおそらくいろんな場面であり得ると思いますけれども、例えば人事とかですね、保険とか、融資とか、個人の人生に重要な影響を与える決定というのは、そのAIの自動的な判断のみで行ってはいけないという原則が書かれています。

ですから基本的に人間がやっぱり関与をしなければいけない。そういうことによって、本人から異議の申し立てがあったりとかした場合に、しっかり対応していくと。そういう人間の関与を絡ませることによって、AIの不完全性というものを補っていくということが、一つアイディアとしては考えられるだろうというふうに思います。

2点目はしかし、過渡期であって、おっしゃるように、データを集めてAIが一生懸命世界というものを勉強している段階だと思いますけれども、完全になるかどうかと言うと私はならないのではないかと今のところ持っています。
やっぱりプライバシーがあれば、当然データとして取れない、欠損すると、欠ける部分が出てくるわけですし、今プライバシーという、本当にゼロにすればもうあらゆるデータが取れるし、まあ遺伝的な情報、その人が生まれる前のまさに遺伝的なものまでも取れるということになってくると、場合によっては何れ完全なですねAIというのができるかも知れません。

私自身はそれに懐疑的でですね、やっぱりどこまでいっても人間の判断の余地と、人間が介入する余地というのはあるのではないかと私は思っております。それをどう仕組みとして組み込んでいくのかというのは一つ重要なポイントになってくるのかなというふうに思っております。ありがとうございました。

(山尾)
良い問題提起ありがとうございます。いかがでしょうか、はいえっと、前から上げていただいてて、あと順番に伺いますね。

(質問者)
本日はありがとうございました。
一番最初のレジュメ、山本先生のレジュメの中の(2)の、「近代人は多忙だ」というところが私が一番問題だと思っている点になりまして、「考える暇がない、思考する暇がない」っていうところが、やはりいろんなものを考えたり、ゆっくりものを考えたり、おしゃべりをしたり、カフェだったりサロンだったりコーヒーハウスとか、そういうところでいろんな喧々諤々そういう議論する場所が、やはり日本の市民・国民には全体で議論する場がないかなと思ってまして。

やはりそれを補うのがAIだったりそのBI、ベーシックインカムがユニバーサルな価値で人権にも繋がってくるかなと思いますし、やはりその多忙っていうところがやはり問題だと思うので、このスピード社会的なところをやはり、なにかしらの形で変えていかないと、憲法議論にも繋がらないですし、若い人たちにも胸に刺さらないと思うので、僕はそこが一番、今日の調査会の、若者代表25歳社会人三年目としての。

自分の先生は岡田憲治先生だったんですけれども、まだまだ全然分からないことだらけなので勉強していく次第でありますし、でも日本っていうのはとこそこ型で雑居型の村社会、ゲゼルシャフトの中にゲマインシャフトがあるっていう、よくわからないと思ってるので、社会人3年経験して。っていうことが僕としてのコメントとして残させていただきます、ありがとうございました。

(山尾)
ありがとうございます。忙しすぎてね、考える時間もっとほしいと。
今日申し込んでくださった方のコメントを見ても、「仕事があるんで参加できるか今のところ五分五分ですが申し込みだけは」とか、後は「小学校の登校の見守りを終えて駆けつけますので滑り込みとなるかも」とか、やっぱりこの、本当に多忙な中ででもこういう議論の場になんとか参加するんだって言う、こういう声がいっぱい詰まっていて、すごくなんか、身につまされる指摘だったと思うんですけど、先生なんかコメントあればお願いします

(山本)
ある日おっしゃる通りというか、そこが重要な問題だろうと。おそらく近代以降というのは、そのバランスをどう取るのかと、つまりその忙しさの中で、しかし公共的なことを考えなきゃいけない。この両者のバランスをどう取るのかといった時に、おそらくこのタック、リチャード・タックっていうのは、ある時期に例外的に、公共のことを考えましょう、そこのポイントをいわば限定したんだろうっていうふうに思うんですね。

ですから、それ以外のときにじゃあ政治のこと考えなくていいかというと、必ずしもそうではないけれども、決定者ではなくて監視、どちらかというと監視するというような役割ですよね、ですからその私自身はそういう意味では、この憲法時期っていうのかな、その憲法的な時期と通常の政治期というものは区別することによって、政治に集中しなければいけない期間というものを、いわば限定的に捉える。常になんとなく政治を考えて、なんとなくて語弊があるかもしれませんけれども、政治を見守るということは必要かもしれませんけれども、まさに決定者として、責任を持って決定するという場面は、なるべくその負担は減らした方がいいよというふうに思っています。
今お話があったように、それをどういうふうに制度化していくかということは重要だと思っています。

例えば一つ考え方として、その陪審制、今日本で言うと裁判員制度ですけれども、そういった仕組みがありますよね。まあそういう場合、裁判員に加わった場合には、当然企業側も一定の配慮が必要になってくると。

例えば各地方公共団体で、かつての constitutional convention (憲法制定会議)のようなですね、憲法会議のようなものを、陪審制とか裁判員制に近い形で実施していくということによって、ちょっと仕事を置いといて、何人かの人たちが代表者として憲法のことを考えて知識を積み上げていくというようなことも、制度的には考えられるかもしれないわけですね。

ですからそこはどう制度をつくるのかということだろうと思います。通常政治と同じような流れで憲法政治をやると、結局忙しさの中で大事な基本法の決定をしなければいけませんから、その点をそれこそそれは、代表民主制の中で決めなければいけない、それこそ今の、責任を持って政治家の方が、どういうふうに constitutional moment というかですね、時期というものを、しっかりですね、守るかということも重要だというふうに、重要な課題だと思います。ありがとうございます。

