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【窓際社員×在宅勤務】実質週休5日、超ホワイトな職場を3年半で辞めた理由

初めまして、yamanoteと申します。私は1995年生まれの26歳男性。タイトルにもある通り、2019年に新卒入社した東証一部上場の大手日系メーカーを3年半で退職いたしました(正確には2022年9月末で退社)。
20代にして窓際社員のポジションを確保。仕事も少なく、休みも取り放題で本当にホワイトな職場でしたが、なぜ退職したのか順を追ってお話しいたします。

目次

  1. 入社〜窓際社員になるまで

  2. 窓際×在宅の超ホワイトライフ

  3. 募る不安

入社〜窓際社員になるまで

結論から言うと、私は営業職が全く向いていませんでした。2019年に新卒で大手メーカーに運良く就職できました。しかし、職種は営業。私、対人スキルは全くなく、大学の飲み会では2時間誰とも会話せず過ごせるほど人見知りなので、自他共に「なんで営業になったの?」と疑問に感じるくらいでした。しかし、能力も明確な人生目標もない大学生時代の私(文系)が大手企業に滑り込むには、営業職しかありませんでした。。(泣)

そんなこんなで新人研修を終えた私は、2019年の7月に営業部に配属されました。ところが、私が配属された営業部は、売上のほとんどを大手顧客から上げる構造だったので、新人で右も左もわからない私は飛び込みや電話を使った新規開拓営業しかすることはありません。当然、見ず知らずの人とする会話なんて人見知りの私にとってストレスでしかないです。「飛び込み行ってきます!」と会社を出て、向かう先は安いチェーンの喫茶店。『どうせ行ったところで受注なんてできないし、そもそも知らない営業が飛び込みで来たらお客さんだって嫌でしょ!?』とサボりにサボってました。

同期が初セールスを達成して行く中、なんの実績もなく1年目が終わりました。そして、2020年4月。新型コロナウイルスの流行(第1波)によって、日本中が自粛ムード。うちの会社も止むを得ない場合を除き、原則在宅勤務になりました。さて、私はというと、当然ですが担当顧客がいないので、やることがありません。暇…。1年目は、サボりながらも多少は新規顧客へのアプローチを行い、上長を伴ってのプレゼンも経験したのですが、在宅期間中はあまりにやることがなく、完全に営業のモチベーションがなくなりました

そして、下がり切ったモチベーションは第1波が過ぎ去った夏になっても上がらず、2年目も受注なし、売上なしという惨憺たる結果に終わりました。。この時点で、私もさすがに続けられない、営業部に迷惑をかけられないという思いから上長に退職を申し出ました。ただ、転職先も決まっていない私を心配してくれ(本当に感謝しています)、話し合いの結果、退職はせず、営業サポートという形で営業部に引き続き所属することになりました

これには理由があり、私は大学時代に映像制作の活動をしていたのですが、その話を先輩にしたところ、コロナの影響でオンライン開催になった会社の展示会の映像制作を手伝うことになりました。これが意外と好評で、何度か他の先輩の仕事も映像を使って手伝うことがあり、「今後は映像を使って色々やっていこう」ということで上長から提案をいただいたのでした。私も、『せっかく自分の能力が活かせる場を用意していただいたのだから、一生懸命頑張ろう』と意気込み、気持ち新たに3年目を迎えました。これが、窓際社員への道を突き進むきっかけになりました。

2021年、3年目の4月。私はサポート職になり、心機一転会社に向かいました。営業ではなくなったので参加しなくてもいい会議が増え、時間を有意義に使えます。さて、仕事するぞ!しかし、仕事はありませんでした。。(泣)

というのも、2年目の途中では先輩のお客様のところへ同行し、インタビューや機器の導入事例の動画を撮影、制作したりもしたのですが、そのようなイレギュラーな案件はそうそうありません。なので、数ヶ月に1回程度、先輩からお声がけいただくまでは基本的に社内の事務作業や資料作成などのサポートを行います。