(山尾)
ありがとうございました。岡田先生にもぜひこの場でお待ちしてますとお伝えください。ありがとうございました。
先ほどから手をあげていただいて、順番に参りますね、お願いします。

(質問者)
フリーランスの坂本ですけれども、まず民主党さんがですね、この憲法改正について議論に乗るという、政治の中で議論に乗るということの最大のテーマは何かということをお伺いしたいんですけれども。

今日の講題に沿うならば、例えば今いわゆるこの新型コロナの問題で、政府が統治するのにはデータが、国民のデータがたくさんあったほうがいいわけですけれども。例えば中国みたいに、いわゆるデータによってその人の等級分けをする、それから韓国それから台湾みたいにデータですべて、要するにそういう防疫体制を作るということをやってますけども。これは要するに日本ではそういうふうなことにならないですけども、でも政府としてはマイナンバーを普及させることによっていろんなことを紐付けして、データを一括して集めるということによって統治をうまくやっていこうということを考えていると思いますけども。

我々の立場からすると、国民の立場からすると、例えば1つのデータが固定化されてですね、例えば人生の長いうちにおいてはいろんな間違いを犯すこともあるわけですし、それから大きな犯罪でなくても小さなことは、小さなことは起こすことだってあり得る。しかしそれが要するにデータとして固定化されていく。それで、そのデータが固定化されていって、その人の評価になっていくということになっていくと、これは要するに、人生の中で立ち直ったりするとかですね、それから取り返したりするとかですね、そういうことができなくなる。

我々の国民の側からしてそのデータにアクセスしてそのデータの中身を見ることができるんだったらいいんですけど、それから要するにそれを書き変える権利があるんだったらいいですけれども、それからそれに申し立てする権利があるんだったらいいですけども、それを要するに憲法上どういうふうに保証するのか。憲法の条文に何か謳うのか、それとも法律で、いわゆるプライバシー権とか、それから情報の保護とかそういうことにするのか。

それからこういうデータがですね、国によって管理している間はいいですけども、それはほとんど、要するに民間の下請けにデータが全部入ってるわけですから、そこからデータが漏れるということがあるわけで、それを要するに我々は心配するわけで、だからこそマイナンバーを信頼できないということになるわけですから。

だからそれを要するに、どういうふうに保証するのか。また民主党さんが政権をとった場合には、こういうことに対してはどういう考えで、方針で臨むのかということを伺いたいと思います。

(山尾)
ありがとうございます。すごく重要なご指摘だと思っていて、またそこでちょっと私思うのは、やはり今日プラットフォームが、やっぱり新しい統治者、ニューガバナーなんじゃないかという指摘もあって。

山本先生にもお伺いしたいんですけど、そういったプラットフォームに対して、今ブラックボックスという懸念もありましたが、そういう取引の透明性の向上のような、一定の責任を課していくだとか、あるいは遺伝的な属性という話も出てまして、こういうもので差別されないというようなことを14条などに入れていくだとか、あるいはそういった人の内心・思想や良心の自由っていうのがありますけれども、それを作っていく、形成過程においても自律的であることをデータ社会の中で保証していくだとか、様々考えられることがあるような気がします。

山本先生にお伺いをし、玉木さんにも国民民主党としてどう考えてますかっていう問いかけもあったと思いますので、渡していきたいというふうに思います。

(山本)
ありがとうございます。
私が答えるべきかどうかあれなんですけれども、今のご質問、重要な点だろうというふうに私は思っています。

今回のコロナ対策としての公衆衛生で、やっぱりプラットフォームの役割というのは非常にクローズアップされたんだろうというふうに思います。日本の国内のプラットフォームも、厚生労働省に対して匿名化された形だというふうに思いますけれども、そのデータを国に提供するということがあったりしたと。
あとはいわゆる接触確認アプリのココアですけれども、これについてはgoogleとappleのapiを使うということで、プラットフォームの連携というのがいわば不可避になってきている状況だというふうに思っています。
先ほどお話をしたプラットフォームというのは、国以上に我々の一挙手一投足に関するデータを持っているということもあるわけで、これは公衆衛生上使わない手はないんだろうと。

ただ結局重要なのは、両者の関係性、つまり国家とプラットフォームとのデータの連携ですね、連携の仕方をどういうふうにこれを透明化し、それをチェック、統制できるかどうかだと思います。ですからなお私自身は、今の連携の状況というのはプラットフォームによってなかなかその対応の違いもありますけれども、実際にどういう連携になっているのかとか、じゃあどの、どういったデータがどういう形でやりとりされているのかというのがなお不透明なところがある。そこはやはりしっかりですね可視化してこれを民主的にチェックできるような仕組みが必要なのではないかなというふうに考えているところです。

いずれにせよプラットフォームっていうのは、先ほど申しました通り両義的な存在だと思うんですね、私自身は。つまりそのやっぱり、我々の生活を非常に便利にしたり、今まで叶わなかったことが叶ってくるという意味では、ポジティブに評価しなきゃいけない部分もある。と同時にどういうふうに国との関係を捉えていくのかということが非常に重要なテーマになるのかなというふうに思っているというところです。

ちょっと抽象的な答えで申し訳ないのですが、また何かあればお答えしますけれども、私からはさしあたり以上です。

(玉木)
私も非常に大事なご指摘をいただいたと思っています。
その意味でもですね、自らに関するデータの自己決定権というのが非常に大事だと思っていて、正しく、例えばね、これ確か過去判例もあったと思いますけれども、予測変換で過去逮捕されたことがあったりとか、軽犯罪犯した人があって、例えばですね私は立ち小便で捕まりましたと。玉木雄一郎って検索したらその後必ず立ち小便て出るとか、ということがあるんですね、今既に。で、そこを削除する、つまり忘れられる権利とか、過去の自分に対して不利益なことを表示させない権利といったことも含めてですね、そこをまさに憲法上も含めて議論を私今後していく必要があるのかなと。そういったことを含めた広いデータに関する自己決定権ということを権利としてきちんと位置付ける必要が、このDXの時代にあるんじゃないかという問題点が一つ。

あとはですね、仮にいろいろな権利侵害が行われたときにそれを救済するような専門組織ですね、デジタル庁って言ってなんか調達を一元化するということよりも、そういったその、権利が侵害されたときに、それをきちんと回復していく中立的専門組織みたいなものもですね、やっぱり作っていかないと、なかなか権利が守られないのではないか。

かつてはプライバシー庁と言ってですね、情報が漏れるか漏れないかという観点でそれを守ろうということだったんですが、今はもう漏れる漏れないの話じゃなくて、その事故に関するデータをどう自らが自己決定し、仮に意に反したことがあったらその権利が侵害されたことに対して救済ができる仕組み、こういったこともセットで考えていく必要があるのかなと思ってます。ただ、我々としてまだ具体的な組織とか考え方を整理しきっていないので、まさに今いただいたご質問を踏まえてですね、これから党内でも、しっかりと党内で議論を積み重ねていきたいと思っています。

(山尾)
ありがとうございました。
手を上げていただいてましたね、はいどうぞお願いします。

(質問者)
まだ私もあんまり整理が頭の中でできてないんですけども、データって一般にいう時に、それが本当に完全に個人に所属するデータ、マイナンバー的なそういうデータと、後データがある種の人格みたいなものを持ってプログラムされて、それが知的財産になったりとか、いろんなそういうものがあったりするものがあると思うんですけど、主にそうやって、ちょっと人格化したようなデータが個人にコミットしてくる場合のデータと、あと権利とか人権とかいう時に、個人に所属していくデータの方が主にこれから問題になっていくと思われるし。

実際に今デジタル庁でデジタル化を進めるみたいに政府がなっているときに、あまりデジタルなデータの、今のマイナンバーの構造自体もよくわかってないような状態で、例えば文科省が学習履歴をマイナンバーにひも付けをしたいと言ってみたりとか、それってもう書き換えができないかもしれないかもしれない問題ですよね。

もうこれ完全にこれ人権の侵害しそうな件ですよね。そんなのマイナンバーに紐付けする必要なんか全くなさそうなのに、なんかそんなことを紐付けしちゃおうとか考えてしまうこと自体がちょっと問題なんじゃないかと思うんですけど。

で今のもうすでに走っているマイナンバーにしても何にしても、その機構が妥当かどうかっていうのもちょっとわからない。どういうふうになっているのか、とにかくシステムが、ちょっと問題がありそうだっていうのは、すごく硬直的で、自治体にデータを接する端末がありながらも、自治体がそのデータをデジタルに参照できないという問題があったりしましたよね、給付金の時に。

それで呆れたんですけど、私が住んでいる区なんかは、オンラインで申請できたけど結局その突合を人海戦術でしなくちゃいけなくてみたいな、何か月もかかると、そういうことがあったりして、単にデジタル庁を作れば何とかなるという問題でもなさそうだし、それがもう本当に憲法問題として、人権を侵害しそうなことになって走り出しているのに、それが憲法問題の遡上として今上がってないっていうのが、今これからだから上げていくということだと思うんですけど、本当にすごく危機感を覚えているんです。ちょっとすいません。

(山尾)
ありがとうございます。私たちも本当に、遅いけど遅すぎることはないと思ってこういう場をスタートさせて、それこそデータの取り扱いに対する政府への信頼がないと健全なデジタル社会そのものが生まれないということもおっしゃっていただいているのかなと思いましたけれども、山本先生コメントあればお願いします。

(山本)
ありがとうございます。私自身はマイナンバー制度あるいはマイナンバーカードの利用についても反対というわけではないんです。やっぱりその何かこう、漠然と政府がデータを持つということに対することに対してそれを悪だというような考え方ではなくて、やっぱりもう少しきめの細かい議論が今後は必要になってくるだろうと、まずは思っています。

先ほどのお話の中で2つ申し上げたいことがあって、一つはデータの種類のお話をされていたというふうに、私は伺っていました。

おっしゃるように、個人がイニシアチブを持つ情報っていうものと、その個人のデータが個人特定の個人と紐づかないようなデータ、まあ例えば匿名化されたデータですとか、そういったものがあるわけですね。あるいはそのマシンデータみたいな、機械の動きと紐付いているようなデータというのは、個人のプライバシーからかなり遠いところにあるそういうデータだろうと思います。

ですから、データの種類というものを、やっぱりそこもしっかり見分けていく、私は個人の世界と集合の世界というのを分けていて、個人の世界というのはこれは、個人いわゆる個人情報含む、個人に戻っていくデータですね。それから個人の世界のデータというのはやっぱり個人の自己決定というものが適用されるような、そういうデータの領域だろうと思います。

他方で、その匿名化されたそのデータが誰のものか分からない、非常に抽象化された統計的な匿名化されたようなデータ、集合の世界のデータというのは、自己決定の論理というのが及ぶわけではなくて、むしろセキュリティの論理が及ぶんだろうと。つまりそこは徹底的にセキュリティを重視しつつ使い倒していくというんですか、データを使い倒していく世界。実は日本の場合に行くその両者の世界の区分けというのが十分にできていなかったと。

なんでもかんでも個人情報だということで、個人の権利性を及ぼすということになると、やっぱりどうしてもデータ使えなくなってくるので、まず一回その世界を切り分けて、個人がしっかり決定権を持つ領域とそうでない領域を、まず切り分けた上で、そこの世界に混濁がないような仕組みをどうつくって、ファイアウォールをその世界と世界を跨ぐ、跨ぐじゃ逆ですね、つまりそこを切り分けるウォールというものをどういう風に作るのかというのが、今後のDXの世界の鍵だろうというふうに思っています。