そして、数あるサポートの中でも最も多くの時間を割いたのがDM(ダイレクトメール)作成です。最近ではDMというとSNS内のメール機能のことを指すことが多いですが、私が作っていたのは家のポストに入っていて、ろくに確認もせず捨てる"あれ"です。先ほども申し上げた通り、我々の部署の若手は基本的に新規開拓営業を行います。その一環で、大量のDMを作成したリストの住所に送りつけます。DM作成とは、まず印刷したチラシを折って封筒に詰め、封をします。並行して、住所のラベルを発行して貼り付けます。最後に、郵送用のスタンプを押して完成です。そして、何百、何千と作成した封筒を社内の郵便室へ持って行き、郵送してもらいます。これを延々と繰り返します。。(泣)
私と、もう1人いるサポート職の先輩が主にDMを捌く担当なのですが、2人とも「ノールック封入」や「高速糊付け」のスキルが身につきました(泣)

今少し触れたのですが、サポート職は私の他にもう1人いるというのが味噌です。彼は先輩で、人見知りな私が部署内でも限られた人としか会話ができないのとは対照的に、めちゃくちゃ人当たりが良く、人気者です。当然、多くの同僚に頼りにされているので仕事も彼に集まります。すると、必然的に私の仕事が減ります

このような感じで、私は社内では基本暇をしており、たまにDMを作ったり、頼まれた作業をこなすという生活を送っていました。まさに、窓際社員。もしくは、それに限りなく近い存在だったのではないでしょうか。よくネットで、「40代、50代の生産性のない窓際社員が〜」という記事を目にしますが、新卒3年目、25歳にして私はそのポジションについてしまいました。(肝心のDMは、1000件送って数件レスポンスがある程度。それを担当する後輩営業に託して終わりです)

2021年の初頭〜夏頃まではコロナが落ち着いていたこともあり、基本的には出社しなければならなかったので、ひたすら時の経過が遅い、the 窓際生活を送っていました。やることがないので、ひたすらオフィスビルをうろうろしたり、シュレッダーの紙屑をゴミ箱に捨てたりして過ごしていました。

そんな私に転機が訪れたのは、2021年8月頃です。たしか、この頃に再び感染拡大が起こり(第何波かは忘れましたが)、全社的に在宅勤務を推奨する流れになりました。そして、楽園のようなホワイトライフが幕を開けました。

窓際×在宅の超ホワイトライフ

在宅勤務が久しぶりに解禁され、初めは週1回か2回のペースで私も在宅勤務をしていました。ところが、先述の通り、勤務といっても基本的にやることはありません。さて、、、寝るか!といった感じで、毎朝7時30分頃に上長に在宅勤務をする報告をしたら二度寝をし、8時30分に社用PCの電源を入れ(勤怠管理の役割がある)たら再び寝るという腐り切った生活を送りました。時には、平日休みの友人と遊びに出かけたり、木曜日を在宅勤務、金曜日を有給にして実質4連休で旅行したりと、小学生の夏休みかと思うほど自由な暮らしぶりでした。

もちろん、たまに仕事の依頼は来るのですが、DM作成をはじめ出社時に全てこなせる量だったので、在宅時は緊急性の高い仕事以外は何もしませんでした。しかも、在宅勤務は初めこそ週1〜2回のペースでしたが、一応やるべき仕事は滞りなくこなしているため特に指摘はされず、週3回、週4回と段々と頻度が高くなっていきました。酷い時は週5日全て在宅、もしくは有給にして、出社が2週間ぶりということもありました。