もう1つはさっきの学習データに関して、前のご質問とも関連しますけれど、やっぱり若気の至りというのはあるわけですし、こういうデータというのは忘れてほしい、消したいということがある。憲法上の、さっき玉木さんがおっしゃっていただいたように、更生を妨げられない権利・利益というのが判例上認められています。

これは一種人生を新たにやり直す、再創造する自由というのが、これは憲法13条の考え方というか原理に基づいて、判例上、「ノンフィクション逆転判決」という判決ですけれども、更生を妨げられない利益というのが書いています。これは繰り返しになりますけど、人生まさにやり直すってことだろうと。

そういう意味では、学習データもまさに小さい時からですね、積み上がってきたものを司法に対して、やっぱりこれは忘れてほしい、あるいはそのデータが及ぼす影響力をもう少し下げて欲しいとか、そういうものについて、個人がそれを把握し、それについて一定の影響力を個人が持てるような仕組みというのが重要だろうというふうに思います。

ただこのあたり本当に仕組みの問題なので、そこも本当にきめ細かく議論しなきゃいけないと思うんですけれども、現状において個人が努力と言うんですかね、そういったものはきっちり反映された教育の仕組みになっているのかとか、あるいは入試の仕組みになってるのかとか、採用の仕組みになっているのか、というところで行くと、やっぱりデータは適切に取っておくということも、場合によっては、その人の努力が正当に反映されることになってくる。

そういう意味で、結局本人がどこまで関与、そのデータのストアーというか、データをストックした者に対して関与し、それについて一定の影響力を及ぼすか、ということが、むしろ鍵になる可能性もあると思います。
ですから、そういった方向でのユーザーフレンドリーというかですかね、個人フレンドリーなユーザーインターフェイスというか仕組みをですね、デザイン、どうデザインしていけるのかという観点も重要になってくるのかなというふうに思っています。

(山尾)
ありがとうございます。大事な点ですよね、ほんとに。
どうでしょう、皆さんの方から。じゃあ順番に参りますね、はいどうぞ、今手をあげて後順番に行きます。ちょっとお待ち下さい、はいどうぞ。

(質問者)
憲法の話をした場合、法律じゃなくて憲法に書くっていう話というのが、私の理解では通常の民主的プロセスでは一回壊れてしまったらなかなか戻せないものというのは、おそらく憲法に書かなければいけないんじゃないかなというふうに思っていて、例えば表現の自由みたいなものは一般にそう言われると思うんですけれども。

例えば今回上げていただいたような、思想良心の形成過程みたいなものがコントロールされてしまうと。特定の思想に誘導されてしまうというような事っていうのは、もし1回実現されてしまうとそれを是正するのは極めて難しいということになってしまうので、どうしても憲法に書かないといけない のかなと。

あるいは選挙みたいなものが完全にコントロールされてしまうと、それ自体が民主的プロセスの革新なので、もう二度と是正できないということになってしまうのかなと思うので、法律に書けば済むものは法律に書けばいいと思うんですけど、とはいえ今のような点はどうしても憲法で書かなきゃいけないんじゃないかなと私は理解しているんですが。そのあたりについて山本先生のご意見いただけますでしょうか。

(山尾)
憲法と法律の区分けっていつもモヤモヤしますけど、どうでしょうか山本先生。


(山本)
ご質問ありがとうございます。その通りだと思います。

要するに単純な多数決の世界で決めてはいけないことというのを、どういうふうに括り出して憲法の中に制度化しておくかということになると思うので、まさにそういう、その何ていうんでしょう、民主制そのものにかかわるようなものですね、多数決、単純な多数決で決めてはいけないというものについては、あるいはそれが脅かされるリスクあるものについては、憲法でしっかり普遍マークを作っていくということは重要だと思います。ですので、その点異論がないです。

(山尾)
ありがとうございます。あと手あげていただいてましたよね、はいじゃあ順番に参ります。どうぞ、そのあと斜め後ろの方に行きますね。

(質問者)
本日はどうもありがとうございました。久々に頭を使って学んだなと思いました。

先ほど憲法の余白を埋めるという言い方を、おっしゃり方をされてまして、その余白を埋めるのが、なんというんでしょう、非常に理想的な統治者であれば理想的に埋まるというお話をされていたかと思うんですけども、ここ最近ずっと起こっている問題などを見ていますとですね、いわゆるその、余白の埋め方がそれぞれみんなてんでバラバラに都合、自分にいいように埋めているな、っていうのを一市民から見ていると感じるんですね。

何が正しいのか正しくないのかっていうことに関していうと、もちろんそれぞれのお立場の中で考えられていることがあると思うんですけれども、いわゆる憲法裁判所みたいな、そういったこの余白を一元的に埋めてもらえるような、埋めるような考え方、そういう組織っていうもの、そういうものを例えば作った方がいいんじゃないかなというふうに私は考えているんですけれども、まあ国民民主党としてはどんなふうに考えていらっしゃるのかっていうこと。

あと付け加えて言うのであれば、その何ていうんでしょう、余白を埋めるにしてもですね、当然人が介在するわけなんですが、そこにうまいこと今先生がおっしゃっていただいたようなプラットフォームを活用してですね、つなげていくことによって、ただのpast dataだけではなくて、今現在のデータ、生きたデータというものを導入していけるのかななんていう風に考えたりもしているんですけれども、そのあたりっていかがでしょうか。

(山尾)
ありがとうございます。ちょっとだけ申し上げると、今日山本先生からやっぱり、規律密度高めて、不文の部分は一定程度明確化していこうというようなお話もあったと思いますけれども、私はおっしゃるとおり、それに合わせて、じゃあその高くなった、規律密度が高くなったその法文と政府の振る舞いが合っているのか合ってないのかっていうことをやはりきちっと判断する、いわゆる憲法裁判所っていう議論はセットで必要なんじゃないのかなというふうに考えてはいます。
玉木さんなんとはこの点どうですか。

(玉木)
まさにそこが非常に重要な議論で、日本の場合は違憲の判断っていうのは個別の裁判で付属的にしか判断されないので、例えば今問題になっているような日本学術会議の6名を任命しないことが、憲法に規定する学問の自由にに反するのか反しないのかというのはですね、にわかには判断が出ないので、違憲の疑いがあるんだないんだっていう延々の議論が国会で続くということになるんですけれども。

こういったものについて判断ができるような枠組みっていうのはですね、私もあってもいいのかなと思いますし、そういったことをしっかり、まさに憲法上で定めていくという議論は、しっかりとした「国民が統治をしていく」という観点からですね、非常に大事ではないのかなと。

日本の場合は非常に、司法がある種消極的にですね、なかなか行政のやることを尊重してですね、判断を下さないという、そういう慣習もあるので、そういった憲法上ないということと合わせ、様々な慣習も相まってですね、行政権の裁量だけがやたらめったら強い三権分立になっている。そこはもう少し統治の枠組みをしっかりとですね、チェックアンドバランスが働くような仕組みに変えていく必要があるのではないかなと思っています。

(山尾)
今日高井議員が来てるんですけれども、高井さんは臨時国会を政府が開かないということで、原告になって訴訟されてましたよね。これ本当だったら別に一議員が原告にならなくても、それはやっぱり違憲でしょうということで、全体の利益の中で裁判できるべきだというふうに、私なんか思って。でもそれが今できないので、今の裁判体系では。
でまあ原告になって、お金を求めないと訴訟も立てられないから、「お金のためにやってるのか」なんて謂れのないご意見も受けたと聞いてましたけど。その点当事者としてどんなことお考えになりましたか。

(高井)
今日は無所属で参加させていただいてます高井です。ありがとうございます。こういうね、国民民主党の憲法調査会に無所属でも、一般の方でも参加できるって本当に素晴らしいことだなぁと思って聴いておりました。
今の話はですね、私原告になって、憲法53条で衆参の1/4の議員が国会、臨時国会を召集すればですね、召集しなきゃいけないという規定があるにもかかわらず、ずっと開かれないといったことに対して私は裁判をしたんですけど。ただ今の制度でですね、憲法裁判所みたいのがないとですね、結局私が精神的な被害を被ったと、国会で質問ができなかったと、しかもなんか100万円、それで賠償金をみたいな具体的な金額を出さないと裁判できないと言われて、しょうがないから100万円で訴訟しているんですけど、そうすると皆さんから「お前100万円のためにやってるのか」なんて事をですね怒られたりしています。

今ですね、まだ裁判中なんですけれども、国ですね、まったくそういったことに対してはもう国はというか、裁判所もですね、もう判断できないと。統治行為論というですね、高度に政治的なことは裁判所は判断しないみたいなことになりそうなんですけれども、これではですね、憲法53条にはっきり「臨時国会を召集しなければならない」と書いてるのに、それすらですね、違憲だ合憲だっていうのが半分判断できないとすれば、もう裁判所には全く違憲審査権というのはないというように等しいことだと思いますので、そういう意味では、今のこういった裁判所が続くようであればですね、私は憲法審、憲法裁判所というのは必要だと思います。

(山尾)
ありがとうございます。せっかく当事者でやっていただいてたので、皆さんとシェアと思いました。
どうでしょう他にも手が上がってました、もし一度いったん手を上げていただいていいですか。順番に、ちょっと一問一答ではなくて、少しまとめてお伺いをしていきたいと思います。今手をあげていただいた方だいたい記憶しましたので、順番に、前のお三方から聞きましょうか。すいませんあとこちらとこちらも。

(質問者)
憲法改正の、憲法制定権力が国民主権だみたいな話が最初にあったわけですけども、自民党がまた「憲法改正しよう、4項目まとめよう」みたいな話があるわけですが、広告規制がちゃんとされてない状況で、先ほど先生のおっしゃっていたような、AIを活用されて、憲法改正運動のところにいろいろ介入されてきた時に、いろいろと不都合が起きるんじゃないかなというふうにお聞きしながら考えていたんですが、先生としては広告規制についてどうあるべきとお考えなのかということと、国民民主党としては広告規制についてどういうふうに今後主張していくのか。

ついでになんですけれども、こういう憲法調査会みたいな形で憲法論議をしていくと相手の投票に乗るのかみたいなことを言われたりすることもあるかと思うので、例えばなんですけどもその例えば「憲法とAI」みたいなことをちゃんと憲法改正でやりましょうよという風に、国民民主党として例えば言いましたと。じゃあ自民党が「4項目のここを飲んでくれたらそれも議論に上げていいよ」みたいなことを言われたら取引しちゃうんですかということを伺えたらなと思いました。

(質問者)
日は貴重な機会をありがとうございます。
私自身小さい会社を経営させていただいておりまして、憲法というところでは非常に難しいところなので、私自身非常に勉強不足だなと思っているんですけれども、会社を経営していくうえで、会社としてどういうところを目指していくのか、その目指していくものが、いわゆるビジョンというふうに言ったりします。

ビジョンを達成する上で、基本理念としていわゆる経営理念というものを定めてですね、経営理念のもとにビジョンを目指していく。そしてビジョンを目指す為にやり方として、計画であったりですね、在り方に照らしたやり方が合ってるのかどうかっていうのを、非常に考える機会がよくあります。
その上で国として考えたときにですね、憲法というのはいわゆる理念、国としての理念におそらく当たるだろう。その上で国がどういう姿を目指していくのかっていうところが、ビジョン。