以下に、一般的な在宅時のスケジュールを記載いたします。

7:30 起床、上長に在宅勤務の報告
8:30 起床(二度目)、社用PCの電源をONにする
10:00 起床(三度目)、メールのチェック(基本的にセールスか展示会の案内メールしか来ない)
10:30 朝食
11:00 自由時間(映画、読書、YouTubeなど)
13:00 昼食
13:30 自由時間(+昼寝、友人と遊ぶ、散歩、夕食の買い出しなど)
17:00 夕食作り
17:30 定時なので社用PCをOFFにする
18:00 夕食
25:00 就寝

ざっとこのような流れで1日を過ごします。このような日が週に3〜4日、しかもこれに加えて普通の土日もあります。有給も年に20日くらい(やろうと思えばもっと)使えます。
しかも、営業時代に貰っていた営業手当(見込み残業代)がなくなり、営業の方よりも給料が低い分、罪悪感も少なめです。控えめに言って最高のホワイト職場でした

出社が前提の窓際社員はただただ虚無な時間が流れ、時には蔑みの目が気になったりするかもしれませんが、在宅×窓際は最強です。まさに不労所得。今流行りのFIRE(Free Indoor Relaxing Employee)です。

趣味の時間も、久しぶりに家族とゆっくりする時間も増え、充実した日々を送っていましたが、3年目を終える頃、少し意識に変化がありました。

募る不安

3年目は在宅勤務も増え、順風満帆な窓際在宅ライフを送っていましたが、さすがに少し焦りが出てきました。私は就職活動を2回経験している(就職浪人)ので、多くの同級生は2022年の4月から社会人5年目を迎えます(私は4年目)。中堅社員になりつつあり、社内での責任も増えてくる頃です。中には、転職して社会に大きなインパクトを与える仕事をしている友人や、結婚する友人も増えてきました。一方の私はというと、小学生時代から約15年、時が止まったかのような生活。たまに出社しても烈火のごとくDMを捌くだけ。30歳になってもDMを作っている自分を想像して、さすがに危機感を抱きました

とはいえ、転職の目処もないし、やりたい仕事や人生の軸も特にない。でも、このまま今のぬるま湯に浸かっているとまずい。さて、どうしたものか。。

そこで、半ば現実逃避ではありますが、海外へ行ってみることにしました。行き先はカナダ。幸いなことに貯金は最低限あるので、どうせ転職活動するのなら数ヶ月くらい空白があっても問題がないだろう、ということでワーキングホリデー(現地で仕事ができる)ビザを使って、語学学校に通い、仕事をしつつ生活します。これも幸運なことですが、趣味でやっていた動画編集とYouTubeへの動画投稿でお小遣い程度の金額は稼げるので、資金が尽きるまで滞在する予定です。

客観的に見て、典型的な現実逃避行動だと思います。仕事を辞めて海外へ行くなんて、きっと誰かに入れ知恵されたに違いないと。まあ、実際のところその通りなのですが、ただ、学生時代の海外旅行が素晴らしく忘れられない体験であったことや、以前から人生で一度は留学してみたいと考えていたということもあり、思い切って決断しました。

それに、どうせ楽して手に入れた給料なのだから、普通では絶対に使わないようなことにお金を使いたいという思いもありました。私は、この会社で過ごせたこと(特に3年目と4年目)は、心から幸運だったと感じています普通、こんなに仕事がなく、自由に過ごせる時間はないと思います。給料はそれほど高くありませんが、時給換算するととんでもなく高給取りです。この幸運を、人生で確実にやりたかったことに使おうと思います

もちろん、失敗というか、微妙な結果に終わるかもしれません。英語も全然上達せず、中途半端に資金が尽き、帰国するかもしれません。そして、帰国後に転職した企業がとんでもなくブラックで、前の会社で過ごした日々を懐かしく思うかもしれません。

ただ、そうだとしても、行動したことに意味があると思います。DMを作り続けるよりも、DM(Do My best)な人生を歩みたいという思いが強かったので、最高な職場環境でしたが、2022年9月をもって退職いたしました。私をサポート職にしてくれた上長をはじめ、同僚の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
2022年8月吉日


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