で計画っていうところで、場合によってはそこに法律というものが入ってくるのかもしれないんですけれども、私の理解ではそのような理解をさせていただいているという点があります。そこが考え方として合っているのかというのを一つ質問とさせていただきたいんですけれども。

様々、その政治の場面で起こっているものを見るとですね、果たしでその理念であったりも目指すものがあって、そこを目指しているから例えば消費税減税してみましょうとか、デジタル化を進めてみましょうというふうに目指しているのかどうかというのがどうも見づらい。

やはり国としてどういう未来を目指していくのかというのは非常に重要だと思っていて、憲法議論もそうですけれども、そこがない中で議論をしてもあまり意味ないんじゃないかなっていうのが個人的な意見としてあるんですけれども、なかなか理念を見せてくださいというのは難しいところですが、ご意見をお伺いしたいと思います。以上です。

(山尾)
ありがとうございます。合わせて先ほどのお二人にもお聞かせいただいて、でこちらで受け止めさせてもらいたいなと思っています。すいません。時間もあっという間で2時間長いかなと思ったけど、お願いします。

(質問者)
慶応大学で情報メディアデザインアーキテクチャーの研究をしています。
今国民的議論という言葉が色んな分野で挙げられますが、実は国民的議論する方法がないんじゃないかと見ています。つまり新聞の購読者はどんどん落ち、テレビの視聴者もどんどん落ち、snsのアーキテクチャーは先ほど仰られた通り、何か人間かどうかが分からないプログラムがバーンとバズったりします。なおかつ、いわゆる世論調査ってものは知らなくても答えられるというのは、性質的弱点としてあります。そうするとバラバラの状態でいろんな見たい情報だけ見てアウトプットができるっていう状態になってまして、実は憲法を考えるうえでも政策を考えるうえでも、国民的議論ができない状態ではないかという風に見ています。

でそういう時に、どうしたら理性的に熟慮をして、正しい意思決定、主張が、意思表示ができるだろうかというところから考えておかないとですね、今の、元々番組とかも作ってましたけど、メディア環境ですと全然、色んなものが機能不全に陥っている可能性が高い、多分陥っている、っていうところから議論していかないとまずいんじゃないかなと思いまして、皆様の考えをお聞きたいと思いました。

(質問者)
山本先生と、あとできればそうですね政治家の先生にお伺いしたいのが、今日ご議論されているこの個人のデータであるとかに関する人権が、将来いつの日か日本でも憲法上の権利として明記をされて、で法、立法としてもきちんと法律ができたと。そのときに法の実践というか、適用のプロセスでfacebookとかgoogleをそれに従わすのはどうやるのか。

つまり要は今僕が自分のノートパソコンでfacebookのページを開いても、それを運用しているのがfacebookの言い分によると、facebookのアイルランド法人なわけですよ。フェイスブックはアメリカにも本社があって、カナダとアメリカの周辺についてはアメリカ本社が管轄して、それ以外の世界のfacebookユーザーはこの国際本社を置いているアイルランド法人が管轄している。これはフェイスブック・グーグル・アップルは確か同じような構造で、アメリカ法人とアイルランド法人で、なんでアイルランドっていうかっていうと、いわゆるタックスヘイブンで税金が安いからそこにおいているわけで、それがあるからEUはかなり、GDPRにしても、GAFAに対して強気に出られるわけですけど。

日本で、例えばfacebook日本法人はありますけど、あそこは広告売ってるだけだという風な言い分でそのプラットフォームの運用に餌にノータッチなんだと言ってるから、例えば日本人の日本のfacebookユーザーが、facebookから自分の人権が侵害されたと訴える。東京地裁にfacebook日本法人を訴えても意味がないわけですよ。

でじゃあアメリカ法人を訴えるのかアイルランドを訴えるのかで、そうすると日本語で訴状を出すのと別に全部英語に翻訳した訴状をこっちで作って奴らを引っ張り出さなきゃいけないわけだけど、それ本当に、そうすると原告側にとてつもない負担がかかって、自主的な権利保障ができないんじゃないかとか。

そのあたりのあまりに将来のこと過ぎて実務的なことすぎるんですけど、どうやってこういった権利が侵害されたときにプラットフォームを引っ張り出すのかというところを、どういったお考えでいらっしゃるのかというのをお伺いできればと思います。

(山尾)
ありがとうございます。どれも短くコメントで終わらせられないぐらいとっても重要な話だったんですけれども、えっとどうしましょう、今5人の方ありましたので、先生から受け止められるところでコメントをいただきまして、あと政治的な話もあったかと思いますので、玉木議員の方にコメントをもらいたいと思います。

(山本)
ありがとうございます。本当にいずれも重要であり、まさにしっかり詰めていかなきゃいけない論点だというふうに思います。時間の関係で本当に一言ずつということになるので、その点はちょっと申し訳ありません。

一つ目の政治広告のことについてですけれども、やはり私自身は何らかの規律が必要だというふうに思っています。なんて言うんでしょうね、従来の公職選挙法の中でもやっぱりその選挙のフェアネス、選挙の公正というのはかなり意識されてきているわけですよね、そういう意味で選挙の公正というものがどうあるべきなのかということから、マイクロターゲティングの、例えば政治広告であるとか、戸別訪問って、昔公職選挙法上の規制されているものがありますけど、個別にこう働きかけるというんですかね、そういうものは情実に流されやすくなるとかって、そういうその選挙の公正が妨げられるという理由で個別訪問というのは規制、日本の場合されているわけですけれども。

要はマイクロターゲティングでまさにその個別の心理に働きかけるという意味では、従来の論拠とものを、ある意味で応用した形での、規律根拠というものを探ることができるのではないかなという印象は持っております。

2番目のわかりやすく文章、ユーザーインターフェースとしてはOSだとすると、インターフェイスが十分じゃないのではないかと。非常に私も感銘を受けたというか、なるほどなというふうに感じました。

ただこれについてはですね、おっしゃることは非常によくわかるわけですけれども、やっぱり行間というのはやっぱりある程度必要になってくるんだろうと。すべてカチッとこう、決めるということは基本法としては非常に難しいところもある。

そういう意味ではどの程度行間を残していくのかということ自体が、非常に重要な憲法論になってくる。何を憲法事項として書くのかということについては、これは本当に重要な憲法問題だという風に私自身思っています。だからプログラマーという、主権者というのは憲法というOSのプログラマーだという言い方をしましたけれども、やっぱりプログラマーという風に言っても、そのある意味OSとしてコードを書くのは誰かというと、そこにある種の専門家を挟まなきゃいけなかったりする。

だからそういう意味では、プログラマーというのはOSとの間に何かしらの、専門性を持った何かしらの代表者が必要になってくるかもしれません。その辺はもう少し。私は比喩として使いながらも、もう少し議論しなきゃいけないなぁと感じたところです。非常に勉強になりました。

3番目は司法のあり方というところで、私自身も司法のあり方についてはある種の構造的問題があるのかなというふうに思っています。特に日本の場合に、最高裁の裁判官の任命というのは、これやっぱり排他的に内閣が持っている。

もちろん最高裁の長官に関しては、天皇が形式的には任命することになってますけれども、基本的には最高裁判所の裁判官というのは内閣が決められるということに、少なくとも文章としてはなっているように思うんですね。それについてもやっぱり最高裁判所の多様性というものを確保していくという観点から、やっぱり排他的に内閣が持っているということについても、実はしっかり議論しなきゃいけない。

他の国だと、憲法裁判所とか任命というのは各院が持っていたりする。ドイツの場合はそうですけれども、複数の任命権者がいて、そこがまさに競合的になるということがあり得るわけで、それによって最高裁判所に、司法に、憲法裁判所とかに多様性を吹き込むということがあり得るわけで、そのあたりもやはり根源的に議論しなきゃいけない問題があるんだろうと思います。

あとはそのビジョンの問題というのは、おっしゃる通り、基本的にはおっしゃる通りだろうと思いますが、どれくらいの具体性を持って書き込むかというのは非常にこれは難しい問題だなと。

やっぱりその今のある種の分断状況という中で、そこまで具体的なビジョンを共有しそれを憲法中に書き込むことができるかという事は、やはり非常にこれは難しい問題だなぁと。むしろ私自身はそのプロセスですね、統治のガバナンスの仕組みというものを、まずやっぱり手を付けていかないといけないなと。

いきなり理念から始めると、もちろん重要なところではあって、両輪で進めなきゃいけないわけですけど。その理念をどういうふうに語るのかという、このプロセスをまず整備していくということが、まずは重要かなというふうに思っているというところです。

次のその国民的議論ができないという仰るところ全くその通りというか、そういう問題状況が、こういうAIの話で大事だよねと、一部の人は思っていてもなかなか国民的議論までいかないということが、先ほどフィルターバブルとかいろいろな問題と絡んでるのではないかということ、おっしゃる通りかなと思います。

ですからこれはプラットフォームのある意味でのパブリックな側面というのがあり得て、プラットフォームがやっぱりそういう、国民的な議論が必要なものについて、やはりそのある意味プロファイルを解いて、それについては、なんて言うんでしょうね、きっちり知らせると。毎回だと、これビジネスベースで考えるとなかなか、毎回公共的なことを考えましょうと言うとユーザーは逃げてしまうので、まさにそれはタイミングとかですね、いろいろあると思うんですけれども。

アメリカのスマートニュースなんかではpoliticalバランスアルゴリズムを入れているので、こちら側の見解をフィードしたら別の見解を入れるという、そういうバランスをとるアルゴリズムを開発してるわけですよね。ただそういうアルゴリズムの開発を促していくというような方向で、なるべくその大事なことを共有できるような、そういうアルゴリズムなりプラットフォームというものの構築を促していくような議論の進め方は重要なんじゃないかなと思います。色々この辺は言いたいことありますけれども、時間の関係で。

最後のところのプラットフォームを従わせるというのは、これも非常に重要な論点だと。まさに法律の域外適用の問題とかも含めてこれは本当に考えなきゃいけないと思います。

憲法上、だからこれどういうふうに考えていくのかということもあるんだろうと思いますが、まずはその独禁法上の、まずやっぱりこう議論していくということが重要だろう、つまりプラットフォームも一社になってしまうと、あるいは複数のほんとに寡占状態だと、やっぱりプラットフォームも強くなりすぎてしまうので、国家としてやっぱり言うことを聞かせるために、ある程度競争状態がないといけない。それによってそのプラットフォームに対して物を言うという、これは国家、一つの国家だけじゃなくて、場合によっては国家間の連合によって、プラットフォームに対して一定の、なんて言うんでしょうね、力を持っていくということもあると思います。

ただこのプラットフォームが国家の言いなりになってしまうと、中国のようなことになってしまう。やっぱりある種、国家とプラットフォームの捉え方が戦略的なバランスを取るということが非常に重要で、それをどうデザインしていけるかということは肝になるかなというふうに思っています。以上です。

(玉木)
今日は第1回国民民主党の憲法調査会ということで、こうして最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
皆さんからいただいた意見、本当に建設的で、我々の頭を整理していくように本当に役立ちますので、こういったことをこれからもですね、建設的なやりとりとして継続できればなと、まず皆さんに感謝を申し上げたいと思います。

その上で少し、まとめというわけではないんですが感想を含めて申し上げると、国民投票法案についてはですね、旧の国民民主党から法案を出しておりまして、その中ではいわゆるテレビ広告の規制に加えてネット広告規制をやるべきだということで法律を構成しております。

加えて今の法律にはない「外国人からの寄付規制」ということをですね、合わせて入れているのはですね、国家の基本法である憲法の改正の重要な手続きである国民投票運動に、外国の政府が、もっと言うと外国の資金が影響を与え、そのお金を使ってですね、先ほど山本先生の方からありましたけれども、それで様々なターゲティング広告をされた時にはですね、結果が変わってしまうかもしれないと。

これやっぱ制度上防いでおく必要があるのではないかということで、ネット広告規制および外国人資金規制ということをですね、実現していくべきではないかということで提案をさせていただいております。

あと行間の話ですけれども、ここなかなか書き方は難しいんですが、少なくとも世界で最も少ない条文数・文字数の憲法なので、その余地が非常にあるところがメリットでありデメリットだという話ありましたが、少なくとも私は司法と立法の権限をより強める形で、その行間を埋めていくことが必要なのではないのかなと。

高井さんから提案があった1/4の議員が提案した時に臨時国会開かなきゃいけないというのはですね、例えば20日以内にとかですね、具体的な期限を定めることによって、よりその立法府から行政に対してのコントロールが利くようになると。こういったところはその、よりバランスのとれた三角形というか三権分立を実現するためにも、やっていく方向ではないかなと思っています。

あとビジョン・経営理念、会社と同じように示したらいいのか。私も非常にこれ賛同する考えであって、例えば、まあ憲法は基本的に規範性を持って権力を縛るものであるという側面と同時にですね、ある種の国家目標を定めるような機能もあっていいのではないのかという、今例えば前文がそういった機能を果たしているのかなと思いますが、例えば前文ではなくて序文とか序章とかを付け加えて、そこに例えばね、世界平和とか今一番大切なのは持続可能性、この環境の問題ですよね国境を越える問題、こういったことに我が国はしっかりコミットするんだという大きな目標を書くこともいいし、国家の自立とか地域の自立とか個人の自立とか、その基本的な理念を書き込んでいくこともあっていいのかなと。その中で具体的な法律を定めていくということになると筋が通るのかな、こういったことも党内でしっかり議論していきたいなと思っています。

あと国民的議論がなかなかしにくいというところに関してはその通りだと思っていて、このプラットフォーマーとの付き合いをどうするのかというのは、新しい統治者としての側面があるので、何らかのですね、その義務をプラットフォーマーに私は課してもいいのかなと。

つまりその、フィルターバブルに陥らないような多様な言論を通じたですね、色んな情報に接するということを、ある種熟議が可能な空間を提供する義務のようなものがですね、もし憲法か法律で書けるのであれば、その強大さゆえにですね、持っている責任を、プラットフォーマー側にも負っていただくというのは一つの考えではないのかなというふうにも考えます。

あと最後、facebookとかgoogleどうすんだと。で最近会員からですね、珍しい、非常に興味深い提案が出たのは、やっぱりその大きくなりすぎていて分割する必要があるのではないかと。つまり競争原理の中で、かなり民間主体は統治ができるんですけども、その競争原理ではなかなかですね、正しい価値が提供できないのであれば、分割して競争を促すようにしていくと。そういう競争をどうやって公正なものにしていくかという観点も大事だと思いますし、あとはですね、域外適用をどうするのかとか、いろんなことがある中で、国際的なルールをですね、統一していく。

これがまあ国家の重要な役割かなと。その中でGDPRなんか一つのモデルなんでしょうけれども、やっぱり公正性・透明性・説明責任とフェアネストランスパレンスや説明責任という、このFTAが大事かなと思っておりまして、こういうことの国際的なルールの枠組みをしっかり決めて、むしろ日本が主導していくということがですね、米中の狭間にあってヨーロッパとも協力をしながら、日本が存在感を出せる分野ではないかなと思いますので、こうした憲法上の議論と合わせて、国際的な枠組みづくりに日本が積極的にコミットしていくことが、これから大事なのかなと思っています。

(山尾)
どうもありがとうございました。本当に長い時間お付き合いいただいてありがとうございました。また次回も来たいなというふうに思っていただけたらひとつ成功かなというふうに思ってます。

来週またこの金曜日の10時12時で同じ時間帯です。平成17年に新憲法草案というものを提起してくださっている加藤秀治郎先生にお越しをいただいて、今日はある意味すごく時代の最先端の問題提起でしたけれども、やはり平成17年、まあずいぶん前ですけれども、ちょっと、ちょっと前かな、ですけれども、やっぱりここまで積み上げてきた皆さんがどんな憲法草案を考えてきたのかということもちゃんと踏まえて次に向かっていくということはすごく大事だと思いますし、今日問題提起があった憲法裁判所の問題などもこの草案の中には入っていますので、ぜひお越しいただけたらなというふうに思ってます。

あとはこのすごいアナログなアンケート用紙なんですけれども、ぜひ書いて受付の方に出して頂けたらまた次回何かしらが少しずつでも反映できたらというふうに思っておりますのでどうぞよろしくお願いします。
今日は法制局の皆さんにもお越しをいただいてありがとうございました。新憲法草案に向けて、引き続きよろしくお願いします。何よりも今日お越しいただいた皆さん、そして山本先生本当にありがとうございました。

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本アーカイブ記事を作成するにあたり、kuro様のnote記事を一部参考にさせていただきました。憲政史上初の国政政党によるフルオープンの憲法調査会での議論をインターネット上にアーカイブしていく試み。一緒に取り組んでくださる仲間を募集しています!

第2回以降のアーカイブも準備中ですのでお待ちください!